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美味しいご飯と記憶の話。


皆さま、お久しぶりです。

夏本番ではないけれど、だいぶ夏バテしている気がします。。

あっという間にやってくるであろう八月に
果たして耐えられるのでしょうか、、

さて、今日は
「美味しいごはん」と「記憶」の話です。

一人暮らしを始めて、料理を覚え出したあの頃から
私はだいたい母にレシピを教わっていて、

「ねえ、肉じゃがの味付けどうするんだっけ?」

と、電話越しに尋ねれば

「お出汁と、お醤油と、みりんと、あと、」って

何も見らずとも、教えてくれる母のことを
すごいなあと尊敬している。

しかもレパートリーが豊富で、失敗した時の対策まで教えてくれちゃう。
何かが無い時の代用品とか、ちょっと多く作りすぎてしまった時のアレンジとか。

きっと世の中の料理を作るお母さんお父さんは、
自分の為よりも子どもの為にご飯を作っているような感覚で、誰かに食べさせる料理をすることが日常生活の一部になっているんだろうなと思うと、
疲れ果ててスーパーのお惣菜やテイクアウトに頼る自分や、お菓子で済ませちゃうことがある自分、「明日こそ!」で結局お野菜をだめにしちゃったことがある自分に、しっかりしろよと言いたくなる。

そんな私がなんだかんだ自炊をする中で
食べたくなるのが母の味だ。

最近、茄子の揚げ浸しが食べたいなあと
ふと思い立ってレシピを検索してみたけれど、
どんなレシピもなんだかちょっと自分が最も求めている味とは違う気がして、母に連絡した。

ネットで検索したレシピよりも、
だいぶあっさりしていて、少ない材料だったけれど、いざ作ってみるとやっぱり求めていた味だった。

あ〜これこれ!偉大だ〜〜、、って感動、。

そしてふと思ったのですが、こうやって
「お母さんのあのご飯食べたいな、」って思った時
電話ひとつで教えてくれるだいすきなあの人が今日も生きていてくれてることが本当に当たり前じゃないし、幸せなことだなあと。

私の祖母(母方)は、数年前に亡くなってしまったから母は今どんなに食べたいと願っても、自分のお母さんの料理を食べることはできないのかって思うと、なんだか抱きしめてあげたくなっちゃったり、
私が沢山美味しい料理を作れるようになるからね、って気持ちが溢れた。

母の味って、言葉や匂いとはまた違う「記憶に残るもの」だと思うのです。

今は亡き祖母の料理の味を完全再現できて、
食べた瞬間に泣いちゃったことがある私は、「大切な人の作るご飯」と「記憶」の結びつきは本当にすごいなと感じていて。

学校が楽しくなかったあの日の手作り弁当の優しい味も、

寒い冬に「パンがいいかな?ご飯がいいかな?」って楽しそうに作ってくれたシチューの味も、

「今日ちょっと楽しちゃった〜ごめんね(笑)」って可愛く笑って手抜きしたのかと思えば、とんでもなく美味しかった野菜炒めの味も、

明らかにメインじゃない小鉢に入ってたのに
夏が来る度食べたくなっちゃうあの茄子の揚げ浸しの味も、

もちろん忘れることはなく、
何度だって思い出しちゃう私の大好きな味だし、
それでいて、大切な記憶です。

愛おしいなあ。

この先もきっとそうで、
私も母みたいに料理上手な人になりたいなと思います。

そしてさっきも言ったけれど、
母にも私のご飯で幸せになって欲しいな。


そんなこんなで、しばらくは気合いを入れて自炊を頑張ろうかなと思っている所存です。


いつかいいお嫁さんになる為にも、ね(小声)

お久しぶりnote、ご一読頂き
ありがとうございます。

皆さまも水分補給と体調管理にはお気をつけください。

美味しいもの食べて元気出していきましょ 🍃

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