見出し画像

イデアの考察 断片 本多裕樹による

イデアの考察 断片 本多裕樹による

                                      

              〇
徳は、その人の光の漏れた善の可能性だ。人生の内容、人生のしぶみ、人生の生きざまがそれが良い方向の思考、それも善の思考をもった者に出る光。徳を持っている者は善を積んでいる。善行を積み、それを誇らない人だ。誇らないので報いを求めない。それが光となって溜まっていくのだ。徳は、人の心のあらわれ、人の思考のにおい、人の思考の波動であり存在の放つオーラであると言える。オーラまたはその人の放つ波動の振動は光りの漏れでありこれは水晶のような、クリスタルの存在が人間の機能にあるのである。神の光を受け入れそれを生きている中で行動、または仕事、生活の中で振動している波なのだ。それは周波数であり、その周波数は精妙であればあるほど人を清めて、幸福にしていくまさに存在の愛になっていくのである。

                                       〇
徳は、行動、ことば、生活、人生の中でさまざまにある中であった生きた残り香であり、それが多くの者があなたの気高い、愛深い生き方に影響し、周りが関心し、感動があることである。徳の根源として愛がある事、そして、あなたの生き方に、所作に美しさがある事が徳のある人であることをのこり香としてわかっていくことであるかもしれない。美しさ、そして優雅さに感動があり、そしてゆとりがあって、静謐の中で美がにじみ出てくる人生のあなたの光り、輝き、それは静かな美しさ、美的な音、表現、生き方であると言えます。

音は美の波動である。その人から出る音、それはその人の光である。その人はどんな音楽を奏でているのか。電磁波か、危険な音か、あたまが痛くなる音か、それとも美しくていい味の音か、優雅で心地よい音か、徳は音であると言える。その周りにとどける音である。それが悪くあれば害悪であろう。それが美しい音色なら多くの人を心地よくし幸福にすることになろう。徳は楽器における存在の演奏であると言える。その人がいるだけで、美を感じる。美しい気分になる。幸福になりそうな気がする。徳の根源に心がある。心から演奏するものが徳である。あなたは雑音を流してはきらわれてしまう。所作、行動、言葉に気を付けて心を修養して修めよ。あなたはいい音を出しているなら、輝きのままで光として徳を演奏してこの地球の星の輝きの一点となり、その多くの人たちと光の、徳の演奏をしてすばらしい世界をつくってください。あなたは心を修め、修身することでいい音を出し続けるように努力してください。誰にでもこれは可能です。聖賢の教えを学び、心も身も清め修めていい音楽を演奏できるように願います。

                                      〇
われわれの生きる社会、現在ではお金は有効である。しかし、もし、あなたにお金が無くなったら何に価値を見出せばいいか。そこを悩ますことになる。人間の価値はお金でない。お金の根源をたどれば仕事量であるのか、その人の徳ある生き方にある。金銭に寄り付かないのならば、仕事をしっかり手を抜かずやり、生き方をもって作品とし、徳のある生き方をすることだ。徳は、光である。その人の放つ光の輝きである。きらめきである。そこに値打ちを持っていくことができれば、自ずと自己修養に励むようになるだろう。自分の価値を上げることは徳を輝かし、高める事は修養によってしっかりしてくる。礼儀、言葉、慈悲、美意識をもって自ら表現していく、徳は表現にある。それは白いキャンバスに自由に絵を描くようなものである。自分なりに徳を表現すればいい。つまり徳は、徳の根源は愛である。愛は表現してこそ現れる具現された創造であるのだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?