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ティラミスチョコレート(ホワイトデーの思い出)

ティラミス、ナタデココ、パンナコッタ、ベルギーワッフル、マカロン、パンケーキ、タピオカ、マリトッツォ……これまで綺羅きら星のごとくスイーツブームが起こっては消えていった。

いまや定番化しているものも少なくないが、なかでももっとも思い入れのあるのがティラミスである。
バブルまっただなかの1990年、「イタ飯」ブームに乗って彗星すいせいのごとく現れたのがティラミスだった。

とはいえ、当時の私は8歳である。社会現象と化したティラミスとの接点はテレビCMだった。

ブームに便乗して様々なティラミス関連商品が登場したが、「♪ロッテ~の~ティ~ラミスチョコレ~ト……陽気においしいイタ・チョコ」のCMでおなじみのティラミスチョコレートは大ヒットした。

1991年、私がはじめてホワイトデーにあげたのが、このティラミスチョコレートだった。

小学2年のころ、クラスメイトに飯田さんという女の子がいた。彼女は剣道をやっていた活発な子で、クラスの女子のリーダー的な存在だった。

私は相棒の木下くんと飯田さんにちょっかいを出しては追いまわされる日々を送っていた。
スカートめくりをしようとするとまわし蹴りが飛んできた。

3学期のある日、飯田さんが風邪かぜで学校を休んだ。私は飯田さんや木下くんと同じ班で、班のメンバーが休んだときはその日のプリントと、連絡帳にメッセージを書いて家まで届けなければならなかった。

ふつう連絡帳には「早く元気になって学校で会おうね」などと記すものだが、私と木下くんはいつもの遊びの延長で、「今日は飯田が学校に来なくて平和だった。一生休んどけ」と書いて一緒に持っていった。

次の日、登校してきた彼女のリアクションを楽しみにしていたが、とくにパンチされることもなく何も言ってこなかった。

代わりに先生にビンタされ、2人そろって教室にしばらく立たされた。連絡帳のことで先生は烈火のごとく怒っていたが、私たちは冗談のつもりだったのでとても驚いた。

いくらふだん強気な女の子でも、病気のときにそんなことを言ってはならないのだと学んだ。泣きながら謝ると彼女は黙ってうなずいた。

クラスのお楽しみ会で班ごとに出し物をすることになった。
私たちの班はそのころ流行していた『東京ラブストーリー』のお芝居をすることにした。

「カンチ、セックスしよ!」の名セリフで一世を風靡ふうびしたトレンディドラマである。
飯田さんがヒロインの鈴木保奈美の役で、私は〝カンチ〟こと織田裕二の役だった。

このお芝居には細川くんの敵討ちという意味もあった。

クラスメイトの細川くんは当時「セックス」という言葉を覚えたのがうれしくて、廊下で女子とすれ違うたびに「俺とセックスしようぜ」と言いまくっていた。それを先生に見つかってこっぴどく叱られ、細川くんは号泣していたのである。

じつは『東京ラブストーリー』に「カンチ、セックスしよ!」というセリフはなく、たんに「ねえ、セックスしよ!」だったが、それをお楽しみ会の場で堂々と公言しようという狙いだった。

ところが、お楽しみ会の前日、班のメンバーと居残ってお芝居の練習をしているときから様子がおかしかった。
カンチである私の声はガラガラで、セリフはかすれて出てこなかった。

翌朝、私は高熱を出して学校を休むことになった。
お芝居に穴をあけ迷惑をかけた申し訳なさより、連絡帳の恐怖がまさっていた。

飯田さんに仕返しでどんなことを書かれるか想像すると怖かった。
とつぜん恋人役が休んで怒っているだろうし、「二度と学校に来るな!」ではすまない気がした。喜劇は一転、惨劇さんげきに変わりつつあった。

「飯田さんがこれ持ってきてくれたよ」

夕方まで生きた心地がしなかったが、母親から手渡されたのはプリントと連絡帳、そしてきれいな包装紙のチョコレートだった。

母親はニヤニヤ笑っている。忘れていたが今日はバレンタインデーだった。母親以外から初めてもらったバレンタインのチョコレートだった。

連絡帳には飯田さんから「カンチは細川が代わりにやったのでゆっくり休んで」とメッセージがあった。彼女は大人だった。

3月14日。私は飯田さんにバレンタインのお返しをしなければならなかった。
バレンタインデーはチョコレートと決まっているが、ホワイトデーはなにを渡せばいいのかわからなかった。

ホワイトデーは日本のお菓子業界の販促キャンペーンなので、やれマシュマロを買え、やれキャンディーを買え、と支離滅裂である。

だが、素直な私はチョコレートをもらったのだからチョコレートを返すものと信じて疑わなかった。 
ちょうどそのころ流行はやっていたのがティラミスチョコレートだった。

1箱が200円の高級チョコレートだった。ひと月のお小遣いが200円の小学2年生にとって、これは大金である。チョコレートを買ったら駄菓子もカードダスもガン消しも買えなくなる。

とはいえ、母親に相談するのは小さなプライドが許さず、私は100円玉を握りしめティラミスチョコレートを買いにいった。

飯田さんのマンションに持っていくと、彼女は留守だった。チョコレートは「……ありがとね」と戸惑いながら、彼女の母親が受け取ってくれた。

私は玄関先で渡すと逃げるように立ち去った。ドアの隙間すきまから段ボールの山がのぞいていた。

――飯田さんは3月いっぱいで転校していった。さよならを言ったのかどうか、記憶は定かではない。

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