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【何があっている?間違っている?】日本の常識は世界の非常識、から学ぶ「常識」とはなにか?

常識ってなんだろう

僕は海外旅行が好きで、学生時代はバックパック一つで東南アジアや東ヨーロッパ、トルコやバングラデシュなどさまざまな国に一人旅をしていました。その時にも思ったのは、信仰や文化、習慣、認識の違いは当然、世界の地域のよっても異なるし、国によっても違うし、地域や個人単位でも異なる、と言う中で「常識」という概念が通用しないことが多々ありました。
今回は、日本の常識は世界の非常識、と言う観点で、常識について考えてみたいと思います。

日本語が日本中で使えるのは当たり前?

例えば、僕たちは当たり前に日本人として日本語の文章を読み、聞き、話していますが、世界を見渡すとヨーロッパでは多様な文化や言語を話す民族を受け入れている国があります。

人種や肌の色、外見だけで国籍を見極めるのは難しいと言う国も多い中で、日本人といえばこう、という一定の共通認識があるのが「当たり前」という状態はある意味、世界から見た時に「当たり前ではない」となります。

このように自分では当たり前、普通、と考えていることも、他の国や地域においては、当たり前ではない、普通ではない、となります。

どこから見た時の常識の話なのかよく見る

では、どのように「常識」を捉えたらいいのでしょうか?
僕が教えていただいている経営のメンターからは「常識とは、その世界での多数派意見に過ぎない」と教えていただきました。

なるほど確かに、先ほどの事例は、日本という国で見た時には多数派意見であることが、ヨーロッパでは少数派意見に過ぎないということか!と気づきがありました。正しい、間違っている、ということではなく、意見に過ぎないと教えていただき、非常に納得したことを覚えています。

まとめ

常識とは何かを理解した上で、僕たちがやることは、情報の取り所を自分にとって意味があるところから取ると決めることだと思います。各種SNSやニュースや友人との話でさえ、それは一つの「意見」であると捉えると、で、それは自分にとってどんな意味や価値があるのか?と考え、再選択できる余地が生まれます。ぜひ、多数派意見である常識に流されてしまうのではなく、自分で選択することを大事にしていきたいなと思います。


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