お供
本は「旅のお供」になる。多くは、手持ち無沙汰な移動時間を埋めるものとして。または、旅そのものに彩りを与えるものとして。
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私自身、文庫本を片手に、旅に出かけることがある。お供になるのは、随筆・紀行文が多い。
印象に残っている旅がある。それはまだ、本をお供に旅をするようになった初めの頃。京都市東山区にある六波羅蜜寺を訪れたときのものだ。
旅のお供に選んだのは、白洲正子の『西国巡礼』。本書の目次に「六波羅蜜寺」の項があることを知り、「現地で読んだら面白いかも」と旅を思い立った。
六波羅蜜寺に到着後、この文を一読したとき、白洲正子の感覚に強い共感を覚える。
私は、京阪本線の通る鴨川側から、六波羅蜜寺まで徒歩で移動した。道中には、精肉店や青果店、魚屋など、日常生活を支える店々が並び、行末に寺があることなど感じさせない空間が広がっていた。
そんな中、ぽつんと目の前に現れるのが、六波羅蜜寺である。「ぽつんと」という表現が多少誇張気味であったとしても、寺が町中に溶け込んでいるという印象を、否定する人はいないだろう。
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白洲正子が、随筆『西国巡礼』の素になる西国三十三ヵ所巡りを始めたのは、1964年。世間は、東京オリンピックの開催で熱を帯びていた。
一見無縁である、西国巡礼と東京オリンピックが、空也上人像を一点に結びつく。それに対し「市の聖は今でもお忙しいことだ」と呟く白洲の感性を、私も旅する際は持ち合わせていたい。
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