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最近の変化と学び

今日は大人になってから感じた私の変化について書こうと思う。

ズバリ、「引きがすごい」ということだ。
語彙力のなさが際立つが、あえてこのような書き方をしている。
本当にあれよあれよとこの数年間で色んなものを引き寄せてくる自分の纏う「見えない何か」に、自分で怖いと思っているくらいなのでこんな過剰な表現の仕方をしている。

私は学生時代が終わって社会人2年目が終わるまでは、本当に気分の波が激しく、しょっちゅう病んだり昂ったりを繰り返していた。
HSS型HSPだという事がまだわかっていなかったり、自分でコントロールする術を模索中だったこともある。

そんな自分にとって大きかったのがコロナ禍だ。あの時「自分は何をしたいのか」という部分に嫌なくらい向き合わされたおかげで今があるといっても過言ではない。
例えば人間関係。
社会に出てから気づいた、それまで大して仲良くもないのに学生時代から引き摺り続けてきたフォローし合うだけの関係。変な部分で心のエネルギーを消耗しないように長い自粛期間で関係を1から整理した。



次は表現に対して。
自分は何のために表現したいんだろう。という事にぶち当たった時期だった。
何をしてもうまくいかない。好きなものだけを書きたいときに描いて、こんなんじゃ誰かの心に刺さるどころか、自分の満足いくところさえもいけない。忙しいのをいい事にして逃げていた事に気がついて、自分の向かうべきところを見定めるためにこれからについての事を考えていた。
おかげで自分の身の回りから手放すことのできなかった物をようやく手放すことができて、より鍛えたいことが明確になった状態で日々を過ごすことができるようにもなった。

そうやって色んな事に対して、これはいるのかいらないのか、自分の考えをはっきりさせていくことで変な欲が消えていった。自分のコントロールができるようになったのだ。
ありのままを肯定できるようになった時、不思議なことに心で密かに願っていたことがどんどん叶い始めた。

憧れていた人に会ってお話ができた、波長の合う人とたくさん出会って色んな創作のヒントをもらえた、倍率が高くて行けるか難しいと思っていた公演に全て当選したり、何気なく話していたことを覚えてくれていた人が自分のステップアップにつながる機会をくれた、などなど挙げればきりがない。

しかも不思議な事にそれがすごい頻度で起こる。
この前だって2年ぶりに会う友達と話しをするためにお互いの予定が合う日から妥当な日程を選んでお茶をしていたのだが、その日に大阪に住むお互いの共通の親友がたまたま仕事で東京に来ていて、3人で久々の再会ができた、なんて事もあった。その親友は土日休みが滅多に取れずこちらが大阪に行ったとしても会える時間がなかなかない子なので、こんなにも偶然が重なることに驚きでいっぱいだった。

あとは親友が誕生日プレゼントにお線香をくれたのだが、それがたまたま胃痛を治すきっかけになったという事も、タイミングがあまりに良すぎてびっくりした。
他にも切符を買おうとしていたら急におじさんがメトロで1日使える回数券を「もったいないから」と譲ってくれたり(何かあるんじゃないかと思って気持ちだけ受け取って使わなかったけれど)、話したいことがある人と話すタイミングがたまたまの流れでできたり、と日々色んなことが起こる。



もちろん良いことばかりではなく、ついてないなと思うこともある。でも回り回ってそれが良い結果につながることの方が多い。
というよりも、悪いことさえ常に良いほうへと捉え方を変えられるようになったのが大きいのかもしれない。

情報が溢れすぎる社会だからこそ、自分に不要なものは潔く捨てたほうが自分の思考がクリアになるのを感じている。
兎にも角にも、周りの目は気にせず変な承認欲求に飲まれず、今、自分のしたい事に貪欲になって愛を持って生きていたら、素敵なことが向こうから寄ってきてくれるという私の中での学びだ。


読んでくださりありがとうございます。 少しでも心にゆとりが生まれていたのなら嬉しいです。 より一層表現や創作に励んでいけたらと思っております。