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母性って、どういうものなんだろう。

子どもにとって母親は、絶対的な安心で、唯一依存できる存在です。
十分に依存できることで、大人になってから、
他のものに必要以上に依存対象を求めなくて済む
ということにも繋がります。
依存はいい悪いでなく、人間にとって必要なもの。
ワンネスという言葉がありますが、
そこから離れて分離した世界で生きていくうえで、
とても重要なことでもあります。理にかなった依存は大事。

母性は無知で良いというのは、
知は男性性で、外に向かうエネルギーであるように、
女性性である母性は知を必要としないものです。
すでに、いのちを育む肉体を持っているので、
知を必要としないということから。
なので、あれこれ言わずにいつも微笑んでいる、
無条件に受容してくれる存在であることに意味があるということです。

シュタイナー教育の学びを少ししていて、
ドイツの現場のシュタイナー教育について教えてくださる方が、
何度も「母親と先生は違うので。」と繰り返していましたが、
これは、母親は家で先生みたいな役割を
しなくていいということなのだと感じました。
突き詰めていくと、お母さんは、家で勉強のことを
あれこれいうのも実は必要なくて、
子どもたちが外で頑張ってきた分だけ、
家ではたっぷり安心できる環境を作るのと、
生活することを喜びもって楽しんでいる後姿を見せることで、
子は、生活することの大切さ楽しさを知るようです。

ちなみに、愛情はからだの前側から受け取り、
意志は背中から受け取るそうです。
子どもを抱っこしているのは理にかなっているということです。
スキンシップを大事にすることも、いずれ成長したときに、
安心を感覚的に理解するだけでなく、
調和的な人間関係の為の境界線を作ることが
できるようになります。

それができなかった、その安心を存分に受け取れなかったという場合は
大人になった自分が、子どもの頃の自分の欲求を満たしながら
安心を再度体験させていくプロセスが必要になります。
それに向き合った分だけ、人は安定していくし、
満たされなかったものを、
外に発散したり依存しなくなるのだなと思います。

そして、内なる子どもの存在に気づくのは、
1人では無理で、他者がいるからこそ。
それが、人間関係の意味。
気づきは他者がもたらしてくれる。
しかも、嫌いな人、嫌な人、自分の内面を不安定にしてくれる人です。

もう一つ、子どもがいても、いなくても、
人は母性を感じることができる。
感じること、その気持ちを味わうことが目的であれば、
目の前に子どもという存在がいないとしても、
それを体感する。むしろ、より強く体感してしまう。
子どもがいるいないということについても、
俯瞰した視点で捉えることが大事なんだと思う。

そして、目の前にいる子どもは、私の分身でもなく、
むしろ、子どもの頃の私の傷をむき出しにする存在で、
愛する存在を通して、自分の不甲斐なさ、そもそも愛すると言いつつ、
私も子どもみたいな感じじゃないと突っ込みどころ満載になる。

面白いですね。人間って、よくできているし、
その仕組みを知ると、生きやすくなるような気がします。


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