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【植物SF小説】RingNe【第1章/②】


あらすじ

人生の終わりにはまだ続きがあった。人は死後、植物に輪廻することが量子化学により解き明かされた。この時代、人が輪廻した植物は「神花」と呼ばれ、人と植物の関係は一変した。 植物の量子シーケンスデバイス「RingNe」の開発者「春」は青年期に母親を亡くし、不思議な夢に導かれてRingNeを開発した。植物主義とも言える世界の是非に葛藤しながら、新たな技術開発を進める。幼少期に病床で春と出会った青年「渦位」は所属するDAOでフェスティバルを作りながら、突如ツユクサになって発見された妻の死の謎を追う。堆肥葬管理センターの職員「葵」は管理する森林で発生した大火災に追われ、ある決断をする。 巡り合うはずのなかった三人の数奇な運命が絡み合い、世界は生命革命とも言える大転換を迎える。

《第一章は下記より聴くこともできます》

第1章/①はこちら


#渦位瞬

  特製のハワイアン風納豆カルボナーラを作ると食卓に置いた。すかさず飼い猫のエノキが卓上に駆け上がり食事を狙う。エノキの柔らかい腹を両手で抱え、そっとベビーベッドに戻す。お下がりのベッドだが、エノキはマイホームとしてたいそう気に入っていた。

 なんとなく雑音が欲しくてテレビをつけた。夜の報道番組が流れる。
 「ここでRingNeの開発者である三田春《ミタハル》さんにお話を伺っていきましょう。三田さん、今回の火災で被害のあった、いわゆる神花《シンカ》となった人々の魂はどこに行くのでしょうか?」
 「魂……というか、元々その故人を構成していた遺伝子情報は、残念ながら焼失してしまった可能性が高いです」

 キャスターは目を見開いて高速で頷きを繰り返す。何を理解したのだろう。そして案の定こう言った。
 「死者の魂は消えてしまったと言うことですかね?」
 「そ、そうとも言えますかね」と春さんは苦虫を噛み潰したような表情で言った。
 
キャスターは目線をカメラに向けて、さも喪主のような悲痛な表情を浮かべて言った。 
「今回ゴジアオイを利用した自然発火に見せかけた放火の可能性が高いということで、犯人の特定が急がれています。これは人の魂を侮辱する大変許し難い犯罪です。植物たちや遺族の痛みを感じ、ご自身の行いを悔み、一刻も早く罪を償ってほしいと思います」

 植物には中枢神経がないので、痛みや苦しみは感じえないことは小学生の時に習った。それでも魂というぼんやりした概念を持ち込むと、途端に擬人化して人の感覚を当てはめてしまう。人間たちの変な癖である。 
「ね」とエノキに話しかける。エノキは大きなあくびをした。
 
 スマホの通知音が鳴る。開催まであと三日に控えたフェスの、運営周りの確認連絡が再び飛び交いはじめた。制作ディレクターが各チャンネルに備品手配や、運営計画の確認を求め奮闘している。三日前になると突然当日スタッフの欠席連絡や、出演者から追加で用意が必要な機材の連絡などが相次ぐため、総員で人員募集の声かけをしつつ、運営計画や調達物の確認をして、制作陣の脳が最高潮に加熱する。

 自分もサポートしなくてはと思い、チャンネルに宇宙ネコのスタンプを送って場を和ませた。いいねは一つもつかなかった。
 所属するDAOでのフェスティバルは一年ぶりだったが、RingNe以降にこの国ではフェスティバルの数がとても増えた。いずれ植物になって動けなくなってしまうのだから、今のうちに目一杯動いて、歌って、踊ろうという風潮が広まっていた。僕も概ねそう思う。人間でいられる時間はとても短い。自由に手足が動かせるうちに、躍動の限りを尽くしたい。今日はずっと家に引きこもっていた自分ですら、そう思うのだ。
 もう夜だが、散歩に行くことにした。
 
 ぼんやりとした外灯の光が落ちる酒匂川を、川上のほうに向かって歩いていた。鴨が水面を揺らす音、生温い風が稲を揺らす音、鈴虫や蟋蟀の鳴き声、秋の夜のいい音楽だ。 どこにも焦点を合わせずに、ぼんやり歩く。なんとなく、ススキの茂る角を曲がって小径に入る。顔の高さまで到達するススキやセイタカアワダチソウをかき分けながら進んでいると、開けた場所に辿り着いた。

ポツンと整備され、区画された小さなブナ林があり、入り口に立札が差してあった。それによるとこのブナ林には、たいそう仲の悪かった兄弟がたまたま量子サイクルして、宿っているそうだ。自然のブナ林では生えている土壌や位置など、生育環境がそれぞれ違うにも関わらず、すべてのブナが同じだけの光合成をするらしい。根っこで繋がり合い、よく日光のあたるブナはそうでないブナへ栄養素を送り、共栄している、と看板に書いてあった。それが仲の悪かった兄弟といえど最後は仲良くなったという、日本昔話にでも載りそうな物語とともに紹介されていた。
 まぁ確かに兄弟がたまたま同じブナ林に転生するなんてなかなかドラマある偶然だ。

 「繋がっているんだなぁ」と呟いた。
 見上げると夜空は満月だった。月を反射した雲が虹色に輝く不思議を見上げながら、草むらをかき分けて川岸に戻った。川面に反射した満月はゆらゆらと浮かび、それは自分の目にも反射していることに気付いた。太陽から月へ、月から川へ、川から自分の目へ、光がリレーされている。
 「繋がっているんだなぁ」と呟いた。
 運営表をもう一度見直そうと、少し早足で家に帰った。

 三日後──
 フェスティバル当日は冷たい糸雨が降った。会場となった夕日の滝は標高五百メートルにあり、街より気温が低い。それでも植物にとって、ひいては人間にとっても恵みである雨は良き巡りとして受け入れられ、当日は三〇〇名ほどの来場者が訪れた。

ゲートは菌糸をイメージした糸で複雑に編み込み、吊るされた風鈴は、あの世とこの世を繋ぐ音を響かせた。受付は子実体をイメージしたパラソルの下に胞子をイメージしたグラスをつけたスタッフが来場者にゲートの糸の一部をリストバンド代わりに手首に巻きつけた。

各エリアはコンセプトを花言葉に当てはめ、花の名前をあしらった。メインステージのハナショウブリバーステージは、アースカラーのガーラントが吊るされたマルシェを抜けると現れ、立体的な流木のオブジェで植物のダイナミクスを表現し、ジャズやジャムバンドを中心に自由で祝祭的なライブが展開された。

会場内の植物は全て無神花認証されたものを使い、誰もが楽しめるフェスを目指した。リンドウローカルマルシェでは地元の出店が並び、テントサイトはエンレイソウトークエリアとして植物について学び、来場者間が交流できる場が開かれ、コチョウランフォレストステージは動物の骨や布でコチョウランの白を基調にした空間にデザインされ、DJを中心にした有頂天な時間が流れた。

ハクレンウォーターフォールへ続く道は植物の管と、延々と輪廻していく世界を表わす曼荼羅をモチーフにした装飾が施され、聖域的な空間になっていく。滝に辿り着くと、テントサウナとアンビエントライブが展開され、参加者は雨で水量の増した滝を身体全身で浴び、自然との一体感を強めていく。

その他にも堆肥浴やキッズエリア、死生観を再考する出店や曼荼羅アートのワークショップなど様々なコンテンツが多様に並び、参加者はコンテンツをただ享受するのみならず、各所でパフォーマンスしたり、アート作品を飾ったり、瞑想したり、自由闊達にこの時を過ごした。

冷たい雨の中途中で帰宅する人もいたが、雨の中手弁当で奔走する運営側に心を配りサポートしてくれる来場者もいて、空間全体としてこの祝祭を、人で在るうちを、共に祝った。

 ”名もなき巨人よ、また明日。朽ちゆくヒノキも、また明日。どれでも全部、綺麗に並べて。せめて此処まで還ってきて。おかえり、ただいま。さよなら、ただいま”
 
 歌声が響く。
 会場を巡回中、メインエリアを外れ、ヒナゲシチルノダテを超えて、金時山の入り口まで入る。ふわふわに苔むした巨岩へまっすぐ進み、触れる。植物と動物を足して二で割ったような柔らかな手触り。これほどの苔がむすまでに、一体どれだけの年月が経ったのだろうと想いを馳せると、つい手を合わせたくなった。

手のひらを鼻の前で重ね合わせ、目を瞑ると、苔の余香がやってきて、仏や神ってこういう匂いがするのだろうなぁとなんとなく思った。葉の揺らぎ、鳥の歌、か細い小川のせせらぎに耳を済ませ、しばし安らぐ。

 ゆっくり目を開けると、登山道に戻り、歩きはじめた。太陽は小川に反射して、ヒノキの樹冠に太陽模様の映像を施していた。見上げると少し強い風が吹き、赤黄色の葉が渦を巻くように空を旋回した。風の音が止むと、落ち葉を踏む音が少しずつこちらに近づいていることに気付いた。足音に視線を向けると黒い服を着た人がこちらまで早足でやってきていた。五メートルほどの距離まで近づくと、黒いワンピースを着て長髪の、目鼻立ちがくっきりした女性であることが分かった。

 女性は不安そうな表情で息を切らし、言った。
 「あの、スタッフの方ですか」
 「はい、そうですが、何かありましたか?」
 「あの、あっちの方でバットや刃物でブナを傷つけている男性たちがいて」
 「な、なぜ?」と思ったのと同時にそのまま声に出ていた。
 「たぶん、最近の森林火災のニュースの影響だと思います」と彼女は俯いて悲しげな声で言った。

 僕はしばらく地面を見ながら思い当たる節を探していたが、スギの根に生えるナラタケしか見つけられなかった。小さくて可愛いと思っていた。
 「すみません、最近ニュース見れていなくて、何かあったんですか?」と言った。

 彼女はそわそわと虐げられている木の方向を気にしている素振りだったので「とりあえずあっち、向かいながら」と言葉を添えた。
 僕は彼女に早足で付いていきながら話を聞いた。彼女は地面に生えるシシガシラやアズマヤマアザミを踏まないよう、慎重にルートを選定しながら歩いていた。

 「森林火災の出火原因がゴジアオイだということはご存知ですか?」
 「はい、そこまでは」
 「その、ゴジアオイって自ら火を放って燃やし尽くした植物たちを堆肥に、種を育てているんです。それで、消火後にその種の発芽が確認されて、RingNeで調べたところ芽から元々放火犯だった故人の量子情報が確認されたようなんです。

それでメディアでは、量子サイクルした過去の宿主の人格と、植物の振る舞いは同調することがあるのではと扱いだしました。そこから、RingNeで元々犯罪者だった神花を見つけては切断したり、燃やしたり……。私は見ているだけで辛いのであまり見ないようにしているのですが、そんなことになっているみたいで……」

 彼女は説明しながら声が少しずつ小さくなっていき、口に出したくもないことを言わせてしまっているのだと思った。
 僕は不快な思いに共感した。
 「そんなことになっているんですか。でもそれって本当なのでしょうか? 人格と植物の振る舞いが結びつくなんて……」
 「まったくの推論……というかもはや暴論ですよ……。一つ一つの植物は人間の量子情報だけでできているわけではないのに、無理やり擬人化させようとしているよう見えます」と悲しげに言った。

 「僕も、そう思います」と彼女の顔を横目で確認しながら、そう言って共感した。量子が人間という季節を経たからと言って、そんなに力強く、他の生物に影響を与えるまでになるなんて傲慢な発想だ。
 「あ、あれですね」と目の前を指さした。
 
 大きなブナを若い男性たちが取り囲み、金属バットで殴り、手斧で斬りつけていた。嫌な打撲音が響いた。僕はそのまま男性たちに駆け寄った。
 「運営の者です。規約にもある通り、会場内での植物への危害は……」と台詞の途中で彼らは慌てて逃げ去った。僕は彼らの後ろ姿を見ながら、そのまま眼差しを彼女の方へ向けた。彼女は勢いよく頭を下げてお辞儀をして、傷つけられたブナに駆け寄った。傷口に触れる様に慎重に樹皮を触り、十五メートル近くある幹の頂上を仰いでいた。

 「あの、ありがとうございます。追い払ってくれて」と彼女は言った。僕は「いえ、こちらこそ知らせてくれてありがとうございます」という表情をした。
 僕も木の側へ近づいた。樹皮は大きく剥がされ、茶色い樹液が流れ出ていた。ノミのようなもので「サギシ」と彫られていた。
 「ずいぶん傷がついてしまっていますね。大丈夫なのでしょうか」と僕は言った。
 彼女は眉をしかめ少し考えた後に言った。

 「ひどい……樹皮は少しずつ治っていきますが、これだけ傷口が大きいと、再生速度より菌が侵入する方が早いので、いずれ内側から腐っていき、もうあまり長くないかと……ブナは、一生のうちに大体百八十万個の実をつけますが、成木になるのはそのうちたった一本だけなんです。尊い命なんです……」と彼女は言った。

 僕は彼女から滲みでる悔しさを感じて自戒した。
 「すみません、運営の警備管理が甘いせいでこんなことに」
 「あ、いえ、そんなつもりで言ったのでは……」
 少しの沈黙が流れた。
 「それにしても植物にお詳しいですね」と僕は言った。
 「仕事柄、学ぶ機会が多くて」
 「何をされているのですか?」
 「堆肥葬の管理センターで職員を、しかも」
 「もしかして火災のあった」
 「はい。先ほど話していた南足柄第一スフィアです。今は休職中で、ここに」
 遺族たちとの対応に追われむしろ忙しいのかと思ったが、休職なのだなと不思議に思った。

 「そうでしたか……それは心中お察しします。私たちの不備で気を悪くさせてしまったお詫びに、良ければこちらどうぞ」と言って僕は会場で使えるドリンクチケットを渡した。
 「いえ、そんな悪いです。そんなつもりじゃなかったのに」と彼女は拒んだ。
 「いいんです。まぁそしたらお近づきの印ってことで。僕は渦位《ウズイ》と言います、どうぞよろしく」とチケットを差し伸べた。
 「あ、ありがとうございます……私は葵田《アオイダ》と言います。よろしくお願いします」と言ってチケットを受け取った。
 「では、最後までフェスを楽しんでいってください。またどこかで」と言って僕は山を降りていった。足元の草木に注意を払いながら。
 
 山を降りるとリバーステージがある川辺まで向かう。ステージは転換中だったので、その裏にある山を登った。この場所には特に何のコンテンツも企画していないし、人もいないので巡回する必要もないのだが、何らかのキノコに出会えるかもしれないという個人的な欲望が唆した。

 早速フミヅキタケを発見した。しかも群生している。どこまで広がっているんだろうと興味を持ち、フミヅキタケの群れを追うと、ケヤキの森の奥の方まで進んでいた。途中で雨に打たれたツユクサを見つけ、じっと見つめる。

目線を本来の高さに戻すと、ブルーシートで囲われたテントが目に入った。その影には丸太に腰掛けた老人がいた。汚れた服に胸まで長く伸びた白い髭、乳母車のようなものに積まれた沢山の荷物、野生の人間だ、と少し興奮した。ここで暮らしているのだろうか、せっかくなら下まで降りてフェスに来て欲しいな、声をかけて誘ってみようか、と歩速を遅くして辺りを歩き、逡巡していた。

 彼に目線を合わせ、目が合うことを期待しながら通り過ぎるも目が合わず、話しかけられる間合いを過ぎてしまった。しかしどうしても気になるので、振り返って彼の元へ行った。
 「あの、ここに住んでいらっしゃるのですか?」と僕が言うと老人はわかりやすく身体をビクッとさせて驚いた。
 「そ、そうだが」
 顎髭がヤマブシタケのようだなぁと思ったのでじっと髭を見つめていると「や、山狩か……」と老人は慌て始めた。

 長く見つめすぎたと思って、弁解した。
 「いえ違うんです、僕は何者でもありません」
 口を滑らせてでてきた台詞だったが、なかなか幽玄なことを言ってしまった。
 老人は疑問を浮かべた表情をしている。
 「じゃぁなんなんだ」と言った。

 「いま夕日の滝で催しているフェスの運営のものでして、もしよかったらお越しにならないかなぁと。あ、もちろんお金は必要ないので」
 彼はため息をついて頬を緩め、音の鳴っている方を見つめた。  
 「せっかくだが、もう祭に参加するような歳じゃなくなっちまった」と笑った。
 僕はくだけた笑顔にほっとして続けた。 
 「年齢なんてフェスには関係ないですよ、誰だって好きな時に来ていいし、好きな時にいなくなっていい、自由なもんです」

 「そうか。でもまぁこんな汚ねぇ身なりのものがいくのもよくねぇだろうよ。昔はクローゼットいっぱいに服が詰まっていたもんだが、今はこの一張羅だけだ」
 着ているTシャツを指さした。中央にはFlowers don’t tell, they show.《花は話さない。花は示す。》と書かれていた。

 「そんなことないですよ。ここは長いのですか?」と僕は聞いた。
 「まぁせっかく来たんだ。座れや」と言って、地面に敷かれたブルーシートを叩き、老人は意気揚々と語り出した。こんなところにいては、人と話すのも随分久しぶりなのだろうと思い、腰掛けた。

 「ここには昔、家があったが、十年ほど前の土砂崩れで流されちまった。まぁそれはそれでいい機会だと思ってよ、この身一つで暮らしているよ。森で暮らし始めてどれだけ経ったかはもう忘れちまった。それくらいには長い」
 老人は笑い、僕は頷きながら遠くからうっすら管楽器や人の声が聞こえてきたのが気になっていた。
 「しかしまぁその時に身分証も何も全部なくしちまってよ。信じられないと思うが、昔は宮に仕えていてな。なんで知ってはいたが、身分を証明できないと国からの支援ってのは、なにも受けられなくなるんだな。知らない人は国民じゃないってよ。森の社会の方がよほど成熟している」と地面の土を握り、指の間からさらさら落とした。

 「この中に二~三キロの長さの菌糸が含まれている。これが森中の根に繋がり、木々の情報伝達や栄養管理なんかをしていやがる。新たに植林された木々にも分け隔てなくだ。森という社会では樹木の寿命を決めるのは個々の頑張りや運じゃねぇ、森全体の環境こそが決定的だ。全ての植物が環境であり役割がある森において、最も弱い立場のやつをどれだけ守れるかが成熟した社会の証なんじゃねぇかと──」

 「すべての命に権利を! 森林伐採は悪魔の所業! 神花を守れー! 神花を守れー!」
 管楽器の音とデモ隊と思しき人々の大声が老人の声を途中でかき消した。木立の隙間から見下ろすと、デモ隊は列を成して、管楽器の音色とともに行進していた。まだ明瞭な意思もなさそうな子どもがカスタネットのような打楽器を変拍子に鳴らし、溌剌とした中高年が怒号をあげながら”Dianthus《ダイアンサス》”と書かれた旗を掲げていた。

 老人は呆れた声で話した。
 「あいつらな、たまにこうして行進しているんだよ。いつもうるさくて起こされちまう。まぁこういうことはいつの時代もあるんだよ。昔だってヴィーガン連中やLGBTQのパレードがデモ行進していたことがあった。社会に新しい価値観を認めさせるには、こういうことが必要な時もある。だが、RingNe以降のこの植物主義とも言える社会はやや行き過ぎだ。何千年も続いてきた農作や製紙すらままならねぇ倫理規範は、明らかに文化を息苦しくさせている。お前も持っているんだろ、RingNe」

 僕は手の甲を老人に向けて薬指につけたRingNeを見せた。
 「今じゃガキだってみんな身につけているって話だ。しかしどうやって使うんだ、それ」
 「使ってみましょうか」と僕は立ち上がりテントの周りの木々を見渡した。麻縄と丸い垂が結ばれたケヤキを見つけ、近づく。垂には朱色のQRコードが印字されている。

 「これが量子サイクルした植物の印です。昔でいうと墓石みたいなものですね。このQRを読むと、故人の情報が表示されます。で、RingNeはそもそもその印をつける前に、故人の輪廻先を調べることができます」

 そう言いながらケヤキの幹に触れた。ケヤキの生体電位を感知したRingNeの外周を青い光が三周走る。シーケンス完了の音が鳴る。検出された植物の量子情報と、ビックデータ上の故人のDNAアーカイブをRingNeのAIが照合し、同アプリをインストールしているスマホにシーケンスした植物の量子情報が表示される。

 ”田中佳子/量子配合率0.12%/享年四五歳/B型/日本大学文学部卒/オラクル株式会社勤務/二〇四〇年九月十二日膵臓癌にて死去/前科なし/生前の趣味は……”

 と僕が読み上げていると「もういいもういい」と老人は手を振って制止した。
 「こんなに詳細に分かるのか、気持ち悪ぃな。そもそもこれだけの故人の記録がどこに溜まっていたんだよ」と聞いた。
 「これですよ」と耳の裏を指差した。
「BMIをインプラントすると自然に情報が引き抜かれるようになっていたんです。ニューロンとインターネットに繋がっているので、まぁ当たり前っちゃ当たり前ですよね」
 「あー、それも聞いたことがある。皆入れているんだろ? 奇妙な世界だ。しかし一つの生物の量子情報だけで一つの植物が成り立っているわけじゃねぇ」と彼は言った。

 「はい、もちろん。人間の量子情報はあくまでほんの一部。あとはほら、アジとかスズメも入っているみたい」と画面を見せた。人間ほど詳細には出ないものの、生物種くらいは検知できるようになっている。
 老人は薄い目でディスプレイを眺めながら呟いていた。

 「俺はな、知っていたんだよ。こんなのが出てくる前から、人が死んだら植物になっていくことくらい。直感的に分かっていた。なんたって植物学者でもあったからな。だが個人が感覚的に知っているのと、科学的に知らされているのでは意味が違う。科学は社会の価値観を変えちまうからだ。知らぬが仏ってこともあるがな」
 幼少の頃入院していた病院での景色を思い出していた。知らなければよかったことは確かにある。

 「そうですね」
 「今じゃ人の量子情報が混入した植物を神花とか言って神扱いだ。まぁアニミズム的な価値観とうまく結びついたんだろうな。リンゴ一つ齧るのにわざわざRingNeでシーケンスするなんて、いつかの時代のディストピアじゃねぇか」
 老人はそう言って腐りかけのリンゴをテントから取り出し、服で拭ってから齧った。
 「神も食わなきゃ腐っちまう」
 
 老人は結局フェスには来なかった。ここから動きたいと思えねぇとのことだった。山を降りていると、ステージからの音楽が聞こえた。

 ”渦巻巡る、輪廻の引き波よ、因果の彼岸よ、全ての命は光の速度で、荒野に双葉が芽吹いていく。残光は愛に変わり、君を待つ”


山を降りるとすっかり日が暮れていて、滝には森の草木たちを祀る光と水の社「杜社-モリヤシロ-」というプロジェクションマッピング作品が投影され、祈りの場と化してた。

リバーステージでは南足柄の山神様である足柄明神を模した白い鹿の仮面をつけたMCが最後の演目のアナウンスをしていた。

「私たちはこの足でどこまでも歩いていける、踊っていられる。植物になる前に、この特別な刹那的な状態を、最後まで祝い、味わい尽くしていきましょう。最後に、先日の火災における魂の鎮魂を祈るセレモニーを執り行い、このフェスティバルを締めくくっていこうと思います。ぜひみなさんも共に身体を動かして、自由に、最後まで、この命を謳歌していってください」

最後の演目では量子から人へ、人からAIへ、そして死に、植物へ転生する模様がライブとコンテンポラリーなダンスと映像により表現され、最後には焼き払われてしまった神花たちの鎮魂を祈るように、お経とヒューマンビートボックスのライブにより締めくくられた。

 本編の終了を無事見届け、肌寒くなってきたので焚火のエリアに移動する。
 灰色のニット帽をかぶった若い男性、丸い大きなメガネをかけた中年の女性、麻の服を着たヒッピー風の男性が囲んでいる焚火の中に「お邪魔します」と言って入った。燃えて大気となる薪を見つめながら、白い煙の行先にある星を眺める。未だパラパラと小雨が大地を湿らせ、火と雨と自然の香りが立ち昇る。

 ニット帽の男性と目が合う。
 「あの、もしかして主催の方ですか?」
 「あ、そのうちの一人ではあります。リーダーはいないので」と口角を上げて答えた。
 青年は笑顔になって話した。
 「やっぱり。どこかで見たことあるなぁと思って。今日楽しいです、すごく」僕は火の方を見つめながら「ありがとうございます。何よりです」と返した。他の二人も僕の方を見て、そして再び火に目線を奪われた。熱された空気にまぶたが自然と落ちてくる。

 「そういえば」と僕は目を覚ますように呟いた。
 「そういえば皆さんはどうしてこのフェスを知ったんですか?」と聞いてみた。
 メガネの女性が「なんでしょう、運命的に導かれて」と答えると、ニット帽の男性は「友達に誘われて」と言った。ヒッピー風の男性もそれに頷いていた。

 僕は自分のうねった長い髪をくるくる指で巻きながら「なるほど」と言った。その後は再び沈黙が流れたが、沈黙を否定しない良い時間の流れ方をしていた。そしてしばらくの静寂を味わったあと「誰からも誘われなかった人はどうしたら参加できるのでしょう」と呟いた。

 ニット帽の男性は「SNSとかで情報流れてくるんじゃないですか」と言った。
 「なるほど」と僕は答えた。何かに繋がっていることが前提の世界。それが自然か。根やフミヅキタケの菌糸で繋がっている、あの山から動こうとしない老人の姿を思い浮かべていた。

彼は根もないのに自らの意思でそこに定植することを決めていた。動けるのに動かない動物。植物は動けないのではなくて、動かなくていいように至った、というどこかで見た詩を思い出した。動くという煩悩を祓い、美しいシステムと共にただ在る。その遺伝子を次世代へ遺す。僕らはただ在るだけじゃ物足らず、意味を考える。生まれた意味、生きている意味。不遇な運命や虚無を呪ったり、共に在ることや快楽を祝ったりしている。今も火の美しさや暖かさを感じるのと同時に、自分達の命が消えていく時間を感じている。どろっと淀んだ感情の上から、カリンバの音色が聞こえてくる。

 ヒッピー風の男がミドリガメと同じくらいのサイズのカリンバを鳴らしていた。つい目を閉じて聴き入ってしまう。
 いい音楽は腸内の善玉菌を優勢にして日和見菌を善へ煽る。そして祝いの気分が少し優勢になる。少しでも多くの時間を共に祝おうよと、カリンバの優しい音色と薪のパチパチと爆ぜる音が代弁してくれているようだった。

 「増えましたよね、こういうフェス」とメガネの女性が呟いた。ニットの男性は無言で頷いた。僕は火を見ながら答えた。
 「RingNe以降、娯楽ではあるのだけど娯楽以上の意味を持つようになったというか。お供えみたいな意味合いもあるんじゃないかって思います」
 「お供え、ですか」とメガネの女性は言った。

 「お供物って、自然への感謝を表すために今私たちがこれだけ豊かになりましたよって証を供えるんですって。農作がうまくいっていれば米だったり、もっと余裕ができたら酒だったり。今自分たちは動いたり、見たり、声を出したりできる豊さに気づいてきたんじゃないかと。だから祭りを以って祀り、それ自体を供えているんじゃないかって」

 メガネの女性は水筒を口に運びながら言った。
 「確かに。いま、豊かです」
 「ですね」と答えると、しばらくの間は夜鳥の声とデジタルな焚火音だけが空間に響いていた。 
 

(下記へ続く 


RingNeは体験小説です。この物語は現実世界でイマーシブフェスティバルとして体験することができます。
詳細は下記へ。


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