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世界の黒澤に匹敵しうる『座頭市物語』(1962)と『座頭市』(2003)

ここ最近ずっとスーパー戦隊シリーズのことばかりを書いていて気詰まりがするので何か息抜きにと思っていたのだが、久々に『座頭市』を見たくなったので借りて見た。

異論はあると思うが、世界の黒澤こと黒澤明が作った『用心棒』『椿三十郎』『七人の侍』に匹敵しうるクオリティーの時代劇は勝新太郎と北野武だけだと思っている。
勝新太郎の『座頭市物語』(1962)とそのリメイクである北野武の『座頭市』(2003)は西部劇で言うところのマカロニウェスタンであり、盲目最強キャラの元祖でもあるだろう。
大きな違いでいえば、勝新の方がシリアスで美しい悲劇の物語=能であるのに対し、武のリメイクはお笑いやリズミカルな音楽を取り入れた喜劇の娯楽作=狂言となっている。
特に北野武がリメイクする時は「勝さんとは全く違うものにするが、それでもよければ」と言う条件でお話を引き受けたらしいが、これが簡単そうで実に難しい。

かの著名な映画批評家・蓮實重彦が述べていたように、北野武にとって勝新太郎の存在は多大なる影響をもたらした伝説の人であったため、そんな人の代表作をリメイクすることなど畏れ多いことであった。
実際、処女作の『その男、凶暴につき』(1989)からして同じ勝新の『顔役』を多分に意識していたとのことらしいから、お声がけはあったらしいが尊敬と憧れ故に手を出せなかったのである。
何がきっかけで21世紀初頭にリメイクがなされたかの真意は我々の知りうるところではないが、現代の技術を積極的に駆使したリメイク版は大成功を収め、勝新の初代に勝るとも劣らないクオリティのものとなった。
CGもふんだんに駆使しての殺陣は今見ても色褪せないものであり、全てのカット・シーンにしっかりと意味付けがなされていて、無駄なシーンが1つもない。

北野版が素晴らしかったのは市=最強の瞽(めくら)という最も大事な要素をしっかり保ったこと、そして平手造酒に匹敵しうる浅野忠信という存在感あるライバルを配したことである。
殺陣自体は勝新版も北野版も割と一瞬であっさり終わってしまうわけだが、それがまた黒澤の作った時代劇とはまた異なる神話を生み出すに至ったのではなかろうか。
個人的見解でいうならば、勝新の市は義理と筋をとても大事にする義侠心に溢れた好漢であるのに対し、北野の市は奥底に狂気を孕んだ戦闘民族である。
それは彼らの身なりにもよく現れており、どこか悟ったところがある坊主頭の勝新版市に対し得体の知れない金髪の異邦人である北野版市という対比が面白い。

勝新版は本当にここぞという時にしかその仕込み杖に入った刀を振るうことはないのだが、北野版は相手が自分の間合いに入ってきた瞬間立ち所にその刀を振るう。
市が本気を出したらこんなに強いんだという暴れっぷりをこれでもかという程見せつけてくれるのが北野版の市であり、この点においてリメイク版が初代の伝説を超えらところでもあると思う。
あとは勝新版になかった要素として、タップダンスやガダルカナル・タカのお笑い要素を要所要所で入れて飽きさせない工夫をしているところであり、こういうのも個人的には好印象だった。
カッコいいところはカッコよく、面白いところでは徹底的に面白くするのが北野映画の魅力だが、そんな天才だからこそ誰にも手がつけられなかった「座頭市」の神話を更新できたのであろう。

そして何よりリメイク版が示したのは何かというと、現代の世界観や言葉遣いでも時代劇が成立することを示した点にあり、これは何気なく大きいのではないだろうか。
IT革命を起点としてどんどん発展していく現代社会の中で再現しづらくなったドラマのジャンルが「時代劇」であり、NHKの大河ドラマでも厳しいものになっていた。
そこをお笑いやタップダンスといった新機軸を取り入れて織り交ぜることにより、ビジュアルと殺陣さえそれっぽく見えれば再現できることを世界の北野が証明したのである。
その功績もあってか、今では座頭市といえば海外ではこの北野武のリメイク版というイメージが定着したのだが、私は00年代のチャンバラ時代劇の代表作はと聞かれれば真っ先に本作を挙げるだろう。

ここからはそれに伴って思ったことなのだが、東映特撮がいつまで経っても世界レベルに認知されない理由が改めて今回「座頭市」を見直すことでわかった気がする。
結局のところ「ショットを撮るセンスの有無」にあるのではなかろうか、世界の黒澤に勝新版と北野版の「座頭市」が匹敵し国境を超えて世界に評価されたのはそこだと思う。
同年の『仮面ライダー555』『爆竜戦隊アバレンジャー』はもちろんだが、00年代で評価が高い『侍戦隊シンケンジャー』(2009)ですらこのラインには到達し得ていない。
確かに「シンケンジャー」は00年代にチャンバラ時代劇を戦隊シリーズの枠で再現したことも含めてよくできた作品だが、それでもやはり北野版「座頭市」程の神話にはなり得なかった

オーソドックスなチャンバラからCG・ワイヤー・コンポジットまで多用した殺陣までやったにも関わらず、そのいずれもが座頭市の殺陣の迫力には及んでいない。
まあ一般向けの映画と子供向けの特撮番組という畑が違うから一概に比較はできないが、少なくとも世界で勝負しうる者とそうでない者との差は一目瞭然だ
懐に入る者をたちどころに切り捨て、それでいて多くを語らない市の魅力はたとえいつ見ても燦然と輝き続けるであろう。

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