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いつか子どもと関わるあなたへ


さまざまな子どもたちに行う学習支援に関わり始めて、気づけばもう9年目に入ろうとしている。

「ひとりひとりの子どもたちに僕は本当に向き合えたのだろうか。これからも向き合っていけるのだろうか。」

そんなことを考えながら、必死にその時の自分にできることはしてきたつもりだ。

そんな僕が子どもたちと関わって、話したり、一緒に勉強をしたりする中で大切にしていることがある。

子どもたちの「これまで」を知る


僕はいつも「子どもたち」という表記を使っている。仕事の上で、たくさんの子どもたちと関わるわけだが、個人情報なのでこの表記になっている。

そして、当たり前のことだが、実際の「子どもたち」には、名前があって、育ってきた過程があって、人格がある。

おしゃべりが好きな子、スポーツが得意な子、友達がたくさんいる子、ひとりの時間が好きな子、いろんな「子どもたち」がいるし、その日その日でいろいろな側面が見えることがある。

彼ら、彼女らは僕と出会うまでに、いろいろな人と出会い、いろいろな経験をして、嬉しいことも悲しいことも経験してきているから、それをヒントにして子どもたちのことを知ることを大切にしている。

ただ、子どもたちひとりひとりにさまざまな事情や環境がある。
だから可能な限り、そして無理のない範囲で子どもたちのこれまでを知ることが、子どもたちの考え方や人となりを知ることにつながっていく。

そういったひとりひとりの過去を丁寧に読み解き、今の彼ら・彼女らになっていった経緯を知っていく。


子どもたちの「今」を知って、受けとめる


子どもたちのこれまでから、ひとりひとりの考え方や人となりや置かれている状況を知ったら次にすることがある。

それは子どもたちの「今」を知ることだ。

好きなものは何か、学校では何をしているか、どんな友達がいるのか、最近起きた嬉しかったことや嫌だったことはなにか、そういった現在の情報を知る。

そして、ここで大切なのは、子どもたちの好き・嫌いに対して大人から見た社会的な正しさをぶつけないことだ。

まずは、彼ら・彼女らの「今」を受けとめることから始める。

僕たち大人が持つ「ものさし」で測ろうとする前に子どもたちのありのままの姿を知る必要がある。そして、子どもたちの持つ「ものさし」を知ろうとすることも大切だ。

正しさをぶつけることは、間違いではないかもしれないが、時にそれは暴力になりうるということを忘れていけない。

いろんな経験をして何かを感じたり、考えたりする。それに自他ともに見たこともない側面がある。これは子どもたちに限った話ではなくて、大人でも同様のことが言える。人と関わる上で大切なことだ。

さらっと書いているが、これがめちゃくちゃ難しい。だって、今これを書いてる僕も今これを読んでいるあなたも一人の人間で、たくさんのものを経験や感情から成り立っている。だから、時には違和感をもつこともあれば、正しさをぶつけてしまうことだってあるだろう。

子どもたちに自分のものさしを押し付けないためにできることがある。それは自分の考えを知り、言語化して自分の「ものさし」を知ることだ。そして、一旦それを横に置いておく。自分のものさしを知った上で、まずは子どもたちや今を知る。知ったことを丁寧に受けとめていく。

子どもたちの「未来」を想像する


みなさんご存知だと思うが、時間は不可逆だ。今のところ四次元ポケットを持つ、青色の猫型ロボットは開発されていないし、みなさんの家の机の引き出しを開けても、タイムマシーンが存在するわけでもない。

ということは、今これを書いている僕も、今これを読んでいるあなたも、時を刻んでいくことは変えられない。そう、もちろん子どもたちも同じだ。

少しだけ寄り道をしたい。

「子どもが大好きだから教育関係の仕事に就きたい」
「子どもたちがかわいいから子どもたちに関わる仕事に就きたい」

まだ経験の浅い高校生や大学生がこれを言ってるなら、そこまで気にならない。だれでも興味を持ったりするきっかけなんてそんなものだからだ。
しかし、子どもたちと実際に関わってもこのテンションのままの人が僕は苦手だ。

残念ながら「かわいい子どもたち」も普通に時が経てば、いつかは大人になるのだ。
大小の差はあれども、カフェで集まって大声で話すようなおばさんになったり、めちゃくちゃ大きなくしゃみをするおじさんになる日がくるのだ。そんな風に子どもたちだって大人になっていくということを忘れてはいけない。

もしかすると、お世辞にもかわいいとは言いがたいおじさんやおばさんになるかもしれない。それを念頭に置いておく。そして、子どもたちがこれから困っていかないように、なんとか生きていけるように、未来を想像して祈るようにしながら彼ら・彼女らの「今」に関わっていく。

大人のエゴで子どもたちを消費しない


子どもたちと関わるということは、彼ら・彼女らの過去を知り、今の姿を受け止め、未来に思いを馳せて葛藤を抱えながらも、日々意思決定をして関わっていくことだ。

成功したのか、失敗したのか、それすらも未来で子どもたちに聞いてみないとわからないのかもしれない。関わっていると不安とも、後悔とも言えない気持ちが押し寄せてくることだってある。そんな不安とも後悔とも言えない感情はずっと背負い続けて行く業のようなものだ。誰にも言えないず、十字架を背負いながら生きていくのかもしれない。

自分自身の「楽しい」「嬉しい」「やってみたい」そんな気持ちも大切にすればいいと思う。ただ、間違ってもそれだけで子どもたちに関わる仕事を選ぶべきではない。

だって、それは大人のエゴのために子どもたちを消費することにしかならないから。勘違いしないでほしいが、「子どもたちのためにすべてを捧げるような自己犠牲的に生きろ」と言っているわけではない。

大人のエゴで子どもたちを消費する「だけ」にならないように、子どもたちの過去を知って、今を受け止め、未来に思いを馳せてほしい。そして、葛藤はあるだろうが、その時々のあなたの最適解を出し、子どもたちに関わってほしい。

時がたつことすら愛おしく感じられるということ


ここまで子どもたちと関わる上で僕が大切にしていることを書いてきた。
僕はここに書いたようなことを大切にしてきたけど、最近になってようやくこの仕事の素敵なところが言葉にできるようになった。

当たり前のことだけど。僕たちは自分が主人公の、自分の人生を生きていくことしかできない。
でも、子どもたちという別のだれかが主人公の人生に、過去・現在・未来のすべての時間軸を踏まえて関わることができる。そして、そこにある喜びも悲しみもわかちあえるところが最高に素敵だ。

さらに、だれかの未来に思いを馳せ、葛藤はするけれど、そこに希望や喜びを見いだせるのが、子どもたちと関わる仕事の素敵なところだ。

さっきも言ったけど、時間は過ぎていくだけで不可逆だ。どちらかと言えば、僕たち大人は時を刻むにつれて、過去を振り返り、過ぎ去った時間を憂いてしまう生き物だと言える。

しかし、子どもと関わる仕事は少し違っている。

「今日友達喧嘩したけど、明日はがんばって彼は謝れるかな」
「明日は、どんな話をしてくれるのかな」
「おしゃべりだった彼女は、これからどんな大人になるのかな」
「静かだけど周囲に気を使えた彼は、今どんな仕事をしているかな」

こんな風に、この仕事はだれかの未来に思いを馳せ、時間がすぎることを愛おしいと感じ、希望すら感じられる瞬間がある。

子どもたちと関わる仕事は、教師、保育士、幼稚園教諭、スクールソーシャルワーカーなど、例をあげ始めたらきりがない。けれど、ただひとつ変わらないことがある。子どもたちと関わる仕事は、僕が知っている最高の仕事だ。

そして、僕にとって子どもたちと関わるということは仕事の枠をこえて、それ自体が素敵なもので、愛おしいものだ。

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