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日本にある異国「ベース」に住む、そしてモルダウが流れる

ベースと聴いて米軍基地であるとすぐに思い至る人はきっと身近にベースがあった人だと思う。

少し特殊な響きをもって呼ばれる土地。日本であり異国でもある土地。
「ベースの中」に住んだ日々は、その物々しい響きとは裏腹に粛々と、そして予想外に美しい景色と共に過ぎていった。

思えばその頃から点々とする生活が続いていて、今だって相変わらずアウェイばかりの人生なのだが、海の側のこの場所では一年以上を過ごすことができた。少しでも腰を落ち着けられたのは数年ぶりだったし、公私とも穏やかだったのもこの時が最後だった。

根を持たない生活にも良いところはある。過去の赴任地の中でも、海の見える光景は離れてから感じ入るのにちょうどいい。いっとき過ごした人々、住んだ居場所に抱く感傷のさざなみは「悲しみ」や「憧憬」のような感情の高ぶりまで至らず、手頃で飼い慣らしやすい。

こうして僕は人間関係も職場も心地のいい上澄みだけを集めて生きて行くこともできると知ったが、今はもう少し泥臭い日々が恋しいのだから人間の心って厄介だ。

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(ベース内は猫が多い)

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(ランニングコース)


宿舎の隣にある公園からは毎日、モルダウが流れてきた。

観光名所にある噴水ショーのBGMなのだが、
時代柄観光客も少ない基地の街にあって、決まった時刻海に向かって垂れ流される交響詩は、好事家の無駄遣いのようで気持ちが良かった。

この地で沢山の大事な友人ができたこととは別に、歴史的な違和感を忘れたくはなかった。沖縄と横須賀とを訪れ、占領軍の駐屯地は風光明美な地に多いことを知り過分に皮肉的だと感じた。

スメタナの「わが祖国」では、吟遊詩人という放浪し根を持たない、社会から一番遠い存在が古の王国を謳う。

今もあの港町では古典的傑作が、栄枯盛衰の調べを異国の軍事基地へ向けて浴びせ続けている。

特別な土地に住んだ記録として。


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