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火遊び

 年始、実家に帰省しなかった友人が、家に遊びにきた。二人でのんびり、餅でも食べながら駄弁ろうということになる。
 机の上にカセットコンロを出し、ボンベをつける。試みに操作つまみを回し、火をつけた。

「あぁ、久々に火ィ見たわ」

 呟いた友人の顔をまじまじと見る。

「うち、IHコンロだから。ていうか、この家もそうだろ」

 友人はそう言って、キッチンの方を指差す。私はそれを目で追う。そうか……自分も直で火を見るのは久しぶりかもしれない。

 普段煙草を吸う人であれば、ライターやマッチを通して、火を見るタイミングがある。だが、友人も私も、煙草を吸わない。
 最後に火を見たのはいつだろう。コンロの火を見ながら、ふとそんなことを考えた。

 餅をつつきながらの雑談は、人生で最初に火を目にしたのはいつか、という高尚な(?)テーマからスタートした。早々に「そんなのわかるはずがない」という結論に達して、話は「火遊び」の思い出にうつる。

 私は子どものころ、九州南部の祖父母の家に帰郷した際、庭の一箇所に集められた生ごみに、よくマッチで火をつけ、遊んでいた。湿っている生ごみにうまく火をつける作業に興奮し、きつい臭いの煙に包まれるのも楽しんでいた。
 この話をすると、友人にも似たような経験があったらしく、「あれは、都会生まれ、都会育ちの人には経験できないかもね」と胸を張った。

「「火」にまつわる本とか紹介してよ」

 雑談中、友人から無茶振りな注文があった。
 私は自宅の本棚を眺めながら、ある一冊の本を選び出す。
 気象学者・三宅泰雄の書いた『空気の発見』(角川ソフィア文庫)。この中に、「火」にまつわる章があることを、うっすらと記憶していた。

「メイヨウは、空気の中にも、硝石の中にも、炭やイオウをもやすに役だつ共通ななにものかがあると考えました。これをメイヨウは「火の空気」とよびました。メイヨウの考えによれば、空気は、「火の空気」とそのほかの気体からできていて、燃焼や呼吸は「火の空気」によってたもたれるものと考えました。そうして、「火の空気」が用いつくされてしまうと、あとにのこった気体は、もはや、ものをもやす力がない、とメイヨウは考えたのです。」
三宅泰雄『空気の発見』角川ソフィア文庫、P32)

 「もえることの意味」と題された章では、火がもえる原理を探究したイギリスの医師、ジョーン・メイヨウに光があてられている。
 上記に引用したメイヨウの発見は、真理を突いたものであったが、当時(1600年代)はほとんど相手にされず、それから100年以上も忘れさられることになった。

「正しい意見は、そのまますぐ正しいものとして世の中にうけいれられる、と私たちは考えがちです。しかし、実際はなかなかそうはいかないことは、ガリレイの場合を見ても、メイヨウの場合をみても、よくわかります。けれども、もし、ほんとうに正しいことなら、たとえ、あやまった考えが、どんなにはびこっていても、いつかは、正しいことのほうが勝ちを占めることは、うたがいのないことです。」
三宅泰雄『空気の発見』角川ソフィア文庫、P33)

 「正しい意見」だからといって、それがすんなり万人に受け入れられるとは限らない。また逆も言えて、万人に受け入れられないことをもって、自身の意見の深淵さを誇り、「正しい意見」であると確信するのも誤りである。批判的精神は、自己と他者へ、区別なく向けられるべきだ。

 餅を食べ終えて、いまから片付けのために立ち上がろうとすると、友人が「まあまあ、いったん座ろう」と肩に手を置いた。
 指示に従うと、友人は部屋の電気を消して、何ものっていないガスコンロの火をつけた。

 暗い一室に、ガスコンロの火が微かに揺れている。友人と私は、まるで蛍の光でも見るように、その火を味わった。



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