見出し画像

「よい読者」であろうと努めているか。(神吉晴夫『編集者、それはペンを持たない作家である』を読んで)

年末に読んだ本の感想を。

戦後、数々のベストセラー書籍を手掛け、「編集者」の定義を変えたとも言われている神吉かんき晴夫さん。1966年の著書が、神吉さんの信念を宿した『編集者、それはペンを持たない作家である』というタイトルの新作に再編されています。

10〜12月は目の前の仕事に追われ(それはそれで必要なことでした)、なかなか長期的に自分自身の在り方について意識が回っていませんでした。

そんな中、神吉さんの言葉に触れ、目の前の仕事はもちろん大事だけど、編集者としてできること / やるべきことをもっと実践していこうと思えたのでした。年末の書籍10選のnoteでも紹介、このタイミングで読めて良かったです。

──

自らの役割を「作家」と称した意味

おそらく出版業界で働いている人や、編集者として活動している方は「作家」という言葉の重みを理解しているでしょう。

なんといっても価値の源泉を生み出す作家は、唯一無二の存在であり、ぞんざいに扱っていいわけがありません。映画「バクマン。」で編集者を演じた山田孝之さんが、新人漫画家の主人公ふたりに、当初は雑な接し方をしていました。あんなのはもっての他、有名無名を問わず誠実に接することが、編集者の最低限の資質でしょう。

という中で、神吉さんはタイトルにもあるように、自らを「ペンを持たない作家」と名乗ります。これは非常に勇気が要ったことのように推測します。作家の価値を、誰よりも神吉さんが分かっていたからです。

神吉さんは本の中で、次のように記しています。

私は自分が感動し共感した作品でなければ出版はしない──いや、したくなかった。すこし気どったいい方をすれば、私はペンを持たない作家なのだ。小説家がペンで自分の感動や恋を描くように、ペンを持たない作家・神吉晴夫は、ほかの人の作品で、自分自身の感動を表現するのである。
自分が惚れもせず、感動もしない原稿を、大がかりな宣伝だけでベストセラーにすることは、一度や二度なら、あるいは可能かもしれぬ。これが当てこみである。だが、そのあとをつづけることは、けっしてできないだろう。

(神吉晴夫(2022)『編集者、それはペンを持たない作家である』実業之日本社、P32より引用、太字は本書より)

作家を名乗る理由は自惚れでも何でもなく。自分自身が作家に対して、一番真摯な存在であらねばならない、感性のアンテナを張り続けていなければならないという自戒の念に違いありません。

そうした態度を持ち続けることは、おそらく大変でしょう。疲れるに違いない。だけど、その思いをしっかりと持っていられる誠実さは、保っていなければならないと思うのです。

編集者の役割とは何か?

本書の「はじめに」で記されている通り、本書が1冊を通じて見出そうとしている問いが「編集者の役割とは何か?」です。

柿内芳文さんは、本書の原著である『カッパ兵法』で学んだこととして、以下のように答えています。

上記問いに対する答えではないですが、神吉さんが代表取締役社長を務めたことのある光文社で勤務したこともある柿内さんにとって、神吉さんの教えをいかに大切にしてきたかが分かります。

やはり一番は「大衆の身代わり」という視点です。神吉さんに出会う前の僕は、編集とはクリエイティブな才能を持つ人や、本や雑誌が本当に好きな人にしか務まらないものだと考えていました。自分はどこにでもいる凡人であり、べつにたいして本が好きなわけでもない。(中略)しかし神吉さんは、編集者は読者(大衆・庶民)の代表として、著者の一番近くにいる素人にすぎないと教えてくれたんです。編集者の仕事は、著者側でなく読者側に立ち、自分の大衆としての感覚・感情・欲望を起点に、著者と一緒に共鳴共感のバイブレーションを巻き起こしていくこと。

(神吉晴夫(2022)『編集者、それはペンを持たない作家である』実業之日本社、P6より引用、太字は私)

小説家や漫画家などをフィーチャーしたドラマやドキュメンタリーでは、編集者は、彼らの原稿を催促する役割として描かれることが多いです。

しかし実際には、編集者は作家の原稿をもとに、いかに読者に読んでもらえるかを考えるプロデューサーのような役割を担っているわけです。作品は、商品であり、その商品をいかに読者に届けるか(買ってもらうか)を粉骨砕身考えていく。

「赤入れ」と呼ばれる工程では、作家の初稿の原型を留めないほど真っ赤にする編集者もいるといいます。作家には快いことではないでしょう。それでも、作家と編集者が信頼関係のもとで、ひとつの作品を作り上げていくべきで。

作家と読者の視点が、良い塩梅で調律されていることが、良い本づくりの条件といえるでしょう。

よい読者が、よい本をつくる

とはいえ、現実をみると、読み手のことをあまり信頼していない本が多い印象を受けます。

「これを読んで、読者はどんなメリットがあるのだろうか」
「ただ作家の言うことに『そうだよね』と頷くだけしかできないのではないか」

それはそれで「良し」とすべきかもしれませんが、やはり優れた名著には、読者のインスピレーションを開花させるような力があるように思います。それは一部の読者に限定した話ではありません。多くの読者がインスパイアされ、友人や知人に思わず勧めたくなるような求心力を有しているのです。

神吉さんが大事にしていることは「よい読者」という視点です。明確に「はじめに読者(消費者)の欲望あり」と記しているように、作者が起点となった本作りをしないと明確に決めているようです。

アラビアで生まれ、古くから伝承されてきた『千夜一夜物語』を指して、神吉さんはこのように記しています。

『千夜一夜の本』を不滅にした功績の半分は、話をつくりだした人びと(作者)のものだが、あとの半分は、話を聞いて拍手したり注文を出したりした聞き手のものだ。すぐれた聞き手がいなかったら、いい物語は生まれない。
『頭のよくなる本』や『頭脳』を書いた林髞さんが、
<ここの意味はわかりません><この表現は、もっと別のものにして欲しい><こういう章を、新しく書き加えてください>といってくる、そういう読者、つまり編集者のことだが、そういう親しい、熱心な読者がいるということは、じつにありがたかった」
と告白しているのは、いい本が生まれるためには、いい読者が、いい聞き手が必要だということを物語っている。

(神吉晴夫(2022)『編集者、それはペンを持たない作家である』実業之日本社、P162〜163より引用、太字は本書より)

ここで挙げている読者=編集者のようにも思えますが、その背景にあるのは『千夜一夜物語』を生み出した「聞き手」の存在です。

文字でなく、口頭で物語が生まれてきた昔は、聴衆から「もっと面白い話をしろよー!」なんて、野次が飛んできたこともあったでしょう。野次がなくとも、聴衆の生の反応を見て、「もっと面白く語ることはできないだろうか」と作者は考えたはずです。

編集者は読み手を信頼できているでしょうか。

そもそも、自分自身が「よい読者」として、読む能力を鍛えているでしょうか。

「編集者の役割とは何か?」を探って読み進めていたら、逆に、そんな問いを神吉さんから投げ掛けられているような気がしました。

──

僕の仕事にダイレクトに響く「編集」に関することなので、かなり思いが強い文章になってしまいました。(3,000字を超えてしまった……)

神吉さんの言葉は印象的なものも多く、「人生観の反射」「才能も思想も商品だ」「立地条件を生かす」など、本当は紹介したかったのですが……。それは本書に譲ります。

企画や編集に携わる人は特に、本書をぜひ手に取ってもらえたらと思います。

*Podcast*

細々とPodcast「本屋になれなかった僕が」を更新しています。この回で、ちょうど200回の配信に。良ければ各プラットフォームで番組をフォローいただき、これからも空いた時間にぜひ聴いてもらえたらと思います。

■Spotify

■Apple Podcast

■Google Podcast

#読書
#読書日記
#読書記録
#読書感想文
#神吉晴夫
#編集者それはペンを持たない作家である
#編集者
#光文社
#かんき出版
#カッパ・ブックス
#読書ラジオ
#Podcast
#本屋になれなかった僕が

この記事が参加している募集

読書感想文

記事をお読みいただき、ありがとうございます。 サポートいただくのも嬉しいですが、noteを感想付きでシェアいただけるのも感激してしまいます。