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徘徊老人を探したお話

今後、身内または近所の徘徊老人を探す案件は
増えるはずなのでその際のヒントに
共有しておこうと考えた。
以下長文ですがご一読ください。

数日前は(も)徘徊→行方不明になった
近所の年配の人を探し回った。
ウォーキングを兼ねて
(と前向きに捉えながら)
汗をダラダラかいて歩き回った。
仕事は中断した、命には変えられない。
(と、少なくともその時は思った)

その方は親戚ではない、
ありがちなご近所の知り合い。
恍惚の人にならない頃から
近隣の山に一緒にハイキングしたり、
いただき物をお裾分けする程度の
お付き合い。

毎度ながら、行き先は全く見当がつかない。
本人にしかわからない目的地へ、
ひたすら歩いて行ってしまう。
探す方はなるべく車や自転車を使わず、
「恍惚の人」の気持ちになって
やはりひたすら歩く。
前回はこの辺を徘徊したから、
という情報も全くアテにならない。

立秋は過ぎたがまだ夏である。
行方不明の本人は帽子も被っていない。
マスクもしていない。
もちろん飲料も持っていないし
「喉が渇いたから水をください」
と誰かに言えるはずもない。

こうして行方不明になった回数は、
そろそろ10回だ。
今まで、警察、近所の方、見知らぬ方が
見つけてくださって無事に戻ってきた。
冬は体が冷え過ぎて(低体温症で)
救急搬送されたこともあった。

そして今回も当日中に見つかった。
名札もなく、名前を聞いても
答えられないので、警察に通報された。
座り込んでいたので救急車にも
来ていただいた。
救急車はサイレンを鳴らすことなく
自宅まで送り届けてくれた。

いつまでこの強運が続くのか。
誰も想像できない。


ただ、次回(ないことを祈る)は
前回同様、
「探してくる!」
と立ち上がる自信がない。

「在宅ワーク」が当たり前になる以前から
在宅ワーカーな自分は
こういう超ローカルな問題に対面しても
すぐに身軽に動けるが、次回はわからない。

というのは、本人が帰宅した後、
他の人が電話で身内の人に
様子を聞いた際、
「若いおまわりが来た」
と言ったからだ。

プロフェッショナルとはいえ
少なくとも4回は世話になっておきながら
「おまわり」という感覚で驚いた。

制服の方々は、
いまどきもっと多くの(大きな)事件で、
またはコロナや熱中症、怪我などの
命に関わるような搬送で多忙なのに、
事前の対策で確実に防げる徘徊案件ごときで
彼らを軽く呼び出してフル活用してしまう人々が
実際にいるのだ。

また自分は3回目の探索あたりから、
「毎回引っ張り回されてはたまらん!」
と、スキマ時間に
認知症に関する本を読み、

・名札をつける
・一人で歩かせず、同行する
・「◯◯しちゃダメ!」と叱らない

など、徘徊者の身内の人に
わかりやすい内容の文書を渡したり
口頭でも何回もお願いしたが
結局実行されないまま今に至る。

最低でも名札さえつけていれば、
見つけた誰かが電話してくれて、
その時健康なら、
警察や救急の世話にならずにすむ。

2回目に警察に依頼した際は
さすがにキツイことを
言われたらしい。
そりゃそうだ。

例えば2回以上、泥棒に入られたら、
言葉では言わないが、警察も周囲も
「ちょっとは身構えろ」
という気になる。

お節介とか生やさしいものではなく、
周囲が一生懸命探し回る無駄を省きたい。
探す方も年配者が多い。
徘徊者より年上の人々もいる。
よく理解している人は3回目あたりから
全く関わらない。
それはそれで賢い選択だ。

名札を縫い付けることが、例えば
手がうまく動かせないとか
老眼で見えないなどの理由で
できないなら、
近所の誰かに頼めばいいではないか。
人々の多くはそんなことで恩を売ったり
金銭を要求するわけがない。


人に頭を下げるのは
そんなに難しい・恥ずかしいことだろうか。

まさか、とは思うが、
当の恍惚の人が普通の人だった頃、
雑談で、東北の某県出身のご家族に関して
「◯◯藩の影響はあるのか」
と質問したところ、
「まだ確執はあるね」
とおっしゃっていたことを思い出した。
だったら無駄にプライド高いのも
多少は理解できた気がしたが
それは怒りを通り越して悲しい。

しかしそれでも現代である。
「自分はやりたいことがたくさんあるから
デイサービスだけで間に合わない」
という場合は、月30万円前後で
施設に預けることもできる。
高いか安いかは、
当事者でないとわからない。

介護レベルが上がれば
保険適用される金額も増える。
あきれて誰も手を差し伸べなくなっても、
金さえあればなんとかなる。

それにしても、だ。
いったん裕福になると、
思いやりも、日本人が得意とする
「工夫してなんとかする」
ことを忘れてしまう人々がいるのは
よくわかった。
「藩」に所属しないから偉そうなことは
言えないが、先人の方々に申し訳ない。


ところで世間ではあいかわらず、
「詐欺」の電話や勧誘が絶えない。
数百万単位であっさりかすめとられてしまう。

これだけ自治体や官公庁が

気をつけてね!
対策してね!
防止してね!

と何度も何度も注意喚起をしているのに
実行できない人々が依然としているのは
(聞いたことを忘れてしまうのは別として)、
どこかに

「あんたに言われる筋合いはない」
「とっとと犯人捕まえろ、
 こっちは税金払っているんだから」

という石頭体質特有の考えを持つ人々が
いるのでは?と考えてしまった。

老若男女、様々な人がいる。
自分と価値観が違う人を
遠ざけけたい気持ちもわかる。

しかし、

人の話を聞ける人・聞かない人
頭が柔らかい人・固い人

の、どちらが損な生き方か、
たまには落ち着いて考えていただきたい。

特に後者は「認知症」になりやすい、
ということは肝に銘じてほしい。

それと、「自治会なんて必要ない」と
言われて久しいが、近所の方は何かと
(意外と)頼りになる。

今回のような事態でも
「◯◯さんが(また)いなくなった!」
と電話やメールで伝えれば、
在宅の方々の多くは
「どれどれ」
と探索に参加してくれる。
徘徊者は疲れて座り込むまでは
じっとしていないので、
とにかく一人でも多くの人が
探索に参加してくださると
本当にたすかる。

顔見知りになっておいて損はない。
ネットやSNSで見かけるような
「関わるとヤバイ人々」は少ない。

むしろまともで健全過ぎて、
こんな方々を騙そう、欺こう、
盗み取ろう、という人々に対して
怒りが湧いてくる。

自分のように何回も問題にぶつかるのも
疲れるがそれでも「顔見知り」や
知人関係になって損はない。
必ず趣味嗜好が近い人々がいる。

いまどきネットを通じてすぐに人と
知り合えるが、現実世界から逃避して
「お前らと違う」と自負する方々とは
異なり、見栄を張る必要もない。
素性がはっきりしているから安心できる。

そう、家族や親戚が遠方に住んでいて
(疎遠になっていて)緊急時にすぐに
駆けつける人がいない家庭が増えている
今の時代だからこそ、のご近所である。
もう知らん!探しに行かない!と
決意したつもりでも、もし今日もまた
「うちの(父ちゃん)見なかった?」
と言われたら
「クッソー!」
と小声で叫びながら探しに行くのだろう。

いろいろ難しいことを言うと
拒否反応を起こす方々のために、
非常にわかりやすくまとめられた文章(歌詞)がある。
自分の将来のために、または身内に、
周囲の年配の方々に勧めてほしい。

おそらくご存知の方も多いかもしれない。
認知症防止のコツが詰まっている。
下記転記。

「ぼけたらあかん 長生きしなはれ」

年を取ったら出しゃばらず
憎まれ口に泣き言に
人の陰口、愚痴言わず
他人のことは褒めなはれ
聞かれりゃ教えてあげてでも
知ってることでも知らんふり
いつでもアホでいるこっちゃ

勝ったらあかん負けなはれ
いずれお世話になる身なら
若いもんには花持たせ
一歩下がって譲るのが
円満にいくコツですわ
いつも感謝を忘れずに
どんな時でも「へえ、おおきに」

お金の欲を捨てなはれ
なんぼゼニ、金あってでも
死んだら持っていけまへん
あの人はええ人やった
そないに人から言われるよう
生きてるうちにバラまいて
山ほど徳を積みなはれ

というのはそれは表向き
ほんまはゼニを離さずに
死ぬまでしっかり持ってなはれ
人にケチやと言われても
お金があるから大事にし
みんなベンチャラ言うてくれる
内証やけれどほんまだっせ

昔のことは皆忘れ
自慢話はしなはんな
わしらの時代はもう過ぎた
なんぼ頑張り力(りき)んでも
体がいうことききまへん
あんたはえらい わしゃあかん
そんな気持ちでおりなはれ

我が子に孫に世間様
どなたからでも慕われる
ええ年寄りになりなはれ
ボケたらあかん そのために
頭の洗濯 生きがいに
何か一つの趣味持って
せいぜい長生きしなはれや

出典:天牛 新一郎 氏


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