絶望はどこにでも転がってる
僕は福祉の仕事をしている。
福祉という言葉は
福「さいわい、幸せ」
と
祉「さいわい、幸せ、神のめぐみ」
というふたつの意味でできいる言葉だ。
どちらの文字も「幸せ」という言葉が入っている。
昨日、行政との話し合いがあり、行政の考えが「福祉」とかけ離れている、つまり、住民に幸せを与えるはずの福祉が行政のコントロールによって阻害されていると感じた。
僕はこの打ち合わせの後からとても落ち込み、この落ち込んだ気持ちを持ったまま仕事をしたくないと思い、いまこうして文章にしている。
僕は落ち込んだ時に文書を書くことが多い。
言葉にすることで気持ちが落ち着くのだ。
といっても根本的なことは解決していないので、文章を書いている時だけの、言わば、現実逃避というものだ。
これから仕事に行かなくてはならない。
行きたくない。
誰とも話したくない。
とりあえず、抗不安薬は服薬した。
この気持ちは落ち着くだろうか。
このモヤモヤは晴れるだろうか。
この絶望は消えるだろうか。
福祉とはなんなんだろうか。
行政とはなんのために存在するのだろうか。
税金はなんのために摂取させるのだろうか。
僕の存在意義はなんなのだろうか。
そんなことを考えてても社会は、世界は、いつもと同じように回っている。
そんな世界で生きるのが辛くなる。
でも、生きなきゃいけない。
絶望。
地獄。
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