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日々の成長には痛みを、そしてもっと痛もうとする心意気で


こんばんは。

筋肉代行屋 Jです。

もう、かれこれこの様な投稿が16本目となりました。

相変わらず汗臭く、殆どの記事で筋肉色で一点張りな匂いがしますが、いかがお過ごしでしょうか?

今までにご覧になってくれている方は分かると思いますが、「筋トレは楽しいでっせ」と言っているにも関わらず、その重要となる体つき、バルクになるべく術については一切の言及がなく、筋トレブログという位置付けだとしたならば、それは即刻アカウント停止でしょう。


「グラビアアイドル顔負けのお胸育成法」とか、
「鬼の形相計画、デットリフト」とか、
「遠慮と言う言葉を知らない肩幅倍増プラン」とかなど、

一文字として言ったことはないでしょう。

確かに、実際に体を大きくしていくには、そしてバルキーになって行く為には、種目のやり方自体というハウツー的なものは大切になってきますし、これらが定まらないと理想とする体躯になる事は非常に難しいでしょう。

ですが、僕はあえてそれらのメソッドや、やり方となる事は言いたくないのです。

別に言ってもいいかもしれませんが、文字通りそれはハウツーなわけですので、
もはや、それは僕が言っても、ジムトレーナーや、筋トレ系ゆーちゅーばーが言うことに、さほど大差はないからです。

いうことは大して変わらないから。

それよりも、真っ先に僕は伝えたいことがあり、情熱高くシェアしたいことがあリますので、そういった作法みたいな事は言わない、言いたくないといった理由なんです。


今までの投稿で言ってきましたが、より大切なのは”マインドの部分”であるのだ、と。

「なぜ、そのマシンを使うのか?」
「なぜ、筋トレをしようっと思ったのか?」
「なぜ、そのような思いに至ったのか?」
「時間の体感速度はどうなのか?」
「ジムにいる他人はどういうマインドで日々を生きているのか?」

と一例ですが、色々と僕は今までトレーニングをしてきて、あらゆる感情に浸ることがあります。


「「筋トレという名の瞑想である」」

僕は筋トレをやると言いつつも、そのやっている時間はある種の瞑想状態になり、時間の感覚が忘れて、気がついたら2時間半が経過していたなんてザラにあります。

床からバーベルを持ち上げて、引いて、
マシンを引いて、押して、動かして、

としている間にもう当に時計の針は、2.5周回っているんです。

言っときますがトレーニング中は、鏡なんか見ないにも拘らずです。

そこに、鏡で自分の肉体美を見るということも合わされば、もう2.5周くらいかかりそうですね(苦笑)

どんだけ、自分が好きなんだよっていう話ですよね。

まぁ、そんな感じで僕自身もトレーニングに対するパッションが高いわけですが、やっぱりトレーニングを通して色々と生き方を考える事が多いです。

僕の場合は、たまたま没頭対象が筋トレだったり、哲学だったりというものがあるのですが、万人が筋トレを通して瞑想状態に浸れるのか?というと必ずしも慣れない場合が多いと感じます。

だって、そこには痛みが伴いますので、ある種の”変態的エリート軍団”ではないと難しいからです。

一般的には、”苦痛”というものに対してネガティブに考える人が多いですし、筋トレをやった翌日、翌々日、もしくはその日の当日なんてものは、想像を絶するような、未曾有な経験にかつてない痛みが身体中に走るわけです。

あまりの痛みに夜な夜な起きて、体を落ち着かせたり、起床という自分の意識が働くや否やと、同時に鈍器に殴られたような、重い感触が全身に感じるわけです。

朝のアラーム音というある種の痛みですら、一生懸命になりながらも、なんとか目を擦りながら止めようとしている人が、ましてや”筋肉痛”なんてものは、とてもじゃないですけど、絶句するでしょう。無謀にも程があります。

ですので、僕は積極的には筋トレ大事!とは皆がみんなに強く言えないのです。

筋トレというのは、ある種の選ばれた人々が行う趣味、スポーツであるとすら、僕は感じています。


「「痛みの先に喜びがある」」

この痛いというものに対しての、”耐久性”があるのかが成長することにおいて不可欠であるということは、すでにお分かりだとは思います。

辛いけど、もう少し、
眠いけど、もう1ページ、
痛いけど、あともう1回

といった苦痛を超えた先に成長があることは、ボディビル然り、お勉強然り、お仕事然りと1日の中で、必死に生きている人であれば、
このような体感があると思います。

そこで、僕はこの筋トレというものに対して良いと思える最大の理由は、”余力を残すことなく全力で力を発揮できる”から

だと思っているからです。

だって、気を抜いたら”40kgの鉄球”が両脇に落下するから、
油断したら、”120kの鉄のシャフト”が首に落ちてくるから、

死にたくないので、必死になってやるわけです。(笑)

一応、筋トレという行為は場合によっては怪我に陥る可能性だってありますし、中には救急搬送されている方も、今までのトレーニング中に見てきました。

意外と身近に起こるものなんですよ、筋トレというのは、、。

そんな感じでバーを持ったら、ある種の危険レーダーが作動をし、眠い目を擦ってでも、全力になってその瞬間だけは必死になって物体を動かし、晴れてそのセットが終わったら、その人は清々しく輝いていることでしょう。

こういった多少の危険と隣り合わせということによる負荷によって、100パーセントに近い強度というものが発揮しやすいと思うんです。

筋トレというのは。

で、こういった全力での力を出すというものは、スポーツを他において日常ではないと思っています。

良く生理学的にも言われているのは、体の運動機能は脳が司っているので、脳のリミッターを超えることはできないと言われています。

1500m走で、終盤にかけて息が荒くなり、呼吸困難でもうだめだ、もう終わりたいと思いつつも、意外と完走できちゃうという感覚がまさにそうです。

自分では辛いと思っていても、(身体的な苦痛)周りのギャラリー観衆の光の声援によって意外と完走できてしまう、、

そんな経験があったり、聞いたりしたことがあると思います。

体の節々に疲労物質と言われる乳酸が溜まって肉体が弱っていきますが、脳の疲労は肉体的疲労のもう一つ高い次元で判断を下します。

つまり、肉体的苦痛サインはただの錯覚なんだということです。

でも、この体の苦痛サインをある種、無視する行いは極めて難しく、メンタルタフ性が極めて求められますので、そう言った意味でも、あまりトレーニングは世間一般的に見れば楽しくないという理由もわかります。

そんな事よりも、”涼しい場所”で、”柔らかい馬皮製品のソファー”にあぐらをかき、冷やしておいた”キンキンに冷えたコーク”と”小池屋のポテチ”を食べたいと思う人が大半だと思います。

「なんでそんな痛い思いまでしてやらないといけないの?」

「そんな事より、もっと人生楽しいことあるよね?」

「そんな筋トレや鶏の餌みたいな食生活ばかりして、本当に人生楽しいの?」

と過去にあらゆるところで、あらゆる人に言われてきましたが、そんな罵声に僕は一言、二言だけ言ってのけます。

「はい、存分に人生を謳歌しております。」

「筋肉があればあるだけ道が開けるような感じがするんで、、と、、。」

つまり、日々が楽しくて没頭しているんですね。


このブログのキーワードとして、”没頭”という言葉があります。

今回の記事の言葉で言うならば、瞑想

この自分だけの世界に浸れる時間が長ければ長いほど、それは濃い時間を過ごせることのだと思います。

その没頭感を通じて、僕は究極的には、”自分理解をしたい”のだと実は薄々感じているのです。

1番の筋トレの動機がそうかもしれません。

自分をより知りたい。

僕という生き物はどんな時に喜びを感じ、悲しみを覚え、苦しさを感じるのか、

そう言った感情を筋トレを通して、発見したいんだというのが根本的にあるように思っています。

何より、没頭しているときは頭が冴えていますし、脳の活動が著しい働きをしているときですし、

それとは反対に、寝る前とか、しょーもない愚痴の話を聞いているときは脳が停止している、そんな感じです。


脳をより活性化、活発にしていきたい

と思うのなら、やはり没頭を通じて他に未知は少ないように感じます。

自分という人間をどこまで深く知る事ができているのか、
自分は人とはどう違って、何に秀でて何に劣っているのか、
自分は何をしている時が、輝いているのか、

と自分を内省し、より一層深く知る事ができれば、それは人生を生きる上で非常に有意義な濃密な時間を過ごせて、ますます没頭感が高い、QOLを歩めめれると思います。

だって、自分をより知ることで、当たりをつける事ができるから、自身の身の置き場所がわかってくるから。

いわば、確率論的な話です。

メダカが池にいるように、タガメがそういきたいように、彼らは身の置き場所を自ら心得ております。

海に行ったもんなら、片道切符で終わる事ですが、ですが彼らは自分のキャパシティというものをわかっている、生存戦略を理解している、自分の最適な環境がどんなところかがわかっている。

筋トレに限らず、僕は自分という人間を先ずは、理解したいというのが根本にあり、
その上でやれ筋トレだのがあるわけなのです。

そのような理解をするためには、先ずは没頭する必要があると思っていて、この没頭感に浸れるかどうかは人によって、その事象がまちまちですので、特に現状で没頭対象がない方は選り好みせずに、先ずはなんでもやってみればと思うのです。

僕も現代階では筋トレが楽しくて日々をやっていますが、その筋トレ以上に没頭できるものが、この先に出てくるかもしれません。

ですので、そう言った無限の可能性を自らの手で、閉じ込めるのは非常に惜しいので、僕も日々新しいことを少しずつ見つけ続ける人生にしたいなと思っています。

が、筋トレから今まで受けてきた恩恵は計り知れないので、当座は”筋トレ”という色で発信して参りたいなと思っております。


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オーガニック快楽VSサイエンス快楽

筋トレ後の快楽はモルヒネの2.5倍にも達するというのを、どこかの雑誌で書いていたことを覚えています。

筋トレを一生懸命にやった事がある人はわかりますが、終わったあとには、ぐったりすることは愚か、意外とビンビンでそれを表情からしてもそう分かるほどです。

で、”モルヒネ”ですが、僕は薬物には手をつけた事がありませんが、どこかの映画のワンシーンでモルヒネ中毒になっている患者を見た事があります。

とある”病室の一室”で、とある”小太りの男”が”天井”を見上げ、少し前屈みで起き上がっている光景でした。

口を大きく開け、”快楽という文字”が、大きく額に書いたような顔つきです。

が、筋トレ効果はそれよりも遥かに勝ります。

トレーニングを終えると、決まって洗面台に向かって口を大きく開けて、持ち前のプロテインを一気に飲み干します。

その顔つきも、「この筋肉が果たして未だかつて、この世に存在したのかどうかね?」と自信高々と言っているそんな有り様です。

確かに、モルヒネの2.5倍以上の快楽はありそうだ。

痛みをそしてもっと痛みを。


筋肉代行屋 J

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