見出し画像

休職のきっかけ

約10年前の話です。

ある日突然、通勤電車で立っていられないような不調を感じ、そのまま救急搬送されました。搬送先の病院で「これは内科や外科ではないかもね」と、やんわり心療内科受診を促され。
薄々自覚してはいたのですが、いざそう言われると正直ビビりました。そういう所に行くようになったら終わり、、、というような、そんな偏見がまだあったのかな。

当時のわたしは自分の仕事に誇りを持ち、仕事大好き人間でした。色々あって、転職を重ねてやっと手に入れた職だったのです。ただ、社内ではちらほら不穏な空気が漂っていました。

あの強気な⚪︎⚪︎課長が? 美人でしごできな△△さんがまさか?

・・・というような、一言でいうとちょっと目立っていた人たちが次々と不遇な立場に追いやられ、退職するということが続いていました。気づけば、自分も同じレールに乗せられていて。捉えようによっては、そうはならなかったのかもしれませんが…。何故そんなことになったのかは、いまだに分かりません。

この「いまだに分からない」という感覚が、その後この問題を長く引きずる原因になったのかもしれない、と今になって思います。誰に陥れられたのか、会社がどんな方針でそんなことをしていたのか。分からないだけに、休職期間中は自分を責めました。

喧嘩した上司は異動になったから関係ないはず…。
あの部署と毎回揉めていたのは自分ではない…。
じゃぁなぜ? 自分の何がダメだったんだろう…。

最初に行った心療内科で告げられた診断名は「パニック障害」でしたが、その後「適応障害」になり、別のクリニックに転院してからは「うつ状態」と、どんどん病名が変わっていきました。

医者に聞いても、ネットで情報を漁っても出てくる答えは「しばらく休養すること」だけ。

まずは自分の心と体を休めること。
先のことは、心と体が回復してから考えること。
今は何も考えないこと。

正直、一番苦手なことでした。当時すでに独身のまま40代を迎えており、先の不安しかないのに、考えちゃいけないってそんな…。

でも、そんな想いと現実はちぐはぐで。とにかく音に敏感で、心配して電話をくれた友達の声を聴くだけで体調が悪くなる。テンション高くハイトーンな声でまくしたてられると、頭がぶん殴られたような感覚に陥り、まともに返事もできない状態でした。

「ごめんなさい…。ちょっと今うまくしゃべれなくて」
「いいのよ、いいのよ! 気にしないで! ゆっくり休んでね」

もう「しばらく休む」を受け入れるしかなかったのです。

約10年前、仕事で心身を壊してしまい、しばらく休んだその後について当事者の立場からリアルな体験談を綴っています。よろしければサポートよろしくお願いいたします。