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映画『HOKUSAI』映像の魅力(前編)重三郎と歌麿のシーン

先日、映画『HOKUSAI』の
レビューを書きました。

この作品は、
映像がとても魅力的な
作品だったので、

特に「映像」について
書きたかったのですが、
「興味のない人にも伝えたい」
というのもあって、

その辺のことが
書けなかったんですよね。

この記事では、
映画『HOKUSAI』の
映像の魅力について書きます。

観はじめてすぐに、
「これはきっと
 映像がすごい作品だ」
というのを感じました。

なぜか、と言われると、
よくわからないんですが、
いろいろ観ていると、
直感が働く時があるんです。

そして、私の読み通り、
序盤から、
すごいシーンがありました。

そのシーンは、
版元(今でいう出版社)の
蔦屋重三郎(阿部寛)が、

遊郭にいる
喜多川歌麿(玉木宏)の
もとを訪れるシーンです。

喜多川歌麿(玉木宏)
公式サイトよりお借りしました)

絵師・歌麿は、
重三郎に雇われて
絵を描いていました。

歌麿は遊郭に寝泊まりし、
そのお代は、
すべて重三郎持ちです。

このシーンは、
重三郎が仕上がった絵を
取りに行く様子を
捉えたものでした。

本作は全体的に、
室内の明るさが暗めに
作られており、

夜ともなれば、
その暗さは一層増します。

この時代は、
電灯がないですから、
その暗さがとてもリアルに
感じられますね。

もちろん、時代劇でも、
ものによっては、
もう少し画面を
明るめにする場合もありますが、

これくらいの暗さが、
リアルであり、
見やすいバランスも
保たれています。

重三郎が歌麿のもとを
訪れるのも夜でした。

遊郭も入り口は
華やかで明るいですが、
中は真っ暗です。

店の者に先導されながら、
重三郎は歌麿のいる座敷に
やってきました。

重三郎が座敷の中に入ると、
丁度、歌麿が花魁をモデルに
筆をふるっているところでした。

ここの見せ方が
ものすごく
おもしろかったんです。

そのシーンを
文字で描写してみましょう。

重三郎が座敷に入ると、
歌麿は布団にいる花魁を
モデルに絵を描いていた。

映像が切り替わり、
視界が一瞬ボケる。

よく見ると、
画面の手前側にあるのは、
花魁の腕、

その腕越しに、
歌麿がそれを凝視しながら、
筆をふるう姿が見える。

また画面が切り替わり、
今度はカメラの視点が、
座敷の奥から入り口の方を
捉えた画になる。

その視点は低く、
座敷の隅から斜め上に
見上げた構図になっており、

手前側が広く、
奥に行くほど
狭くなっているように見える。
(魚眼レンズのような見え方)

このシーンの
画面の展開が絶妙でした。

このあと、重三郎が
歌麿の完成した絵を
手に取るカットに
移るんですが、

またしても、
座敷の隅の下方から
斜め上に見上げた
構図になります。

先ほどは、
画面の右側の隅からでしたが、
(歌麿が座っている位置)

今度は、
画面の左側の隅からの
ショットです。
(花魁が座っている位置)

この時に、
重三郎が畳の上に置いてある
絵に手を伸ばし、
姿勢を低くするのですが、

カメラの視点も
そのタイミングに合わせて、
上下します。

画面が揺れるんです。

全体的に静かなシーンですが、
非常にエキサイティングな
カメラワークになっています。

こういう小さなギミックの
積み重ねが映像作品では
重要なんですよね。

そして、重三郎は、
歌麿の絵を見て、
次のモデルの話をはじめます。

ここに描写したのは、
時間にして、
1分ほどの短いシーンですが、

重三郎が口を開くまで、
セリフは一切ありませんでした。

会話のようなものといえば、
重三郎と歌麿の
視線のやり取りだけです。

重三郎「絵はできたか?」
歌麿「そこにある」
(それぞれ一瞬、
 アップのカットが挟まれる)

みたいなやりとりを
セリフを用いずに
観客に伝えるのです。

私は優れた映像を観た時に、

このような
セリフや文字によらない表現に
とても感動します。

なぜならば、
こういった表現は
映像ならではの
魅力だからです。

また、このシーンに
出てくる遊郭の座敷の
装飾も非常に良かったですね。

紫を基調にした配色で、
襖(ふすま)や天井に描かれた
鳥のようなビジュアルも
魅力的でした。

先ほどの低い視点から
見上げるカメラワークは、
魅力的な背景を見せる
意図もあったのでしょうね。

なお、劇中では、この座敷が、
もう一度出てきます。

そのシーンも
かなり魅力的だったので、
次の記事で紹介しましょう。


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