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rakugaki_119「美術館へ行こう!【広島編】ひろしま美術館」


ひろしま美術館

私には「美術鑑賞」という唯一の趣味があります。
その「趣味」にもブームがありまして、第一次ブームが1985年〜1987年。
第二次ブームが2009年〜2018年。
第一次ブームの1987年から第二次ブームがはじまる2009年まで20年以上の月日が経っていますが、その間にも何回かは美術観賞をしています。
ただ「ブーム」の期間は、集中的に「美術館」に出かけているので「ブーム」なんですね。
このブログでは、私の大好きな「美術館」に出かけて、観賞した「美術展」の感想とともに、「美術館」の魅力が一緒に伝えられればなぁと思っています。

「ひろしま美術館」は1978年に広島県広島市中区の広島市中央公園内に広島銀行の創立100周年を記念して開館しました。
「ひろしま美術館」には一度だけ訪れたことがあり、その時の美術鑑賞の感想ブログとなります。


●2015年7/11-8/30「スュザンヌ・ヴァラドン生誕150年 ユトリロとヴァラドン ー母と子の物語 ー 」

スュザンヌ・ヴァラドン生誕150年 ユトリロとヴァラドン ー母と子の物語 ー

2010年5月に損保ジャパン東郷青児美術館で「モーリス・ユトリロ展 パリを愛した孤独な画家 」を鑑賞したとき、ユトリロの孤独、アルコール中毒、監禁、写真を見ながらの制作など、非常に辛い画家の人生を垣間見ました。
なので、ユトリロの母親の印象は余り良いものではありませんでした。
ユトリロをこんなに孤独にしてしまった、お金のために画家を続けさせた・・・そんな母親のイメージです。
ユトリロの美術展は数あれど、その母親に焦点を当てた美術展は珍しいのでは?
この美術展は損保ジャパン東郷青児美術館を経て巡回してきたものです。
初めての「ひろしま美術館」です。

本展は、ルノワールやロートレックのモデルを務め、ドガも認めるデッサン力を持った画家でもあったスュザンヌ・ヴァラドンと、その母への複雑な思いから絵を描きはじめることになったモーリス・ユトリロの親子二人展です。
芸術の道を選んだ親子は、いずれもパリの北に位置するモンマルトルで画家として開花しました。
そんなモンマルトルの哀愁漂う街並みを描き続けたユトリロの作品、その源泉ともいえる、母であり力強い線描と色彩をあやつる画家でもあったヴァラドンの作品、合わせて約80点を紹介するものです。
複雑な愛憎が入り組んだ親子関係という背景とともに、天才といわれたユトリロの芸術の源泉をさぐる展覧会です。

ユトリロの絵が「白」のイメージとすると、ヴァラドンの絵はカラフル。
ちょっとセザンヌを思わせるタッチです。
ユトリロの絵が感情が欠落しているように観えるのに対して、ヴァラドンの絵は感情豊かで情熱的に観えます。
本名がマリー・クレマンティーヌ・ヴァラドンであったのに、「スュザンヌ」という通称は、恋愛関係にあったロートレックがつけたものらしいです。
スザンナ (フランス語読みで「スュザンヌ」)とは、水浴中の姿を好色な長老たちに 覗き見され、関係を迫られる旧約聖書の外典に登場する女性のこと。
裸で40歳以上年長のシャヴァンヌや20歳以上年長のルノワールのためにポーズを取るヴァラドンを、ロートレックは皮肉を込めて「スュザンヌ」と呼んだらしいです。
やはり情熱的な方だったんでしょうね。
絵画と恋愛に忙しい母ヴァラドンに代わり、幼いユトリロの面倒はもっぱら祖母の仕事。
さみしい環境が影響したのか、ユトリロは10代の頃から 飲酒癖があり、20歳でアルコール依存症のために入院。
この頃、治療の一環として医者にすすめられたのが、絵を描くこと。
親友ユッテルと母親の恋愛、再婚によって、義父からの金銭的援助や母親の 愛情、友情までも失い、またもユトリロは酒に溺れ入退院を繰り返す。。。
この母子展、母の色鮮やかな絵と、子の白々しい絵が、それぞれの人生を象徴しているようで、物悲しい親子展でした。

この美術展はこの後、美術館「えき」KYOTOに巡回予定です。


以上、ひろしま美術館での美術鑑賞でした。

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