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名詞/Noun

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記事一覧

『始点』 #368

ウォシュレットは最も弱い出力から始める。いまや家にもお店にも高速道路のサービスエリアのトイレにも、だいたい設置されているウォシュレットだけど、それぞれの便器(厳密に言えば、ウォシュレットは便器から出る機種より、ウォシュレット付き便座としてある方がまだ多いので厳密に言えば、便座、だ)によって強さの度合いも段階も違っていて三段階のもあれば五段階のもあるし、ある三段階の最弱の出力でもある五段階の強目の出力より大きいものもあるしで、とにかく出力にばらつきがあるから、おしりが弱めな私は

『コーヒーゼリー』 #367

小学生のころ、中学生に上がるくらいのころまで、「好きな食べものは?」「コーヒーゼリー」と答えるような期間があった。三個百円、タンカーのような台紙に乗ってて、ベリベリとメタリックなフィルムを剥がして甘さのほとんどないポーションミルクをかけて食べる、あれ。以前に書いたようにアジフライを便宜上で好きな食べ物だと今は言っているけれど、それより前の、小さな子どものころ。コーヒーゼリーが好きだった。今にしてみれば特筆しておいしいものでもないしありがたがるものでもない手軽なデザートだったわ

『特別』 #365

特別、なんて素敵な響きだろう、と、思わせてくださる約30年間に高く美しく積み上げられてきた“意味”、これには頭が上がらない。頭を上げてみたところで、高すぎて眩しすぎて顔を上げることもままならぬ。そんな言葉だ。幸せなのだと思う。特別、という言葉にキラキラとした印象を抱けているこの現状は、このこと自体が特別でなかったとしても、有難いことだと思える。「特別にご用意させていただきました」「この特別な機会に」「あなたには特別に」「特別大特価」、もうなんだっていい、特別ということにスペシ

『六根』 #364

毎日新聞の言葉を扱うTwitterアカウントの投稿で「六根清浄」について、旅にまつわる言葉のひとつとしても書かれていたのを夕方に見て、以前にお世話になっている地元のカレー屋さんとの話で「なんで仏教に関連するものは三とか七とか、多いんだ」ってときがあって、そのときには七については厳密にこれという(全く無いというわけではないけど、というエクスキューズ)答えがなかったけど、三は中道、空観を有と無との関係でおくからかだとかって話をしたなあ、ってことを思い出して、その三について書いてみ

『電気』 #361

はるかな未来に、そのときにも電気が残っていればいいとも思うし、なくなっていればいいとも思える。そんな話。 建築設計を始めてから、無意識にうっかりしたとき以外には徹底して、照明器具のことを「照明」「あかり」と言って「電気」とは言わないようにしている。このこだわりは、少し共有可能なものかもしれないなと思っている。伝達と理解に甘んじない言葉の正確さにこだわるか、というところなのだろうかと思うけど、例えばIHクッキングヒーターをコンロと言わない、とか、燃料電池車や電気自動車の動力源を

『アイデア』#360

これをわざわざ「日本語で言うと」となんて野暮なやり口をせずともそのまま、アイデアはアイデアだと言ってもいいような気もするけれどあえて、例えば幼い子どもに「アイデアって何」と聞かれたときに説明しなくちゃならないシチュエーションを想像して、説明文をつくるなら、どうするか。 自分自身でも言葉の意味を把握したきっかけを思い出せないくらい慣れ親しんだカタカナ語のことを、このノートの最後までにまとめたいと思う。 何かを意識するまで、それは大学院だか事務所勤めだかその頃だったと思うけれどそ

『テレビ』#358

テレビはテレビであって、他の何物でもない。しかし、気になることがひとつある。いつからテレビはテレビで、テレビジョンでなくなったのか、ということ。語源はテレビジョン、televisionのはずだ。日本でなければtelevisionをteleviと略しはしないだろう。でも、もしかして日本へは「テレビ」として技術と製品が輸入されてきたのだろうか。まず、そもそも、テレビはどこで発明されて大衆化してきたのだろうか。 そんな、“テレビ”という言葉の生まれがふと気になってしまった。 生まれ

『国語』#357

言語ではなくて、教育課程における小学校の「こくご」や中学校の「国語」に相当する、教科としての、『国語』。 また、読んでる本からの話かよとなるかもしれない。哲学者の野矢茂樹さんの本「大人のための国語ゼミ」(山川出版社,2017)がとても面白い。とても面白く、とても恥ずかしい、恥ずかしいというのは改めて自分が「国語」をうまく学びきれていなかったことを知ったためで。ただし、恥ずかしいと思いつつ、面白いのは内容もさることながら、あのころ小学生や中学生でそのころの脳みそと枠組みで理解を

『象』#356

象の話を開始するより前に。 いま、読んでいる本のひとつに山口周さんの『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社新書2017)というのがある。まだ数十ページしか読んでいないけれど大枠は初めに紹介されていた。そのなかで特に驚くこともなかったし目新しい話であると思ったわけではない、けれど改めて言われるとじわじわと気になってくるなあ、といま感じている内容がある。本の中では、ビジネスにおける判断には「理性と感性」「論理と直感」の二軸があるとし、その比重について、日本では理

『相似』#355

相似、中学数学で合同ののちに習う、ある図形とある図形が拡大図・縮図の関係にあること、あるいは、ある一つの図形を均等に拡大縮小するともう一方の図形と完全に重ね合わせられること。また、拡大縮小をすると二図形が合同になること、とも、合同を習得したのちにはそう言えるだろう。 中学生に、相似形そのものを教えることは決して難しいことじゃない。加えて相似条件についても、三つ覚えてもらえれば利用することが難しいことでもないように、掴んでもらえる。他方、難しいのは、線も図形もごちゃごちゃと混み

『挨拶』#354

漢字が書けなくてさっき、ここに入力して変換して確かめた。挨拶の挨の字は書けていたけど、拶の字をてへんに参ると書いてアレッマズイとなったところ。湯上りの夕方、手を上げてご挨拶、とでも覚えておこう。ひとまずは。 はじめまして、ご無沙汰してます。おはようございます、こんにちは、こんばんは。失礼します、ごめんください、お邪魔します、お邪魔しました。さようなら、ごきげんよう。いただきます、ごちそうさま、おそまつさま。思いついたまま100文字分ぐらい、書き出してみた。まず、そもそも、挨拶

『絶対値』#352

中学に上がると、小学生時期に知っているようで知らなかった、あるいは、ゼロより低い数字、という、気温由来の認識で定義抜きに知っていた、マイナスの概念を習う。数学における負の数、負の整数、など、基準とするゼロ、原点からプラスの方向とは逆方向に数える数に、符号としてはマイナス、−を数の前に付ける。プラスとマイナスの違いを把握し、「−800円の収入」を「+800円の支出」と言い換える言葉遣いを習い、数直線の読み方と使い方を「右方向は増加、左方向は減少」と学び、そしてその後に登場するの

『靴下』#351

この冬の時期になると、外出時とは別の、室内用の厚手の靴下が欠かせない。子供の頃は母親が「冷え性で足の先が冷えて眠れないよ」みたいなことを言っていて「へえそんなこともあるのか」と聞き流していたけれどついに私も30を前にして足の冷えに悩まされることとなった。たまに聞く、冷えて痛い、とまでは至らないものの、家から五分離れた場所から夜に帰ってくるだけで足のつま先はヒエヒエに冷えている。条件によるのだろう、夜勤明けで最寄駅から家まで帰ってくるときには、冷えてる場合もそうでない場合もある

『レベル』#350

ゲームにおいてはポケモンとか、ドラクエとか、キャラクターやプレイヤーを強くしてレベルを上げていくとか、レベルを上げていって冒険を進め最後のボスに挑み、「まったく敵わない」「こんなことがまさか」「勝てる兆しが見えない」と為すすべなく退けられたのち、地道なレベル上げに勤しみ新しい技を習得するなどし、強さと自信を備えてまたボスのものへ出向き「フハハハハ!まだ懲りぬようだな!蹴散らしてくれる!!」と迎え撃つ相手に「今度こそ」と挑む、そんなゲームのようなわかりやすい体験は我々の身体を伴