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陳列された牛肩ロースから考える理想ボデーとは



僕は牛肉が大好きです。

それは僕が丑年であるからであるからなのかは、わからないけれども鉄鍋で牛肉を焼くのが好きなんですよ。(それは同時に共食いを意味する解釈もできそうですが、、笑)

これもね、”霜降り”とか、”さし”があるとか、そういうのじゃなくてね、こう”アメリカン的な肉肉しいタイプ”の肉が好きなんですよね。




力強くて、どぉーーんという重量感のある分厚ぃのが堪んないのよねぇ。。

で、ここからの本題のテーマですが、僕は2日に一回ぐらいの頻度でスーパーに行くことがありますが、
まぁご存知の通りに僕は日々を筋トレという軸で人生を歩んでいますので、よく筋トレ界隈の皆さんがいう様に

「タンパク質!タンパク質!!動物性タンパク質!!!」

と鼻息を荒くしながらまでに、うるさいのはもうお分かりだと思うのです。

そう、この僕も日々を食材からこれがいか程のタンパク質を含有しているのだろうかという目線で、つまりそれは”スカウター”の如く、
勝手にフィルターを通して、頭の中で自動処理がなされるんです。

「こいつの戦闘力はp:25か、とか、」

「ああ、お前は予想に反して、p;15もあんのね、、とか」

そういう目線で日々の食材を見る際になってしまう現象ですが、
そういったことが顕著に現れるところは、やはり”お肉コーナー”なんです。

だって、アメリカンといえばお肉でしょう?
ね??

で、僕は入り口付近のカゴを取るや否や、当然の様に乳製品コーナーは無視、加工品コーナーも無視、お惣菜コーナーなんて無理無理、

で行く着く先がやはり、お肉コーナーなんです。

で、今回は牛肉がテーマですので、日々鶏胸肉も食べますが、ここではもう少し先を歩いて、牛肉コーナーの所まで歩きましょう。

で、立ち止まるのが牛肉コーナーですが、冒頭でも言ったように、僕の体はアメリカンを欲してますので、やれ”霜降り”だとか、やれ”A5ランク”とかのある種ひ弱そうな、お肉には興味がないんです。

頭の中で思い描いた、”あの肉肉しい塊”というものしか目が向いていないのです。

で、物色しているとあるじゃないですか、お目当ての肉肉しくアメリカンチックは塊が。

「なに、アメリカ産、肩ロースとか書いてある。」

最高じゃねぇーか、と感じ入るのは束の間で、すぐに、その肩ロースよりも”より良さげな肩ロース”を探している自分がいるのです。

最後にスーパーに行った時は、肩ロースが残り6つあり、その中から僕は1つを購入したいと思っていました。

で、肩ロースをよくよく凝視した方ならわかると思いますが、それぞれに色々な表情と言いますか、1つとして同じものがないんです。

まぁ、概ねそれは白い塊の部分を見る訳ですが、本当に個体差があります。

僕が買い出しに行く時間は、夕方によく行きますが、ご想像の様に目の前には、”主婦のおばちゃん”を初め、”近所だと思われる草履を履いたおっさん”や、”新婚ほやほやの若妻”の方々が概ね多い印象ですが、あまり食材というものを拘ることが少ないのか、僕の様に肩ロースの前で立ち止まり、”仁王立ち”をし、これはこういう表情であるとか、このお牛さんはこういう生き方をしてきたんだと思うという、”妄想”をすることがないんです。

ゼロですゼロ。

まぁ、主婦の方は毎日家族全員分の食材を買う必要がありますし、もう頭の中ではもう調理が始まっているわけで、必要食材をカゴにいち早く入れるという感じでしょうか、

まぁ僕のように時間があって、一人分の食材しか作らなくて、やたら肩幅がデカくて、こと他人客から見たら輩ですし、邪魔なのは当然のことでしょう。

が、僕は食材選びには慎重にことを運びます。

慎重に、慌てない慌てない、一休み一休み。


で、やっと本題である

「陳列された牛肩ロースから考える理想ボデー」を見ていきますが、主に”脂肪分がいかに少ない”やつを選ぶかが、僕には最重要項目なんです。

陳列された肩ロースの総量は、大体300gくらい、でその内の白い塊が80-90g程、入っているお肉群が多いです。

これは長年による経験ですが、購入した後に自宅に帰って計量機で測ってみると、大体総量の3分の1は白い塊が入っているらしいということが分かりました。

3分の1ですよ。

体重が60kなら脂肪量だけで20kくらいあるということです。

これは人によっては少ないか、多いかは分かりませんが、世間一般的には多いなと感じる人が大多数でしょう。

牛自体はOOkgですので、牛自体の体脂肪量は厳密には理解できませんが、少なくとも目の前の肩ロースはその総量の3分の1の脂肪があるんだということです。

で、そんな白い塊があるものを仕方なく買いますが、できるだけ赤い塊が多いものを選ぶようにしています。

それはファックおっと失礼、ファットではなく”プロテイン”が豊富だから。


[人生は瞬間瞬間を切り取られた集合体である]


人生は点の寄せ集めで、それがやがて線になる、
人生は束の間である、
光陰矢の如し、

なんてよく行く聞くフレーズですが、人生は状態そのものではあるものの、”何かの出来事やイベント”があるたびに、それが”点”としてなっていくものだと思います。

例えば、ボディーメイクもそうでしょう。

現在のあなたの体重は70kで体脂肪が15%です、という状態には変わりはないものの、ふと他人があなたの体を見るとき、ジャッジする時はそれは点というフィルターで判断をしてしまうということです。

点とはつまり、文字どおり点であり、動作を伴わないものです。要は過去形みたいなものです。

あなたの体は、こういう体であるという、それ以上でもなく、それ以下でもない、まさしく点である。
そこには余計な、感情が入ることなく、ただ現実のあなたに焦点が向きます。

それは良くも悪くも。

昨日まで体脂肪が15%だったけど、一夜にしてプチダイエットによって、堪忍袋の緒を切らして、夜な夜な”ミスド”に生き、”ポンデリング100個”食べちゃいました、

それでも物足りずに少し甘塩っぱいのが飲みたいという理由で、”スタバ”で”フラペチーノを5カップ”飲んじゃいました、

それに続いて、やはり”締めはラーメン”でしょ、ということで”替え玉30玉”平げちゃいました、

という感じでたった一夜で、体脂肪15%から20%に化すかもしれません。

で、当然、散々食い散らかした現在のあなたの体重は20%であって、ふと赤の他人があなたを見た時にあなたは”20%の人”という印象になってしまうものなんだということです。

そこには、「昨日までさ、俺はダイエットしていて、もうとうとう我慢できなくなって、一夜で食べ過ぎちゃったんだ」という発言をしたところで、残念ながら他人には、昨日からのあなたという線ではなく、今の目の前のあなたという点でしか、ジャッジができなんだということです。

それは公平性が保たれており、余計な感情がないので、言い訳できないといった清々しさを僕は感じますし、そういった”点思考”も個人的にはいいとは思いますが、、。


で、ここで言いたいのは、人生は自動的に他者によってその瞬間瞬間によって、切り取られているんだということなんです。


これは想像できる範囲で構いませんが、僕は”人生は毎秒毎秒がプレゼンテーション”だと思っています。




「この度、新開発したものがこちらです」

「今年の I-Phone15はこういう機能が搭載されました」

そういう感じで、僕も普段から

「今の僕の人体はこうです」

「僕が理想とする体は、こちらになります」

という意思で、日々を生きていたりもしています。

でも、これは”暫定”なんですよね。つまり、今の、持てる全ての力、リソースをフル活用した結果が、”今のところは”こちらです。」

という具合です。

まぁ、この暫定的というのは最新の I-Phoneがまさにそうでしょう。

最初から、全てが兼ね揃えているわけではないですから、最初から14にいければ”感動”だったり、”喜び”なんていうものは希薄的になってしまうと思います。

というように、僕は会う人、会う人に心の中で密かにプレゼンテーションをしているのです。

「どや、僕の体かっこよくない? ね、思うよね??、よし、トレーニングしよまい」

とあえて言語化をすると、こんな感じで自分でも書いていて、気持ち悪いですけど、(苦笑)
自分というある種、商品として、理想像として、暗黙化でプレゼンをしているというのが現状でしょう。

当然、プレゼンをするということは、何か良いものがあるという条件ですので、それはI -Phoneであれば新商品が、僕であれば筋肉だったり、ということなんです。

で、陳列された肩ロースには、それは僕の価値観との兼ね合いにはなりますが、どうもそういう様な、どこか前向きな気概がないと言いますか、怠惰であるとか、日々怠慢してんじゃないわよ、

と仁王立ちしながら物色してそういう気分に浸ってしまうのです。


あなたは白い塊、赤い塊のどちらに覆われたいですか?

僕は断然、赤です。


アメリカ〜〜ン🇺🇸🗽


筋肉代行屋 J

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