十七歳の地図ーー模範的新聞少年のたそがれ
中上健次に『十九歳の地図』という小説がある。主人公は19歳の予備校生だが、とっくに大学進学をあきらめており、ほとんど予備校にも通っていない。
主人公は新聞少年でもあり、新聞を走って配って生計を立てている。
配達員の寮で暮らしており、日中そとの光の入らない週刊誌や食べかすの散らかった部屋で、寝汗と精液で湿気たふとんで眠っている。
少年は物理のノートに配達地区の地図を描いて、贅沢な家で温かいふとんに寝ている、許せないやつらの家に×印をつける。そして爆破や一家惨殺の刑を夢想して、自分だけの地図の支配者となる。
少年は2重×や3重×の住人に脅迫や嫌がらせの電話をかけ、また東京駅に列車の爆破予告の電話をかけ、一人で興奮してよろこんでいる。
私も17歳のころ新聞配達をしていた。ダメさ加減は主人公と変わらないものの(脅迫電話などしてないが)、むしろ〝のうのうと生きる許せないやつら〟の部類だった。
私はかたちから入るタイプなので、新聞配達をはじめる前に、風雨にそなえてアディダスのウィンドブレーカーの上下を買ってもらった。
新聞を配っていたのも歩きでなくマウンテンバイクである。
だが、新聞配達は自転車でもたいへんだ。同僚のおじさんはスーパーカブですいすいと配っていくが、自転車では運べる新聞の量も配れる範囲も限られている。
雨の日などからだはウィンドブレーカーで事足りるものの、商品の新聞が濡れてしまっては一大事。新聞の束をごみ袋で覆って自転車のカゴに入れていた。
ふつう新聞配達では1部ずつビニール袋に入れて配るものだが、マイナーな新聞だったのでそんなサービスはない。
したがって気をつけてはいても、新聞はビショビショになってしまう。
どうしても配るのも遅くなるので、あるときは仏頂面のご主人が雨のなか軒下で待っていた。
平謝りにあやまると、とくに文句も言われなかった。哀れな少年に同情したのかもしれない。ドライヤーでよく乾かせば、読めないこともない。
だが、あいにく同情には値しないかもしれない。高校生にとって月2万円の収入はリッチである。
私は友人に紹介してもらって新聞配達をはじめたのだが、毎週のようにその友人と焼き肉を食べに行っていた。横隔膜のハラミやいまや禁止されたレバ刺しの味もこのとき覚えた。
またふた月に1度はゲームソフトを買っていた。
マイナー紙なので設備は乏しく、チラシ入れは空き地の物置で行われる。
二人はいるとすれ違うのがやっとの大きさで、毎朝そこで友人と顔を合わせたが、息苦しいので二言三言話すくらいだった。
だが、マイナー紙でもいいことはある。折りこみチラシの数が少なく、作業がすぐに終わることだ。地元の有力紙だとチラシを入れるだけで一苦労である。
友人とともにあるパーティーの壇上で、〝模範的な新聞少年〟として表彰されたこともあった。
しかし、そのとき私はすでに〝元新聞少年〟だった。
高校の定期テストはおおむね赤点で、にもかかわらず、進級のかかった春休みの再テストにも寝坊した。
なんとか仮進級させてもらったが、再テストに来ないなど前代未聞だと叱られ、2年生を最後に新聞配達は辞めさせられた。
担任の家にも配っていたので、仮進級は温情なのかもしれない。
ウィンドブレーカーは1年足らず着たきりで、長らく衣装ケースに眠っていたが、大学院生のころ再びそでを通すことになった。
だが、新聞配達でなくチラシのポスティングだ。配っていた時間も早朝でなく深夜だった。
毎日決まった枚数を配る必要もないので、暇なときを見つけて深夜ラジオを聴きながら配った。もちろん雨の日はお休みである。
このころの心境は高校時代より、『十九歳の地図』の主人公に近かったかもしれない。
研究者をめざして大学院に進学したものの、親の会社が傾いて博士課程への進学はあきらめざるを得なかった。
もったいないので奨学金で進学したが、将来の見通しもなく借金を抱えることになった。
新聞のように決まった家に配るのでなく、手当たりしだい投函するので持ち歩く量は多い。
自転車でなく歩きなのは主人公と同じだが、不審者としか見られないのもまた同じだ。
ラジオを聴いて一人でゲラゲラ笑いながら深夜に徘徊し、他人様のポストになにやら入れてまわるのだから、そう思われてもしかたない。
「なんだお前は!」と家主に怒鳴られ、追いかけられたことも数知れず……。しかし、学生証を見せるととたんにやさしくなる。
予備校生の主人公が「なにも変りゃあしない。ぼくは不快だった。この唯一者のぼくがどうあがいたって、なにをやったって、新聞配達の少年という社会的身分であり、それによってこのぼくが決定されていることが、たまらなかった」(河出文庫版)と憤るのも無理からぬことだ。
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