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Words From いしい④

      ━━━━━━ 前回までのあらすじ ━━━━━━

専門学校を無事卒業したが就職先なんて無くて、バイト先の折り合いも悪くなって辞めざるを得ない状況で再び無職に舞い戻るところに靴の物撮りのアシスタントのお誘いが・・・
果たして、いよいよフォトグラファーとしての再就職は叶うのか、波乱の展開に君はついてこれるか!

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●「美味い」の語源は「甘い」からって知ってました?


卒業と同時に靴の物撮りのスタジオでアシスタントが決定し、安堵感によりホクホクだったがよくよく聞けば「週1・2程度」という事だったので再び収入の不安に陥るマヌケこと、いしい。

空いている時間をフリーでやりつつ新しいバイトやるか~。と絶望的で変な覚悟したが本当にちょうどいいタイミングで
友達から「交通案内系コールセンターの派遣社員枠があるんだけど、どう?」というお声が掛かった。
「えええ、本当かい?!」とマスオさながらのリアクションを取ったのは想像に容易(たやす)い
でも当時は本当に薄曇りの空から光輝くクモの糸が降りてきたかと思った。
時給で換算した時にバイトよりはいくらか高いわけだし、オマケにシフト制だから予定は組みやすいというトコロがとっても好都合。
その段階では食べログとかでいうところの★4とかは付けちゃうよね。

●ピーマンの花言葉って「海の恵み」だって知ってました?


さて本業のアシスタントの最初の仕事は足タレでした。
「・・・どうゆう事なの?」の疑問にそのまま返すと
これから出る予定の靴をいしいが履いて足だけ撮れられたんだよ、言わせんな恥ずかしい!」としか言えないんですが実務的な事よりコレが先でした。
つまり不特定多数に見られるモノを発信する前に、自分自身が発信されていた!
・・・な、何を言っているのか わからねーと思うが おれも 何を書いているかわからないぜ。

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その後に実務的な業務に移行したのですが内容は
大量のスニーカの靴紐の結び直しや新聞紙を中に詰めてスニーカの形を整えて撮影出来るように形成したりするのが8割強で残りがアパレルのアイロンがけやロケでのレフ係や機材補助でした。

ところがいしい自体、手先が死ぬほど不器用なのでバミりの位置からちょっとズレてるところにスニーカーを置くとかザラだし、靴紐の結び直しは超遅かったので結構マジのトーンで怒られてました。マジで不器用さダメな方で極まってました。

クッソ偉そうな事書きますが、これで弱点が見つかったと同時に人物メインで行くのが固まったのと適材適所として物撮りのフォトグラファーは本格的に諦めがつきました。
ただ手数の一つとしてノウハウが身についたし、今もたまに生きる機会があるのでここでの経験は本当に血肉になって体に染みついております。

●サイコロの1の目が赤いのは日本だけって知ってました?

専門を卒業して、アシスタントと併用でメインの収入源としてコールセンターで派遣として働きつつ、フリーランス分の撮影や時間とアイデアがあれば作品撮りを合間合間にこなしていると約1年くらいの時間が経過しており。
この時、心の奥底でぼんやりと「全然稼げてないし、やりたい事は出来てないままじゃなー」という考えが去来しており、味の切れそうなガムを噛んでいるようなボンヤリとした日々を過ごしていました。


━━━━━しかし転機は意外でも無いトコロで訪れる。
じゃあ書くなよ。って話ですが読んでおくなまし。ましましチョモランマ☆

派遣先では1・2つ周りほど年上の方々が面子だったので可愛がられる形で人間関係は良好だった。と自惚(うぬぼ)れ気味に勝手に錯覚するが、そこを統治しているトップとは”前世で何かあったんじゃないか?”というレベルで馬が合わなかった。

というか、そもそもこのトップがとても変わっていたし嫌な人間だった。

まずどう変わっているかというと良い大学を出ているらしく
口を開けば政治の話題(世間的には好ましくないデリケートな話題ですよね?)に加えて、常に自分には自〇党の政治家とコネクションがあると常に吹聴してて、語学も堪能らしくたまに急に英語で話しかけたりして相手(主に女性社員)も反応に困っていた様子だった。
今思えば「こういう事でしかマウント取れない可哀想な人」だなという感じで、書かなくてもお察しだとは思うが職場でも人望は絶望的に無かったし
プライベートも家庭を持っているものの近年は嫁と娘が別居状態でほぼ家庭崩壊しているとかって自分で意気揚々と話してたくらいのバチボコの変人だった。
(ちなみに仕事を振ってくれた友達も当たり前のように超嫌ってた。)

この際、「類は友を呼ぶ」と言い切ってしまうが、そのトップの唯一の腹心(腰巾着?)の正社員とも、いしいと相性が悪くて業務上のやりとりでぶつかった時にあることない事を大袈裟に報告されたかで、そのトップと個人面談と称しながらも皆のいる前での公開説教になり、色んな人の前でパワハラ地味た事を矢次に言われて辱(はずかし)めを受けた形になった。
説教の途中で「もう何言っても無駄だし、いいや」と思い心が折れた半面で「いずれは・・・」とくすぶっていた考えが「自分で環境を変えないといつまでも現状は変わらない」へと急に考えが展開して。


更に自分を追い込もうと翌日には早速(?)、辞職の意を申し出て後戻り出来ない状況を故意に作りました。
早速、シフトの網目を掻い潜りながら残ってる雀の涙ばかりの有給を消化しつつスタジオに入って作品撮りしまくって、急ピッチで補正を仕上げてwifiの容量(当時は7G/月とかの契約)の関係で家のネット環境が死んだりしてたので家で済ませた補正済みのデータを持ってネカフェに連日連夜缶詰めになって作品をWEB入稿で製本化したのに加えて、気合の入った職務経歴書や履歴書の叩きをひたすら作ってました。

なんと公開説教があったのが月初だったので、いしいはその次月には再び当てのない無職へと舞い戻ったのだった!
・・・なんて元気に書くもんじゃないっすね、無職は無職だ。ははは


(´-`)。oO(余談ですが今思い返せば、この時が人生史上で最高に暗黒期だった気がします。あんまりオカルティックな事は書きたくないが、不思議とこの時期は見えない力が邪魔するように予期せぬアクシデントが起こったりする事が多かったと記憶しております。)


しかし辞めた時、医療事務を辞めた時より金銭の面で切迫していた部分もあったが不思議と再就職には変に自信があったのは確かで。
それは写真における武器や手数が多かったし、作品を製本したりと完璧な準備をしていたのでそういう自信に繋がったからかもしれない。


━━━━━━━━━━━━つぁいッ!今日はここまでッッ!!

後半は大分シリアスな感じになってもうたね。


年末のガキ使のシーンみたいにダラダラと続いている、いしいの独りよがりシリーズですが次で最終回です。(もはやお待ちかねですかね?)
次回の「えぇっ!A社の理不尽っぷり、ドキッ!B社の圧迫面接、そして弊社に就職」編で僕と握手!

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