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引きこもりを創るのは不寛容な社会のほう

 2022年12月14日(水)。16時44分。精神科から帰ってきました。家に封筒が届いていました。面接結果の開示でした。順位は下から7番目で、惜しくともなんともなかったです。一次試験で高得点だったのか、特別枠でもう一つ試験科目があったのですが、そちらのほうは最下位でした。

 はい。こんにちは。井上和音です。

 一日に何回も更新したところで何も変わらないし、変化と言えば面接の得点開示が来たことと、自立支援医療制度の上限額が5000円に上がったことと、ソーシャルワーカーさんが今日もいなくて、新しいソーシャルワーカーさんと話すことになったことと、そのソーシャルワーカーさんに、またブログのことを教えてしまった──というか、私のブログで私の心情が危なくなっていることや、次にソーシャルワーカーさんと話すときには、大前提で「井上さんってどんな人なのか」みたいなのを一応は分かっていないと、なんの相談にもならないし、私も最初は何を話していいのか分からずに、ソーシャルワーカーさんと無言のまま最初の数分間を過ごしてしまいました。

 面接試験で散々だと分かったことは良かったことなのか悪かったことなのか。

 もう、我々のところには来ないで。みたいに言われているような。

 君には仕事は無理だよ。と言われているような。

 そんな気分になりました。得点開示を請求していて良かったです。自分がどんな風に見られていて、自分の面談の様子などはどれくらいの点数で、あんなに話が盛り上がったのに、実際の点数はこんなにも低いのか、とまた人を疑うことを知ることが出来ました。

 なんというか、面接というか、面談になっていたような気がします。

 ずっと、面接試験を面談のように受けてきたのかもしれません。心の中で「なんやこいつ」と思われていたとすると、自分には面接という、お話をして人物評価を付けるという形式には全く以って不利というか、大学入試に面接試験が無くて良かったな、とつくづく思います。

 仕事に就いたことがなく、部下を持ったことももちろん無く、面接をする側に立ったことも一度も無いので、面接って一体何を基準にして見ているのか全く分かりませんが、これから先自分の人生で面接というものに対して非常に嫌いになることは間違いないでしょう。

 大学入試でも面接試験は一回は受けましたが、受かりませんでしたし、一生受かることはないのではないかと思いました。

 要するに、自分達の組織にこいつは馴染めるかどうか、指示をきちんと整理し、仕事に従事することが出来るか、そこらへんを見ていると思いますが、私は「馴染めないやつ」「共同作業は出来ないやつ」として見られていたのだなあと、深く反省をし……。

 反省なんて出来るわけないだろ。考えてみれば面接試験なんて人権侵害というか、思考が違うやつは落とすとか、協調性のないやつは落とすというか、そういう試験で、考えてみれば話が盛り上がろうと、心の中では笑いながら最低点の所に〇を付けていると思うと、非常に道徳的ではない試験のように思いました。

 自分がどれだけおかしいか。

 自分がどれだけ協調性が無いか。

 自分がどれだけ世間からずれているか。

 「あなたなんか必要ありません。試行する猶予も与えません。一次試験のペーパーテストがどんなに高くても、高いからこそ弾きがいがありますね。お勉強をたくさんしてきたのですね。それでこんな話しかできないのですね。はい。頑張って障害年金とパートタイマーだけ生きていってください。あなたの今後の生活など知りもしません。障害者枠を設けましたが、残念ながら障害者枠の特別な枠ですらあなたは通ることができませんでした。はい。生活の保障なんかしないので、勝手に生きていってください。うちには来ないでください。さようなら」

 みたいな感じでしょうね。

 考えてみれば怒りしか湧いてこなくなってきた。

 「何で私は社会からつま弾きにされてるされてるのん? なんで普通の人生の収入が得られないのん。何が良くて何がダメだったのん。この世のなかの障害者枠の人達って、なんでそんなに優秀なのん。面接で引かれたとかそういう雰囲気は一切無かったのん……にこにこ笑って、時には笑いも誘って良い感じだったような気がするのん。哲学科の話だって、あんなに笑っていたのになんで採用してくれないのん。働けないのん。若いうちから早く安定して職業に就きたいのに、なんで5年も経つのにどこの組織もウチを採用してくれないのん……。才能無いのん。社会で生きる才能が無いのん……。それを証明しているのが5年間の面接でつま弾きにされ続けた現実が教えてくれているのん……。引きこもりを創ってしまうのは、障害者が『社会が怖い』とか震えているのではなくて、少しとがった障害者を社会の一員として入れようとする寛容な社会が出来ていないから、障害者は引きこもりになりやすいのではないのかのん……。順調に行っている人って、実はあまり勉強をしていなかったり、自分の意見とかをあまり言わない従順な人が、この社会を順調に生きていくのかのん……。ウチは疲れたのん……。とは言わないけれど、引きこもりを創ってしまうのは、その障害者だけでなく、少しとがった人を受け入れようとしない、この社会に問題があるのんな。ウチ気付いてしまったのんな。引きこもりは悪くないのん。引きこもりが入るスペースがない、この社会がまだ成熟していないということに気付いたのん。ウチは引きこもらないけれど、引きこもりに対して違う目線を持つことができるようになったことは、一種の成長なのかもしれないのん。それで、こういうことを面接で言うと、またつま弾きにされてしまうのんな。人間の社会って本当に面白いのん!」

 いつの間にか、れんちょんの口調になってしまった。なんで。怒りを抑えるため? 分からねえ。全く分からねえが、なぜか打鍵した。でもこれで良いような気がする。

 明日もパートタイマーの仕事なので、何も考えずに社会の歯車として──歯車として機能しているかは分からないけれど──粛々と生きていこうと思います。

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