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挑戦者ではなく、挑発者として(レイ・ブラッドベリの作家姿勢)

『華氏451度』で知られるレイ・ブラッドベリの最高傑作とされる、1950年刊行の『火星年代記』。

火星を舞台にしたオムニバス短編として知られるが、直接的(あるいは間接的)なつながりがある本作は、人類と火星人の交流や幻想、対立などがコミカルに、ときにシリアスに描かれている。

早川書房から出版されている文庫本は、1997年にレイ・ブラッドベリ自身の手によって序文とふたつの短編が加わった新版だ。(なお、ひとつの短編が削られている)

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そこで書かれている序文に、レイ・ブラッドベリが自らの作家としてのスタンスを以下のように記している。

「私がしていることについて、とやかく言わないでください。自分が何をしているのか、知りたいとは思いませんから!」
こう言ったのは私ではない。これは、私の友人で、イタリアの映画監督のフェデリコ・フェリーニの言葉だ。自分の映画を一シーンずつ撮影し続ける日々に、この監督は、カメラに捉えられた新しい映像、撮影当日の夜には現像される新たなフィルムを、決して見ようとはしなかった。撮影されたすべてのシーンが、自分を誘惑する謎の挑発者でありつづけて欲しかったので。
私の生涯の大部分における短篇小説や、戯曲や、詩についても、事情は同じだ。(中略)毎朝、私は起きるや否や、タイプライターに向かって、ミューズが手渡してくれる珍奇な贈り物を見つけようと夢中だった。

(レイ・ブラッドベリ(2010)『火星年代記』早川書房、P4〜5より引用)

挑戦者でなく、挑発者というのが良い。

自己との対話を重ねて、自分にとってのベストを発見する。

たぶん小説を書き上げる上で、作り出すより、発見するものだと著者は信じていたのではないだろうか。努力の結果、必然として生み出される産物はあるのだけれど、もう一歩先に進むためには偶然さえも味方につけないといけないと考えていたのだろう。

挑戦するのは、当たり前。

自分自身を絶えず挑発して、むりくりにでも新しいものを見出す姿勢が必要なのだ。「挑発」という言葉には、そんな意思が込められているように思う。

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ちなみに、映画「華氏451」では、本書についての言及が少しだけあります。フランソワ・トリュフォー監督の著者へのリスペクトを感じるシーンで、シリアスな展開で束の間ほっこりする瞬間でした。

ぜひ、こちらも鑑賞してみてください。(Amazon Prime Videoレンタルで鑑賞できます)

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