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芸術の書 断片 修養編 本多裕樹 記

4、礼儀正しくあれ、


 基本的に社会人と同じく、礼儀正しくしていなくてはならない。これは謙虚と同じです。芸術家は、豪傑な人でも、貴族的な人でも、礼儀正しくあらねばなりません。これについては詳しくは述べません。それは、人として基本であるかもしれない。しかし、礼儀は大事であること、外側から折り目正しい、礼節の自分を必ず作って訓練しなくてはならない。外見の礼儀作法に関して、時代によっていろいろ違ってきたりしますが、其の中で誠実な対応、乱れた行動をしないことなど、これを大事にして下さい。まさに、これを達成する目標としては、貴族である自覚を心にいだくことです。それは傲慢になる事でなく、最高に謙虚で愛深く、自由な精神を持った時にえられる貴族的な雰囲気であることです。なんで、礼儀正しくあるための、修養方法は、謙虚で、愛深く、自由であることです。これをおさえて礼儀を人生の中で学んで、自分に身に付けてほしい、誠実という事が大事であることです。



5、身と心を清める


 身と心を清める事で、自分の生きてきた人生の中で反省を通して、心の曇りを取り除いていく事です。これには、神に対する信仰によって清められることでありましょう。神社や家の神棚に向かい、神に礼をもって祈る。そこに、魂を清める瞑想と反省が始まって来る。そして、自分の今日生きてきた、今まで生きてきた中でやってきたことに思いを巡らす。そうやって禊はらいをしていくのです。それは、長い修養になるかもしれない、世界の賢人の名著を読み、その古典の読み継がれてきた書に流れる光を読み、自らの精神を清めていく、そうやって自分を修養して、自らを直して行く。自分を清めていくのです。それは一生、死ぬその時まで、信仰心をもって生きて、神に愛される人生を生きて、神に認められるようにして生きていくのです。神を求め、神に見られてもいいような人生を生きていく事がすべてであります。それが、身と心を清めることです。信仰によって、神とつながり、神を鏡として、自分を見つめていくのです。そうやって清めていくのです。




6、普段の生活が作品に出る


 普段の生活が作品に出るという事で、これは言っておきたいと思います。普段からしっかり身を正し生きて仕事や、人生を生きている中で、作品に影響が出てきます。また、怠惰な生き方をしていれば、それが作品に出てしまいます。怠惰な中に傑作は生まれないのです。日々、人間として、神の使者として生きていく中で、自分を修めていくのです。普段から、神の使者として生きる事、それは、前の節で述べました。謙虚で、愛深く、自由な精神をもって多くの人の愛し生きる事が大事です。そういう、神の使者として生きる事です。また、他の人も、神の子であること。すべての存在は、すべての人は神の子であります。神に対する礼節を大事にするなら、また周囲の人間もまた神の子であります。神の子に対しても礼儀をもって、愛をもって与えていくのです。それが基本です。あなたに見えしものは、すべて神の子であること。そういう認識をもっていただきたいと思います。なので、普段の愛深い生き方が、芸術家であれば作品に出てくることです。作品を作り、音楽を演奏する人も、詩を書く人でも、生活の姿勢が出てしまうことです。なので、修養をすることは芸術家によって基本的な仕込みであります。

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