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時空間に花は咲くか(前編)

恋人を笑顔にする魔法はありますか?



5分程度で読める短編です。

以下、本文です。


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買い物袋を下げて家に帰ると、いつもは点けっぱなしにしてる玄関の電気が消えていた。リビングと廊下を隔てる扉越しにも、部屋の電気が点いていないのがわかる。

出掛けたのかな、と思ったがトタトタと軽い足音が聞こえてすぐに理解した。「またか」と思いながら靴を脱いでいると、「駄目だよ、エルフィー」と小さく話しかける声が聞こえたもの極め付きだった。

少しだけ身構えてリビングへ突入するも誰もいない。ように見せてはいるが、エルフィーのふわふわのしっぽと平介のふわふわ頭がソファからはみ出ている。これでも隠れているつもりなんだろうか。

何か言うべきかと考えていると、平介が突然「じゃじゃーん」と古臭い登場音を口で演出しながら飛び出してきた。手には私の好きなお店のケーキの箱。昨日から「冷蔵庫は開けないでね」と言われていたから薄々感づいてはいたけど、こういう算段だったのね。

「あれ、綾子、びっくりしなかった?」

平介が首を傾げている間に、エルフィーは「わふ!」と嬉しそうに足元へまとわりついてきた。きっと長いこと待てをされた状態だったんだろう。後でご褒美のおやつをあげなくちゃと考えながら、「だってあなた、サプライズ下手なんだもん」と笑いながら言った。下手と言われたのに平介もつられて笑っている。

彼なりのサプライズがはじまってから、今日で約二週間になる。春と呼ぶにはまだ少しばかり早いこの頃、コートを手放すのには心許ない気温が続いている。今年は暖冬だと言われていた割に冬は長く、花の蕾たちはその多くが眠ったまま日々を過ごしているようだった。

彼の行動の意図はわかっていた。私は愛犬のエルフィーを抱き上げ、平介にも「ありがとう」と言ってケーキを受け取り、代わりに買い物袋を渡した。彼は満足したのかわからない微妙な顔で、のそのそと冷蔵庫に向かっていった。

もうすぐやってくる、私の一番嫌いな季節。それを少しでも忘れさせるために、平介は日々いそいそとサプライズらしきものを仕掛けてくる。いつもはのほほんとしているくせに、こういうところばかり目ざとい。

平介は買い物袋から冷蔵品を取り出してしまってくれるので、代わりにわたしはとっておきのコーヒーを用意する。インスタントだけど。

エルフィーに牛乳を用意するついでに、平介が使う用のミルクと角砂糖の瓶も揃えた。ブラック派のわたしからすると信じられないほど甘くして飲む彼の体型は、意外にもスリムだ。

反対に身長の高い彼から見ると、小柄なわたしはよく食べるように見えるらしく「綾子の胃は異空間に繋がってるの?」と不思議がられたことさえある。そんなわけないでしょ、失礼な。

おやつの用意が終わると、ちょうど買い出しの片付けを終えた平介がコーヒーの香りに鼻をひくひくさせながらやってくる。二人で席につくと、タイミングを見計らったようにエルフィーも用意したミルクを飲み始めた。

ケーキのラインナップは苺のショートケーキがふたつ、モンブランとピンク色のムースらしきものが一つずつ。定番のショートケーキとモンブランに対して、見慣れない最後の一つ。

首を傾げていると平介が得意げに「桜のムースだよ」と言った。わたしは「さくら、」と言葉を反復しながら、結局モンブランを選んだ。これもきっとサプライズの一つだったのだろうが、すっかり忘れたのか代わりに平介が桜色をフォークで突っついていた。

BGMが欲しくなってテレビを点けると、ニュースが流れ始める。休日の昼下がりのニュースは大抵間延びした話題ばかりで、可愛らしい猫の兄弟の話題にエルフィーが「わん!」と一声鳴いた。

「次のニュースです。昨年度のノーベル賞を受賞したタイムトラベル技術の実用化が進み、今週月曜日から全国で販売が開始されました」

ニュースキャスターのお姉さんがにこやかな表情で告げる。続いて街行く人々のインタビューが流れはじめ、みんなが口々に「あれに使いたい」「これは使えるのかな」と話し合っていた。平介が興味はあるのかないのか分かりづらい顔で「この辺にも売ってるのかな」とつぶやく。

「売ってたよ。昨日駅前のデパートに寄ったときに見かけたし」

「え、そうだったんだ。僕も見たかったなぁ」

口ぶりからするとどうやら興味があるらしい。平介の表情はいつでも読みづらいけど、慣れてくればだいたい分かるようになる。もちろん読み違えているときもあるけど。

「なにか使いたいあてでもあるの?」

「うーん、今のところは駄目にしちゃったはちみつをもとに戻したいくらいかな」

だいぶ前に出掛け先で購入したちょっとお高い蜂蜜の小瓶。とっておきのタイミングまでとっておこうと思ったら、すっかり忘れて賞味期限切れ。食べられずじまいになってしまったのがつい昨日のことだった。甘党の平介は珍しく眉間にシワを寄せて残念がっていた。

タイムトラベルなんて、わたしが生きている間は夢物語だと思っていた。けれど昨年の春、科学雑誌の表紙を飾った「猫型ロボットに会いたくはないか?」の言葉に誰もが飛びついた。コンビニや友人の経営する書店・月下美人でも雑誌は飛ぶように売れたらしく、購入しなかったわたしも色々な知人から見せられた。

漫画やアニメの世界だけだと思っていた、時間を戻したり進めたりする力。とはいえ最先端の科学技術はまだ発展途上中で、使用できる範囲は「無機物」「現在から前後数年以内」と限定されていた。テレビの中のように石器時代に行ったり、数千年先の未来を見られるようになるにはこれからの研究次第だという。

それを聞いて、わたしは脱力してしまった。

「綾子だったら、何に使いたい?」

「そうだな、日本で一番早いお花見でもしようかな」

そう言うと平介は首を傾げて「タイムトラベルは植物には使えないよ」と、真面目な返事をしてくる。「冗談だよ」と言いながら、わたしが春が苦手なのをすっかり忘れてるなぁと思って苦笑いする。そう、わたしは春が苦手で、お花見なんて以ての外だった。

今のタイムトラベル技術では、本当の願いは叶わない。

私の両親は、私が六歳の時に他界した。事故だった。これは少し経てってから私を引き取ってくれた叔父夫婦から聞いたことだけど、二人は幸いなことに即死で、苦しむことなく亡くなったらしい。せめてもの救いだ、と子供ながらに思っていた。

近所に住んでいた叔父夫婦のおかげで、私の生活は良くも悪くもさほど変わることがなかった。それまでの友達、それまでの学校、それまで住んでいた街、何も変わらなかったけれど、私の根っこだけが居場所を失ったように浮いてしまった。

そのせいなのか、それとも私の性格なのか、大学時代はほとんど家に寄り付かなかった。とはいえ非行に走ったわけではなく、単純に学校のとき以外は大抵世界中を巡っていた。色々な場所へ行き、色々なものを見て、色々な話を聞いて回っていた。

平介とは、そんな根無し草みたいな大学時代に出会って結婚した。彼は私とは正反対で、生まれ育った東京の下町から出たことのないような人。いつものほほんとして、考えているのか寝ているのか判断ができないような顔をしている人。

今は平和な毎日に満足しているけれど、春先の温かい風だけはどうにも苦手だった。桜がつぼみを開きかけた冬の終わり、近所の公園で遊んでいると友達のお母さんが慌てた様子で私を迎えに来た。このときすでに両親は亡くなっていたんだろう。家族三人で「桜が咲いたらお花見をしよう」と言った翌日のことだった。

その時のことはもうよく思い出せないけれど、毎年桜が咲く頃に訪れる命日に無自覚に心が沈むのがわかった。だからわけを知っている友人たちはわたしを花見に誘うことはない。以前勤めていた会社で企画されたお花見にも、なんとなく足が遠のいてついに参加できなかった。

冗談みたいな「お花見嫌い」はわたしの心と周囲の人たちを触れて歩き、今でも変えられずにいる。憂鬱でもなく、不便でもなく、ただ立ちはだかるようにいつも春の温かい匂いとともにあった。

もはやそんな話も忘れて、ただサプライズを楽しんでいるんじゃないか、この男。ソファの下にずり落ちるように座った平介の後頭部を軽く小突くと、ふわふわ頭を揺らして「なんだよー」と棒読みで振り返った。




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お読みいただきありがとうございました!

後編へ続きます。

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