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虐待された人が楽しい人生を生きるためにすべきこと②

「虐待された人が楽しい人生を生きるためにすべきこと①」の続きです。

母からの価値観・嗜好・思想に対する拘束はすさまじいものでしたが、なかでも一番困ったのが

「感情を表現してはいけない」
「腹が立っても自分の部屋で沈めてからリビングに来なさい」

というもの。

・泣いてはいけない
・怒ってはいけない

これを小学生以下の子どもに真面目に叱るのです。子どもが自分一人でなんとかしろ、と。

実は、カウンセリングの父と云われるアメリカの心理学者カール・ロジャースの家庭もこのルールだったそうです。

私が、母から体罰を受けたきっかけの9割は、これが原因でした。

小学生時代の私は、成績もだいたいクラスで1〜2番。特に問題も起こすタイプでもない。宿題もちゃんとやっている。自ら進んで自由研究もしていました。人に意地悪して学校から呼び出されたことも一度もありません。母は学歴重視の人なのでそこは認めていました。ところが、「感情を出す」だけで叱られてしまうのです。

母曰く「感情を出す」のは野蛮で低俗な人間のすることなのだそう。

母「怒らない! 『ごめんなさい』と言いなさい!」
私「ごめんなさい。でも……」
母「怒ることがダメって言ったでしょ! 約束しなさい。二度と怒りませんと言いなさい!」
私「ごめんなさい。もう怒りません」<棒読み
↓ ↓ 数日経って姉妹喧嘩などで怒る
母「約束したのに怒った! お尻出しなさい!」
と叩かれるのです。

この繰り返しでした。

なんだかもう茶番ですよね(汗)。母は、まるで私に叱るきっかけを待ち構えているようにさえ、感じていました。そして、自分への怒りじゃないものまでをぶつけられている……とも感じていました。

よく考えたら「感情を出しなさんな!」と母の感情をぶつけられているのだから、理不尽でたまりません。

一般的には、悲しいことがあれば、まずはその気持ちを聞いてもらったり、慰めてもらったりするのが、健全な親子関係だと思います。

ところが、私の母は感情を閉じ込めて「冷静に話す」ことを子どもに求めるのです。

話したところで、母は面倒な人間関係をすべて切り捨ててきた人で、相手とどう関係性を育むかを考えたこともないため、「話さなきゃいいのよ」「嫌なら離れたらいいのよ」と、ちっとも参考にならない主観的な「彼女の正解」を返してくるだけなので、あまり相談をしたこともないのですが。

姉妹で喧嘩したら、その内容や原因を聞くよりも、まず「感情的になっている」ということで叱られていました。


「感情」とはエネルギーである。

オステオパシー医が古今東西の伝統医療などを学んで確立したアメリカのセラピー『ポラリティセラピー』では、そう教わりました。

「感情」という内面から湧き起こってきている生きたエネルギーを、「自分でマネジメントしなさい」という親だったのです。

彼女がよく話していた言葉は、「我慢」「努力」「美学」。感情も「我慢が大事」なのだそうです。感情を消す、無視する。忘れる。

「感情」がエネルギーなのだとしたら、本来、「コントロール」はできないものだと思います。

コップに溜まってきた水が表面張力でなんとかこぼれないように溜まっている。そこにまた新たに水を入れると……こぼれますよね?

感情もこのコップの水に似ています。

我慢して溜め込んだとしても、いつかは抱えきれなくなってしまう。そして、それを「目の前のできごと」と、そこに関係する人にぶつけてしまう。

エネルギーって、そんなものではないでしょうか。

心理学では「怒り」は二次感情と言われます。……なんて書いてみていますが、私は小学生時代に自分や友達を観察していて「悲しいから怒っているんだな」と気づいていました。

そう、「悲しみ」が一次感情と云われているのです。ほかにも、失望、落胆、寂しさなどが、一次感情であり、結果、なんらかの目的を持って「怒り」として表現していることになります。

怒りの前に、まず「傷ついた」という悲しい事実があるのです。

この悲しみを、たくさん味わってきた人は、常に、心のコップの中が悲しみでいっぱいです。積み重ねてきた悲しみという感情で、表面張力状態。だから、なにかきっかけがあると、目の前にいる人に怒りをぶつけてしまったりするのです。

よく職場の上司で、いつも切れる人っていますよね? あれは、まさに「過去の悲しみの積み重ね」があるからこその、爆発なんだろうと思います。

悲しいから、怒る。

イライラする理由は、傷ついたきた過去の体験の産物でもあります。溜め込んでいる悲しみをそのままにしているから、すぐに感情がこぼれてしまう。

ゆえに、心のコップにいっぱい溜まっている「悲しみ」を、しっかり手放さなければ、いつまで経っても、私たちは、他者との関係をうまく築けないということになってしまいます。


溜まった感情を外に出す方法は?

さて、コップの水と表現しましたが、実際には、悲しみは火山のマグマのように私たちの体内に潜んでいるようなイメージを私は持っています。このマグマのように溜まってしまっている悲しみ(怒り)は、実際に、どのように外へ出せばいいのか。過去さまざまな書籍やセラピストへの体験取材をヒントに私がやってきたことは……

①感情をしっかり味わう(悲しみをなかったことにしない)
↓  ↓  ↓
②しっかり泣く・怒る(感情をしっかり発散する)
↓  ↓  ↓
③自分に対してねぎらう(「がんばったね」「もういいよ」と声をかける)
↓  ↓  ↓
④相手に対して心の中で「ありがとう」と言う(思っていなくていい)

辛いできごとの相手との直接対決は、避けたほうがいいと思います。相手が親ならなおさらのこと。親の写真を向かい側に用意して、その写真に向かって話をしてみるのです。

・なにが悲しかったのか
・なにがいやだったのか
・自分はどう思っていたのか
・どうしたかったのか


話して出てくる感情を素直に味わい、言葉を写真にぶつけてみる。エネルギーをぶつけてみる。「大嫌い!」「憎んでる!」と言っても構いません。

ぶつけた後は、必ず自分に対して「がんばってきたね」「つらかったね」「もう大丈夫だよ」とねぎらいの言葉をかけてあげてください。

そのうえで、全然思っていなくていいので、親の写真に向かって「ありがとう」と伝えます。

こういったセレモニーを自分でやってみるという方法がひとつあります。

カウンセラーや国家資格を持つ臨床心理士のところに行っても、よほど自己一致しているカウンセラーでなければ、ちゃんと受け止めてくれた感じがないことも多々あると思います。しかし、これならひとりでできます。

心理学ではエンプティチェアという手法があるのですが、それに近いものだと思います。

天外伺朗さんの書籍『問題解決のための瞑想法』では、「親殺しの瞑想」という手法も載っていますので、こちらも参考にされると良いと思います。天外伺朗さんは、元ソニー常務取締役であり、AIBOやCDなどの開発に携わった人です。経営者向けのビジネスセミナーをするなかで、親子関係の確執が、その人の成長を妨げていることがあまりにも多いため、こういった瞑想もセミナーのなかでおこなっているそうです。

今回は、私がやってきた方法をお伝えしました。前回の記事は、『ポリヴェーガル理論入門』の訳者の花丘ちぐさ先生が書かれた『その生きづらさ、発達トラウマのせい?』を参考に記していますので、こちらもぜひ参考にどうぞ。

(虐待された人が楽しい人生を生きるためにすべきこと③ 〜負のフィルターを取り外す〜 につづく)


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