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これが私の生きる道

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家事とスクラム

家事とスクラム

はじめに里帰り出産で10数年ぶりに実家で暮らしてみたら、母がまるでダメなPOそのものだったので少し分析してみました。

分業制からスクラムチームへもともと我が家はスクラムチーム制ではなく完全分業制だった。
父は外で働き、母は家事、子供は勉強、古き良き昭和のスタイル。
そうやって40数年運営されてきたわけだが、事の発端は母が転んで足を骨折し、家事に支障をきたしたところから始まった。

分業制は各人の

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はじめに

たまーに長文書きたくなるので、むかーし登録したnoteを掘り起こしてみた。

東京の八重洲付近にある、大企業病末期のそこそこ大きい会社に勤務している会社員です。主にB2BとかB2Cのサービス開発をしていて、役割はプロダクトオーナーのような、ディレクターのような、そんなようなものです。

その昔はデザイナーとしてベンチャー企業を何社か渡り歩き、Web業界に合計10年くらい生息しています。その前はフリ

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専業主婦の母親に育てられた30代の女にかかっている呪い

専業主婦の母親に育てられた30代の女にかかっている呪い

母が送った女の一生30代女性の母親世代というと大体50代後半から60代前半層になる。
この年代は、社会に出て働いた事こそあれ、頑張ってキャリアを積んできたような人は少ないと思う。腰掛け就職からの寿退社、専業主婦歴30年コースがメジャーだろう。
そうやって幸せに60年間を生きてきて、そこには一定の自信と成功体験がある。そんな人生観を持った母親に育てられた女には、とある呪いがかけられている。

母がか

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漫画家だった

漫画家だった

会社員になりたくなくて漫画家になった理由は簡単だ。会社員になりたくなかった。
毎日同じ時間に起きて満員電車に揺られ、夜遅くに帰宅し、家には寝に帰るだけ。そんな暮らしは絶対にしたくない、と小学生の頃から思っていた。
なぜなら、物心ついた頃から父親がそんな生活をしていて、全く楽しそうに見えなかったからだ。

要は在宅ならなんの仕事でも良かったわけだが、絵を描くのが好きだった。
家で絵を描く仕事、となる

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