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「《期待》は人を殺す。」


今日のブログはこちら!

人間は性には逆らえない。


だとしたらどうするべきか?を知りたかったら読んでみて!




では、本題。


映画・「いまを生きる」を久しぶりに観た。


舞台はバーモントにある伝統的な全寮制学校。

そこに赴任してきた自由なキーティング先生と、厳格な規則に縛らている生徒たち。


先生の授業は教科書を破らせたり机の上に立たせたりする風変わりなものだが、一貫して誰にも縛られずに自由に生きることの大切さを伝えている。


生徒たちはそんな先生に最初は戸惑いつつも、だんだんとその考えの大切さに気づき行動を変えていく。

生きる上で何が大切なのか?大切なものを奪われたらどうなるのか?を描いた青春映画。


約一年前にこの映画を紹介したときはキーティング先生の素晴らしさを書いたから、今日はこの映画の悲しい部分について。


この映画を観れば、「期待」が人を殺すんだとわかる。



生徒の一人であるニールは、父の言うことには逆らえなかった。


たとえば、


「勉強がおろそかになる可能性が高いから課外活動からは手を引け」と言われたら絶対に手を引かないといけない。


それでもニールは学生生活を楽しむ中で、「役者」というやりたいことが見つかる。

「今まで父さんのせいで諦めていたけど、
初めて自分のしたいことがわかった。
父さんが何だろうが”今を生きる”!」


と意気込み、舞台に向け芝居に励むようになる。



ただその芝居活動が父親にバレてしまい、

お前には失望した。
こっちはお前のために犠牲を払っている。
期待を裏切るな。


と、大激怒されてしまう。



それでもなんとか舞台を演じるが、その一回きりで父親に強制連行される。

そこで、

「明日から陸軍学校に転向し、ハーバード大へ行き、医者になれ。
お前の可能性をムダにはさせんぞ」


と告げられ、その宣告に絶望したニールは自殺をしてしまう。


つまりニールは、親の「期待」を勝手に押し付けられ、自分の「希望」を潰された結果死んでしまったんだ。




今までnoteで何度か書いてきたけど、ほんと「期待」なんてエゴでしかないんだよね。


それなのになぜか、


「期待に応えることが正しい」「期待に応えなければいけない」


のようなクソみたいな風潮が蔓延っている。


でもニールを観ればわかるけど、他人の期待(エゴ)に応えようとすると自分の人生は歩めないんだよね。


だって、

【他人の期待(エゴ)>自分の希望】


この状態になっているってことなんだからね。



それに、他人に期待しないってのも重要だ。


自殺したニールの姿を見た父親は、

「なぜこんなことに!」


と嘆いていたけど、流れを知れば全人類が「お前だよ!!」とツッコめるでしょ。


そう、他人に期待をしてしまうと自分が正しいと思ってしまうんだ。


そして期待している相手に対しては、思い通りになって欲しいと願い、思い通りにならないとイラついてしまう。


もちろんそこに他人の希望や意志は関係ない。


つまり他人に期待すると、何も見えなくなるってこと。



学生や自立が難しい若いときは期待に応えがちだし、大切な子どもや後輩には期待しがちだ。


気持ちはわかるけど、


他人の期待(エゴ)に応えることが自分の人生なのか?


自分は期待(エゴ)が強すぎるんじゃないのか?


は常に考えないといけない。


《期待》は人を殺すんだ。

期待に応えるな。

期待するな。



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