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大人のADHDと向き合う

私はずっと昔からADHDなんだと思う。

幼少期から認められるからこそADHDなのだけれど、自分で確信をもってそうかも!と思ったのは、意外とここ数年の話だったりします。

それまでも、部屋の汚さからもしかして?と思うときもあったけれど、そこまで深刻に考えてませんでした。

初めての一人暮らしはドタバタ

今思い返しても、学生の頃の私は身の回りの事が何もできていませんでした。

電気ガス水道がいつ支払ったのか、催促状もどのにあるのかわからず、毎月のように、いつ止まるのかヒヤヒヤしていました。
実際に電気もガスも水道、全部止まらせた経験があります。

部屋が汚くて家の鍵が見つからず、ひと月鍵をかけずに過ごしたこともありました。

そういえば、自転車を3台ほどなくしたこともあります。
自転車に乗って家を出たのに、帰宅時は徒歩で帰ってきてしまい、そのままどこに自転車があるのか分からなくなってしまいました。

毎日がギリギリのライン

お金の管理もできないので、何も食べないで過ごす日もありました。
なけなしの現金でタバコを買い、溜まっていたTポイントで菓子パンを買ったりもしていました。

1日1日がギリギリのラインで、まさにその日暮らしだったと思います。

でも、この頃の私は、たまーに気分が落ち込む事もありますが、基本的に自分のことが好きでした。

自由に生きているって気持ちいいー!!
と言わんばかり、やりたいことをやっているこの時期は楽しかったです。
大学生にも関わらず、大学にも行かず、毎日お酒を飲んで音楽に没頭していました。

自分の興味のあることをひたすら調べたり、のめり込んで、毎日を過ごしていました。

社会人の私は?

社会に出て、1人前になること を強いられるようになってから私は随分変わりました。

仕事は、やりたいことだけ一人で没頭しててはいけないし、たいてい締切がある。
振られたタスクが沢山あっても、そこには見えない優先順位が本当はあって
求められるのはスピード感と、正確性だったりします。

いくつもいくつも仕事をこなしていくにつれ、自分が人より劣っているんだということに気付かさざるを得ませんでした。

メールの誤字脱字。
一度読み返す度に出てくるバグ。
月に一回は忘れる社員証。

社会人1年目ならまだしも、アラサーの私が許されるようなミスじゃありません。

人と比較したら自分は死ぬ

自分のことは、なんだかんだ言って好きです。
自由な自分のことも、こうやって人生上手くいかないよと嘆いている自分も、
ずいぶん人間臭い生き方で、毎日がなにかの物語を読んでいるようで、意外と悪くありません。

でも、私が試行錯誤していることをなんてことなく乗り越えて行く人がいるんです。

私はなんで大人なのに頑張らないと何も出来ないんだろう..

そう思った瞬間、動けなくなりました。

人一倍二倍もメールのチェックをしたり、必死に電話口の名字を聞き取り、
忘れないように忘れないように、と頭の中で何回も唱えて。
私のやりたいこと楽しいことは、いつしか毎日のやらなきゃいけない事でいっぱいになっていきました。

ひたむきにのめり込んで楽しんでいた毎日もなくなって、自分が死んでしまったのではないか?という感覚すらあります。

ADHDらしくいる

ココ最近、この生きづらさをどうしたらいいのだろう?と考えていました。
いきいきと生きるには、強みを伸ばして、弱みを諦めることが必要なのかもしれない。と思いました。

自分にできないことばかりにフォーカスを当てていたために、どんどん自己評価が低くなっていくように思います。

強みを活かすためには、環境が大事です。
強みを活かす場所、評価してくれる人が身近にいなくては、結局できないことに頭を悩ますことになるから。

自分に出来ることはなんだろう?
自分が時間を忘れてまでのめり込むことはなんだろう?

それでお金を稼ぐのは難しいかもしれない。
でも、自分ときちんと向き合えば、今よりは自分が幸せになる環境が見つかるかもしれない。
大人のADHDは、自分で考えて行動を起こすチカラがあります。

ADHDには衝動性もある。
ターゲットさえ見つけてしまえば、誰にも止められない行動力があるんです!

私は、今日も、また自分の気持ちを整理して、自分についてゆっくり考えて見ようと思います。

耐え凌ぐ人生ではなく、私も自分に自信を持って生きていきたいなーと、夢みながら。

#ADHD #発達障害 #大人のADHD #メンタルヘルス #エッセイ

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