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「芸術の書 断片」 制作 本多裕樹 記

1、制作の責任


 芸術において制作の責任ということで語っていこうと思います。芸術家が作品を作ると必ず責任が発生します。その責任が大きければ大きいほど偉大な作品であることは言えます。責任というとどういうことかというと内容ですね。その内容が偉大であるからして、影響力もあるし、威力もあります。天界からの啓示の内容が大きかったことの証明にもなります。作品には波動があります。その作品の雰囲気があります。その雰囲気が天国的なものであっても、地獄的であっても作家に依存することになります。芸術家は預言者であることは前の章でも触れましたが、啓示を受け取って、イメージを受けてそれを管理するのはその芸術家自信にゆだねられていると言えるでしょう。できた作品には社会的にもあの世の世界でも、それを出して行く芸術家に依存しています。芸術家は、時代の精神を作っていく使命をもってそれぞれの人がその責任があります。美に対して責任があります。表現において責任があります。偉大な作品は責任がともない、作品には精神が宿っています。芸術作品に思想のパワーがあります。波動が流れています。そういう威力のある作品が力ある作品であると言えます。かえってなにも平凡な作品という物がありますが、その中にさえ、可能性としていろんな視点から見ると魅力にあふれたものになることがある。平凡の中にも美学があります。責任という話でしたが、美に対して誰もが責任をもって文明に影響を与えているのです。その人の発する言葉、音楽、絵画には、エネルギー波動があり、誰かに影響を与えています。しかし、その作品の中に光を込めることが重要です。なんの責任のない作品を真に平凡な作品と言える。なので、自分の作品に自信をもって世に問うていってください。しかし、平凡な作品もいいことはあります。それは普通に家に飾ったり、演奏したり、読んだりと、お手軽という意味ではすばらしい作品です。私の言う責任の重い作品というのは勝負の舞台のステージの演奏や展示の発表といってもいいかもしれません。平凡も非凡の作品も良いということを言っておきます。お手軽な作品も大事であるし、偉大な作品も大事であることです。





2、自由にかぎりなく自由に


 芸術の新展開のことでどうしても大事なのは、芸術には自由な精神が大事だという事です。自由にかぎりなく自由にという演題で語るのは意味にあることです。さて、何故自由が大事だというと、芸術家は精神的に敏感な人が多いようです。そして感性も磨かれている方も多いと思います。それがゆえに不幸を招いてしまう人もいるようです。受動的になりやすい方も多いです。その反面、豪傑のような芸術家もいます。図太い精神の方もいます。そういう方でも自分の描く絵とかそういうものを処女のような感性をもって傷つきやすい方もいます。では、自分の作品に対しかなり敏感であると言えます。演奏家でも自分の大切なものを表現します。フィギアスケートの方でも自分の演技を乙女のように傷つきやすいように思います。そういう人に対して、美しいよ、綺麗だったよ。いい作品だねというととても喜びます。自分の心から出た大切な乙女であるからです。そこで、自由という事ですが、そういう芸事をする人は自分を自由にしていくことが何にもまして大事なのです。自由であるから、いろいろ可能な事があります。本当は優秀な芸術家の方は国の費用で保護することが大事であったりします。フィギアスケートの世界では、スポンサーや会社、企業などが費用を出していたり、外国では本当に国費を出して芸術家を育てたり、学費を無料にしたり、保護したりしています。自由な平原の中から素晴らしいものを創造するでしょう。のびのびとした環境からあらゆることができて自由な表現ができます。かえって自由を束縛したりすると何も出ない場合が多い。しかし、強い芸術家であれば、その不自由の中から這い上がって偉大な作品を生み出したりもする。それが本道のように思います。日本ではそうであるようです。文学の世界でも国の大事業として演劇をしていた古代ギリシアなどがあります。しかし、現代はどうしても実力があるならば、這い上がってほしい。そういう不屈の精神でもって作品を作り、音楽を演奏して、詩を作り、物語を作ってほしい。豪傑のような芸術家を自分に作ってほしい、正統な努力によって芸術作品を作ってほしい。それが本道です。障害や試練は芸術家にとって足腰を鍛える材料です。人生のあらゆる苦難を喜んでほしい。そこから偉大な精神が出来上がって、時代を揺るがす芸術を創造し表現することになりましょう。自由は大事です。今、あなたが不幸でどうしよもないのならば、それを喜んで、自分の心の自由をなんとか環境を作って努力に努力をしてください。正統な努力をして偉大な作品を作り、自由な精神を作ってほしい。そして人生の自由は、自分で作っていくものです。努力をしていくうちに段々と環境が変わっていくでしょう。自由と努力は相反しているように見えますが、何かな、この世は何もしないで努力もしない者に勝利の女神は振り向いてもそれをつかめないのです。怠惰な状態で傑作は生まれない。日々、名演奏をするために毎日努力をして、毎日絵を描き、日々筆記して執筆して何かしら努力をしていくと、周りも認めて、何か助けてくれるでしょう。私は、自由は大事であると言いました。自由は自分で作って、あと、知性によって暗闇を自分に縛り生きていく中で作ってしまった鎖をはずして傑作に、名演奏に、名勝負に神の芸術に一歩でも近づけるように不屈の精神を作って、作品をもって自由を表現してほしいと思います。人生のあらゆる困難や、不幸があっても、それを超えていく不屈の精神でもって、努力でもって傑作に近づいて日々精進してほしいです。名作はそこから始まる。おそらく、これが芸術家にとって自由を得る道でありましょう。あなたの傑作でもって多くの人が感動して生きる喜びを得られ、人生の潤いとなって、鑑賞者が何かしら生きることの素晴らしさを知ることができるように。

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