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芸術の書 断片 評論 本多裕樹による

3、幸福と不幸を超えた美


 幸福と不幸を超えた美ということで語っていこうと思います。まず、人生には幸福と不幸を感じるのは真実であります。それが、演奏や作品において肥やしになり表現となっていくでしょう。そこで、美はそれらをもって現れてきます。幸福も不幸も運命の輪に操られ、動いていく。美は幸福も不幸も支配していく。美は、運命の輪を動かして、いろいろな事を人間に体験させて、美を作っていく。いろんな美を創造させ、経験させ、美そのものは認識を進化して人間やあらゆる森羅万象の存在を学ばせる。美は美で普遍的である。美は神の性質である。美は限りなき普遍的な観念であり、神の性質である。美は、善も悪よりもはるか高いところにある。宇宙の根源に至る。美は芸術を生み出し、運命の輪を動かして、幸福と不幸をもって宇宙のあらゆる生命に表現させている。美は、光であり。美の光があらゆる生命に入り込み、表現させる。美はすべての存在に表現させる。それは愛か憎しみか、いろんな可能性がある。しかし、美は光に依存している。美に光がある時、愛が、真実の愛が進化していく。愛は、すべての存在、宇宙の根本的なエネルギーであり、愛のエナジーがあらゆる可能性を内在している。愛は宇宙の法則であり、美もまた愛に依存している。愛に美が加わることによって、光となり、知性が内包し、芸術的な創造となる。幸福と不幸は、運命の車輪によって回転して、美がそれを表現させんと宇宙の森羅万象の生命に生かしめているのである。美の表現には愛の法則があること。愛の法則と美があり、美が生命の光を宇宙全体に光を燦然と表現するのである。





4、美について


さて、美について語ってみたいと思います。美というと前の章でも説でも述べていきましたが、美とは、神の性質であり、その観念の世界で、高次の世界ですでに実在する法則であるし理念であります。美はすでに天上にあり、神の要素の一つでもあります。この美は宇宙のすべてにて表現されていて、われわれ神の子である人間にも美を表現する使命があることです。美は、すでに存在し、そのイデアは天上にも地上にもあり、精神から出でる表現であります。美が美たらしているのが愛のエナジーであります。愛のエナジーが生命の器に入り「器」自身が美を表現して行くのであります。表現は自由であります。人間は自由意志を持ち、自由な表現をすることが、神と同じ性質を持っています。神が美の表現者であるなら、神の子である人間においても表現する自由があります。どんな表現でもいい、そこに愛のエナジーを流し込み表現して行く。それは自由でいいのです。しかし、自分で表現したものには表現した者に責任がともないます。それは社会的に合う、合わないでなく、自分の生命に対する責任です。この宇宙の法則として、自分が表現したことは自分に返ってくるのです。自分で自分の仕事、表現したことの確認ができます。あなたの作品が人を不幸にしようが幸福にしようが、それについては自分で責任を負うでありましょう。しかし、不幸と幸福も美の性質であります。善も悪もあやつって表現するのが美であります。美の実在は、神の性質であり、神は美をもって芸術を使って宇宙を創造しました。あなたも神の分け御霊であり、神の子孫であり、神の子です。あなたも表現しよう、美を表現しよう。そして、自分なりの美というものを発見されること願います。そして美を表現するために、愛を、愛のエナジーを入れ込もう、内在させた表現をしていきましょう。美と愛と知が一体となったとき芸術という形で人類の、文明の遺産となっていくでしょう。美を生かすためには、愛が大事であること、そして、知性でもって形作っていくこと、構成していくこと、人生の中で表現すること。普段の生活の中で美を表現して行くこと。これが大事であることです。芸術は、愛と、美と、知によって作られること。

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