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随筆(2023/10/7):相手を喋らせない人が、なぜ人間扱いされないし、友達扱いされないし、有能扱いされないのか


『胎界主』第二部で、復讐を越えて慈悲のため怨敵の助命を嘆願した挑戦者の発言を、怨敵の生殺与奪を握るラスボスがサッパリ理解できていない図


このラスボス本当に人の話聞かねーし誤読もするし挙句の果てにはことごとく曲解しやがるんだよなの図

0.相手を喋らせない人、膨大に、いる

「相手を喋らせない、妨げる」人が、世の中にはかなりいます。
相手の無駄話や文句を、無意味または不快だから聞きたくない時にこれになります。何ならこれは正当化されていますね。
しかし、これは、3つの意味で、まずい。

1.相手を喋らせない人が、なぜ人間扱いされないのか

コミュニケーションの根本の話をします。
伝えたり働きかけたりすることは、主体が他者と関わる時の基本です。全てのコミュニケーションはここから始まります。
肝心要のこれを遮ることを、しかも当然の如く行う人が、相手の主体性を何と思ってるかというと、少なくとも
「自分の主体性にとって都合の悪い邪魔っ気な障害物」
ではあるでしょう。

一般に、話を最後まで聞かないと、これは
「自分の主体性のちっぽけな都合のために、相手の主体性を妨害した」
ということになります。
これではふつう
「相手の主体性を自分の主体性と同様に認める」
対等な人間扱い
ということにはならない。
まして、
「主体同士で約束事を守れる」
人間の同士扱い
からは程遠い。

そんな態度をむき出しにしていたら、相手にしてもこちらを対等な人間とも人間の同士とも思う理由がない。
こちらから手袋叩きつけたら、相手が手袋叩きつけ返すの、当たり前なんだよなあ。

2.相手を喋らせない人が、なぜ友達扱いされないのか

え?
「馬鹿話や文句のゴミ箱にされるのは、こちらを人間扱いしていない証拠だ」?
まあ、一見そうなんですが、これも論点がいくつかあります。

***

お互いの距離が近くなく、自分が相手にそれほど心を開く謂れがなく、自分の都合を無視して相手が喋ろうとしている時は、このクレームは実にもっともです。

では、お互いの距離が、少なくとも単なるご近所付き合いや仕事の付き合いではなく、友達付き合い程度には近かったら?
これは話が一気に変わってきます。

***

友達付き合いの相手に、心を開かないコミュニケーションしかしないことは、
お前には心を開く値打ちがない。たかがご近所付き合いか仕事の付き合いと同程度の関係ですね。友達面するな
という姿勢に他なりません。
主観的にはそんなひどいことをしているつもりは全くないでしょうが、客観的にはこれ以外の何物でもないでしょう。
友達である場合、単なる近所付き合いや仕事の付き合いより、心を開いた親密な関係ではあるでしょう。
ふつうは友情においては心を開くことがある程度想定されています。「近所のいい人」「仕事の上では信頼の置ける人」とは訳が違います。
で。
心を開かない友情? だいぶ水臭いですねそれ。

***

そして、心を開くと、油断した馬鹿話が出てくるものです。だから友達付き合いをすると馬鹿話が膨大に出てきます。
というより、油断せずに気にしながら話すとか、無意味でない、バリューのある話をするようでなければおかしいとか、なんやねん。
それって、抜け目のない取引先との油断も隙もない仕事の付き合いの話と、なんかちゃいますのん?
友達に
「あんたのことは、抜け目のない取引先と同等の存在として扱っているし、それがなぜそんなにも不愉快なのか…? ええ〜…?」
という態度を示して、友達でいてくれるかどうかは、かなり危ない橋を渡っている行為だと思います。

***

また、心を少し広めに開く時に、初めて言える話というものもあります。
たとえば、
「ずっと赤の他人には言えなかったが、黙っているのも辛かった、嫌な過去の話」
というのが、
「本当に心を許したからこそ、喋ってもおかしくない、たとえ相手にとっては下らなく見えようが、本人にとってその時点でのリアルな存在のかかった、呼吸と同じくらいには、せずにはいられない話」
として、ラインナップに上がってきます。

当然、それを誰かに否定されたら、
「お前の心からの言葉、うざいし、黙っていてほしいんだよな。
ていうか、それを心から言っているお前こそがうざい。目障り」
という意味になってしまいます。
聞き手のその態度は、話者の聞き手に対するすべての親密さと信頼を破壊する。それらは再生できない。
神の怒り。滅び。そういうものです。


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そもそも、
「親しくなったのに、なぜそんなうざい文句を聞かされねばならんのか?」
と謎に思う人がいるでしょう。

確かにそれは一見謎ですが、実はこうなるパターンが、少なくとも1つありえます。
何か。
本人は今まで、辛くて吐き出したかったが、吐き出せなかった場合。
これに加えて、周囲に、吐き出すに値しないほど疎遠な人たちか、吐き出すと迷惑がかかる大事な相手か、恐ろしくて吐き出せないのっぴきならない当事者か、いずれかしかいなかった場合。
上の問いに、なんと「「吐き出すに値しないほど疎遠な人たち」から「だいぶ親しい関係」に「なった」から」という答が、実はありえるのです。

なんと、親しくなる「と」、これに直面する可能性は高まるのです。
これは、綺麗事ではない、人と人の間のメカニズムです。
親しくなる以上、相手は心を開く。
そして、自分に開かれた相手の心からもたらされるものが、それが自分に都合のいいものである可能性は低い。
でも、相手の都合にとっては、窒息しそうな時の呼吸と同等くらいには、何としても必要であったことである可能性は高い。

というか、他人がそんなに自分に都合の良い存在である訳がないのです。
都合の悪い誰かと、それでも友達付き合いを深めるんでしょう。
だったら、覚悟を決めておきましょう。

んで、もし、相手の心から出た言葉の死蔵を、自分が強いたとしたら、そんな交友関係、まあ「深くはない関係」でしょう。
相手が開いた心を、自分が
「他人が心を開くの、無意味で不快だなあ」
と叩きつけた
ら、それは少なくとも明確に自由意志と自己責任の下に行われる敵対行為そのものですし、まあ友達のやることではありません。
そんな、友情を維持するどころか、破壊する敵対行動をしておいて、なおも友情が維持されていて欲しいと思うの、かなり変な思考だと思うんだけどなあ。そうはならんやろ。ということです。

3.相手を喋らせない人が、なぜ有能扱いされないのか

あと、実務的にも、
「相手の話を最後まで聞かない」
人は、
「情報収集の際に不十分な情報で良しとして早合点する」
人か、
「どのような話が聞きたいのか最初に提示できないし、提示できてない自分の基準から外れたら話を遮る、自己中心的な視点しか持てない」
人です。
こちらが主題を提示しておいたのに、そこから逸脱した話をされたら困るのはもちろんだが、そもそもこういう時にちゃんと主題を提示できている人は、たいていそういう訓練を受けて来たか、こういうケースを座学で知識として知ってる人くらいしかいないでしょうね

主題を提示できず、不十分な情報収集で早合点して、自己中心的な視点で取捨選択する。
そんな人が、いろんな意味で仕事をぶち壊しにする、仕事のガンであることは、まあ分かるでしょう。
そんな状態で、有能だろうが、仕事をぶち壊しにしてなおも堂々としているということをしていたら、外形的には
「仕事をぶち壊しにした分は、優秀な仕事ぶりで埋め合わせている。
分かっているのか? 己は優秀なんだ。
むしろこの逸材たる己を惜しんで、もっと査定を上げろ」

という居直り強盗ムーブの意味合いすら帯びてしまいます。
こんなもん昇給も昇進も支持される訳がない。
それもこれも仕事をぶち壊しにするのをやめてからの話だろ。
たりめーじゃ。こんなん。

つまりは、「話をさせない、邪魔する」人は、そういう足手まといです。
足手まといな他人がエラソーだとキレる、肝心の自分が足手まといだとはつゆほども思ってない、エラソーな足手まとい。
世間的にはだいぶ軽蔑される立ち位置ですし、その立ち位置はどう考えても危うい。何らかの手管で放逐されてライフプランがメチャクチャになる可能性は極めて高いでしょうね。

4.人間扱いのためにも、友達扱いのためにも、有能扱いのためにも、相手が喋ったら喋りきらせよう

ということで、人間扱いのためにも、友達扱いのためにも、有能扱いのためにも、相手が喋ったら喋りきらせましょう。
それをしないと、自分は人間でも友達でも有能でもなくなるし、食い物にされるか駆除されるかしかなくなるのだから。
だから。
人間になって、友達でいて、有能であることを、証明しましょう。

(以上です)


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