見出し画像

「流れを変える突破口。」


アビジット・V・バナジーとエステル・デュフロによる共著・「貧乏人の経済学 もういちど貧困問題を根っこから考える」を読んだ。


貧困層の経済生活を調査し、
貧困から抜け出すためにはどこで・なにを・なぜ後押しすべきかを説明したこの本を読むことで、

貧乏な人は何ができて、何ができないのか?
がハッキリと見えてくる。


援助団体やNGOは

「学校に行きたくても行けない子どもたちがたくさんいます。」

とか、

「飢えている子どもたちがたくさんいます。」

といった宣伝パンフレットを作り募金を呼びかける。

多くの人はその文言に見慣れ、貧困層の暮らしはお金があれば解決すると思い込む。

でも、貧困の本質はそこじゃないんだ。

学校に行きたくても行けない子どもたち、飢えている子どもたちがいるのはウソじゃないけどもっと考えることがあると著者はいう。



なぜ、著者はお金の援助が本質じゃないと語れるかというと実際に現場を見てヒアリングしたからだ。

二人が見た現場は

・飢えている人でもカロリーより美味しいものやテレビ(娯楽)を選ぶ。
・就学率が上がらない理由は学校がないからではなく、学校に行きたがらない、行かせたがらないから。
・マイクロファイナンスは悪くはないけど、特別効果があるものでもない。

といったもの。


俺は、この本を読むまで貧困層の暮らしと言えば宣伝パンフレットのイメージ通りの印象を持っていたから驚いた。

貧乏なのに、飢えているのに、苦しいはずなのに、そっちを選ぶの?と思う場面が幾つもあった。



じゃあ、なんで苦しいはずの人たちは貧乏から抜け出せないような選択を取るのか?

俺は、知らないからだと思った。

もちろん問題はそれだけじゃないし、様々な経済理論を展開させる必要はあるから「知らないから」と一言で済むことではない。

だけど、貧困層の人たちは想像以上に知識が足りないんだ。

飢えていてもカロリーより美味しいものや娯楽を選んでしまうように、

知らないから貧乏を抜け出すための最適解を選べないんだ。



そして、その「知らないこと」が貧困の流れを生んでいる。

そもそも知るには、情報にアクセスする力だったり、読み解く力が必要なわけだけどそこにはお金がかかる。

でも、貧困層の人たちは知るために使うお金がないから知ることができない。

1日120円で暮らしている人たちが情報にアクセスなんかできるわけがないんだ。



その知らない状況が続くとどうなるのか?

援助をして最適解を教えてあげてもそれを拒むようになってしまう。

つまり、人も未来も信じれなくなってしまう。

なぜかというと、最適解だからといって結果が出るのは先のことだからだ。

目に見えない先のことを期待して我慢してカロリーの高い料理を食べるより、瞬間的に快楽を感じれる美味しい料理や娯楽を選ぶんだ。

これじゃ永遠に貧乏からは抜け出せない。



つまり、

貧困→知らない(知れない)→人や未来を信じれない→我慢できない→最適解を選べない→貧困から抜け出せない


これが貧困の流れだ。



ただ、この流れはなにも貧困層だけの話ではないと感じる。

豊かな国に住む人でも経済的に苦しんでいる人はいる。

その原因は「知らないから」かもしれない。
勉強をしていないから・知識がないからかもしれない。

なのに、娯楽を優先させているんじゃないのか?

苦しいはずなのに瞬間的な快楽を優先させているんじゃないのか?

世界の貧困層の人と、豊かな国で苦しんでいる人との違いはアクセス力だ。

大してお金がなくても豊かな国ならアクセスができる。

前にもまず知ることが大事だと投稿したけど、この本を読んで改めてそう思った。


情報にアクセスしよう。

知ることが突破口になる。



この記事が参加している募集

推薦図書

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?