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TVアニメ『Engage Kiss』が描いた合意と形式の板挟み:悪魔との契約の変遷が指し示す信頼の行方

はじめに

しかしね、とことんまで行ってみる力量もないくせに、あなた、どうしてわれわれのやからと手を結んだのです。飛んでみたいは山々だが、めまいが怖いというところですか。話を切り出したのはどっちでしたっけね、わたしどもだったのかな、それともそちらさまだったかな。
――ゲーテ『ファウスト』第一部より、メフィストーフェレスの言葉

(ゲーテ(高橋義孝訳)『ファウスト 第一部』新潮文庫、2010年、334頁)

 2022年9月に放送が終了したTVアニメ『Engage Kiss』は、人間と悪魔との契約という古典的な題材を多角関係のラブコメディに落とし込み、相手を信頼することの難しさと尊さを巧みに描いた秀作であった。
 本作の舞台となるベイロンシティは、次世代のクリーンエネルギー資源「オルゴニウム」の採掘と研究のために作られた、太平洋に浮かぶメガフロート型の都市である。どこの国にも属さず、自治権を有するこの街は、奇跡の鉱石「オルゴニウム」の恩恵によって、世界中の投資家・実業家・政治家から注目を集める世界経済の中心地として繁栄を極めていた。しかし、光あるところには必ず陰がある。ベイロンシティは「欲望に浮かぶ島」(第2話タイトル)、「自由と背徳の楽園」(第12話)として名を馳せる一方で、悪魔との契約によって怪物化した人間(悪魔憑き)が巻き起こす事件、通称「悪魔災害」が頻発する危険な街と化していた。ところが、ベイロンシティの独立を恐れた諸外国から押しつけられた「重火器法」によって、ベイロンシティ警察は重火器の所持と発射を禁じられており、悪魔憑きに対して無力化されていた。そのため、悪魔災害からベイロンシティの治安を守る役目は、悪魔災害業者として認可を受けたPMC(Private Military Company; 民間軍事会社)に一任されていた。
 本作の主人公・緒方シュウ(CV: 斉藤壮馬)は零細PMCの経営者であり、悪魔災害対策事業への入札でダンピングを繰り返す「相場荒らし」として同業他社からは疎まれている青年だ。シュウは幼少期に家族を悪魔災害によって失くしており、家族の死の真相を明らかにするため、悪魔退治に身を投じているのだ。そんな彼の切り札は、少女の姿をした悪魔・キサラ(CV: 会沢紗弥)。シュウは目的を達するために数百年を生きる規格外の悪魔・キサラと契約を結び、自らの記憶と引き換えにキサラの力を借りて、悪魔憑きの巣窟と化したベイロンシティを駆ける。なお、シュウがキサラの力を引き出すためには、契約上キスという形式を取らなければならない。キスによってキサラは覚醒を遂げ、シュウは記憶の一部を失う。本作のタイトルが『Engage Kiss』である所以はここにある。
 とはいえ、本作は契約の当事者であるシュウとキサラの一対一の関係に焦点を絞った作品ではない。シュウは劇中でも「クズ」呼ばわりされる多情なヒモであり(後掲の公式インタビューにおいて、主演の斉藤壮馬も「シュウは上から目線のクズではなくて、下手に出るヒモみたいなイメージでやってください」というディレクションを受けたと述べている)、本作の基本線は多角関係のラブコメディだ。本作のヒロインは、「ヤンデレ」的に独占欲と嫉妬を剥き出しにする「正妻」ポジションのキサラ、シュウの元カノで彼が独立開業前に勤めていた大手PMCの社長令嬢でもある夕桐アヤノ(CV: Lynn)、かつてシュウに捨てられたエクソシスト集団「星天教会」のエージェント・シャロン(CV: 大久保瑠美)の三人だ。本作はシュウに「沼る」三人のヒロインが衝突と共闘を繰り返す様子を他人事として面白おかしく描きながら、悪魔災害の真相を徐々に明らかにしていく構成を取っており、総合的に見て真面目くさっていない点で好感がもてる。

 本稿は、本作におけるシュウとキサラとの契約の形態に着目し、人間と悪魔との契約を題材とした古典文学との比較を通じて、本作の提示する契約観が信頼なき袋小路と化した現代社会における苦肉の策であることを明らかにするものである。なお、本作はシナリオライター・小説家の丸戸史明がシリーズ構成・脚本を務めたオリジナルTVアニメーションであるが、本稿では丸戸が関わった過去作品のなかに本作を位置づけることは行わない。

悪魔との契約の形態:要式契約から名目的な諾成契約へ

 人間と悪魔との「契約」と一口に言っても、その契約の形態は時代によって異なる。本稿は『Engage Kiss』の分析に先立って、ファウスト伝説を下敷きにした二つの戯曲、すなわちクリストファー・マーロウ『フォースタス博士の悲劇』(本稿では1616年の四折り判を参照)とヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ『ファウスト』第一部(1808年)を取り上げる。イングランドとドイツの地域的差異を度外視した記述となってしまうが、約二百年のあいだに悪魔との契約の形態がどのような変化を遂げたか、大掴みに論じることにしたい。なお、これらの戯曲については、既存の日本語訳に加えて、以下に掲げるウェブサイトの原文も確認した。

 マーロウの『フォースタス博士の悲劇』では、諸学問を軽蔑するにいたったフォースタス博士(Doctor Faustus)は、魔術によって召喚した悪魔・メフィストフィリス(Mephistophilis)とのあいだで、自らの肉体と魂を対価として地上の快楽を恣にする力を得る契約(契約期間は24年)を締結する。ここで重要なのは、両者が契約の締結にあたって贈与捺印証書(deed of gift)という形式を用いているということだ。『フォースタス博士の悲劇』第二幕第一場において、フォースタスが召喚したメフィストに対して「我はすでに汝のために魂を賭けたぞ」(Already Faustus hath hazarded that for thee)と言うと、メフィストは「だが、汝は厳粛に魂を遺贈し、汝自身の血で贈与捺印証書を書かねばならぬ……汝が拒むなら、我は地獄へ帰らねばならぬ」(But now thou must bequeath it solemnly, and write a deed of gift with thine own blood; … If thou deny it, I must back to hell)と応じる。それを受けて、フォースタスは自分の腕を傷つけ、血を滴らせながら魂の譲渡を誓うが、メフィストは「贈与捺印証書の様式で書いてくれ」(Write it in manner of a deed of gift)とあくまで形式にこだわる。結局、フォースタスは自らの血で「肉体と魂の贈与捺印証書」(a deed of gift of body and of soul)を作成し、記載内容を音読したうえでメフィストに交付(deliver)するにいたった。
 実はこの一連の手続はコモン・ローにおける捺印契約(contract under seal)の要件に忠実である。田中英夫編集代表『英米法辞典』(東京大学出版会、1991年)が端的に整理しているように、署名・捺印・交付の三要素をもって完成した捺印証書(deed)は厳粛な形式であって、この厳粛な形式を取ること自体が捺印契約の拘束力の根拠となっている。

contract under seal
捺印証書(deed)に記載して締結する契約。捺印証書は署名、捺印および交付で完成する。Contract under sealは、その拘束力の根拠は捺印証書という方式自体であって、約因(consideration)を欠いても成立する。

deed
紙または羊皮紙に署名し、seal(印影)を捺し、かつ相手方または第三者に交付(delivery)した文書。……元来は通常の文書とは異なる法的効果をもった……。

seal
古来、文書に印影を付することはその文書に拘束される意図を示す厳粛な方法とされ、その書面――deedまたはsealed instrument(捺印証書)――には、特別の効力が与えられていた。

(以上3項目、田中英夫編集代表『英米法辞典』東京大学出版会、1991年より抜粋)

 捺印契約は要式契約(formal contract)であって、ここでは契約の当事者間の合意は問題にならない。だからこそ、メフィストはフォースタスの確実な履行を担保するために、口約束(口頭の合意)ではなく贈与捺印証書の形式に依拠したと言うことができる。
 これに対して、ゲーテの『ファウスト』第一部では、『フォースタス博士の悲劇』に見られた厳粛な形式は失われ、口頭で合意した内容を備忘のために書き留めておくという実務的な次元への堕落が生じている。窮理の欲求に突き動かされる学者・ファウスト(Faust)は諸学問を究めても究めても満たされず、尨犬むくいぬ(Pudel)に扮して現れた悪魔・メフィストーフェレス(Mephistopheles)とのあいだで、自らの魂を対価として世界中の面白いものを見せてもらうという契約(Packt)を締結する。『ファウスト』第一部においても、メフィストが一行二行書くこと(ein paar Zeilen)を求める一方で、ファウストは「男に二言はない」とばかりに口約束で済ませようとしており(1712-1719行)、口約束と文書の対抗は表面的には維持されている。

メフィストーフェレス では早速今日の新博士の祝賀会で、
 あなたの下僕としての勤めを果たすことに致しましょう。
 けれどもただ一つだけ――念のために、
 ちょっと一筆書いておいていただきたいのですが。
ファウスト 証文? うるさいことをいう奴だな。
 君は男子というもの、男子の一言というものを知らないのか。
 己が一旦口にした言葉は、己の生涯を束縛する。
 それだけではいけないというのか。(1712-1719行)

(ゲーテ(高橋義孝訳)『ファウスト 第一部』新潮文庫、2010年、130頁)

 しかし、『ファウスト』第一部が『フォースタス博士の悲劇』とは異なり、贈与捺印証書のような厳粛な形式に依拠することなく、ちょっとした紙切れ(ein jedes Blättchen)に対する血の署名をもって契約を成立させている点には注意を要する(1736-1737行)。メフィストは血の署名という形式に固執しているように見えるが(1740行)、この署名は実質的には融通無碍であり、いわば形式ごっこにすぎない。ファウストの側も厳粛な形式の意義を理解できなくなっており、馬鹿げたことだと思いながら契約書に署名する始末である(1738-1739行)。男子の一言(Mannes-Wort)を重んじるファウストには、封蝋と革(Wachs und Leder)は杓子定規(Formstrenge)の権化としか映らない(1728-1729行)。

言葉は、筆で書かれた瞬間に生命を失って、
その代りにこんどは封印だの羊皮紙だのが威張り出す。(1728-1729行)

(同書131頁)

 二百年越しのこの変化を、堅苦しい形式主義の退潮だとか、当事者間の合意を拘束力の根拠とする諾成契約(Konsensualvertrag)への飛躍などと肯定的に捉えるのは早計である。所定の厳粛な形式を要さず、口約束のみをもって契約が成立するというのなら、契約書を作らなくたっていいはずだ。契約の相手方に全幅の信頼を寄せているのであれば、契約の内容を文字で書き留めておく必要はない(だって、相手は必ず契約を履行するはずだから)。それなのに契約書を作るのは、契約の相手方が不履行に陥る可能性、ひいては裏切る可能性を想定しているからである。一方では当事者間の合意に拘束力を認めながら、他方では合意が破られることを恐れる。相手は信用ならない人物かもしれないから、言った・言わないの水掛け論を避けるために、換言すれば将来確実に取り立てられるように、疑義のない契約書をしたためる。ここでは、疑心暗鬼が取引コストを高めている。信頼していない相手と契約関係に入るために合意の物証を残そうとするのは本末転倒であり、近代の諾成契約が基礎となる信頼を欠いた名目的なものに堕落したのは明らかである。『ファウスト』第一部における悪魔の誘惑もしくは人間の堕落とは、何と言っても契約の形態の堕落であり、それは人間が信頼なき合意の世界へ無謀にも踏み込んだことを意味していた。
 それにとどまらず、名目的な諾成契約は不意討ちの危険も高めることになった。相手をハメるための条項を含んだ契約書を作成し、相手に署名させて合意を仮装するという悪知恵が権勢を振るうようになったのだ。本稿が分析対象とする『Engage Kiss』も、かかる悪知恵の延長線上に位置している。

『Engage Kiss』における悪魔との契約:名目的な諾成契約の悪用

 『ファウスト』第一部の成立からさらに約二百年を下った現代社会では、人間は信頼していない相手(事業者)とも契約しなければ、生活インフラ(電気・ガス・水道など)や重要度の高いサービス(テレビ・携帯電話・インターネットなど)を利用できない状況に追い込まれている。事業者はそこにつけこんで、事業者側に有利な内容を仔細に書き連ねた約款のパッケージを用意し、パッケージへの同意を求めることで消費者を騙し討ちにしようとしてきた。それゆえ、事業者の専横から消費者を守るために消費者法が発達を遂げ、契約を事後的に取り消す制度が生み出されたり、不当な契約自体を無効とするような法律改正が行われたりして、いたちごっこが繰り広げられるようになった。
 信頼の欠如が常態化している現代社会の縮図として、『Engage Kiss』がメガフロートを舞台に選んだのは正当である。PMCの経営者の一人が「わしらの住む場所は土の上にはない」と語るように(第13話)、ベイロンシティの市民は文字どおり地に足がついていない。領域(土地)から浮き上がったヴァーチャルな空間は、好意的に見れば多元的国際市民社会に発展する可能性を秘めていると言えるだろうが、実際には無法地帯と化すのがオチである(だからベイロンシティではカジノが運営され、マフィア同士の抗争が起こり、星天教会という得体の知れない集団の介入を招く)。そんな信頼なき不毛の空間を舞台に選ぶからこそ、信じることを諦めきれない人間の憐れさが際立つとともに、相手を信頼することの尊さも強調される。以下では、本作におけるシュウとキサラの契約の形態に着目して、現代社会における信頼の行方について論じることにしたい。
 シュウとキサラの契約の形態は第11話で詳しく説明される。シュウは自身の遠縁にあたる人間と悪魔のハーフを捜し出し、彼女の封印を解いて契約を試みる。本作では悪魔との契約には「代価の指定」、「両者の合意」、「悪魔への名付け」が必要とされており、シュウは自身の記憶を代価として(魂を代価に指定すると一度しか契約を締結できないが、記憶なら切り売りができるから)、ファーストキスの相手の名前「キサラ」を悪魔に授け、悪魔・キサラとの契約関係に入る。こうした視聴者を魅了するフックのせいで、「代価の指定」と「悪魔への名付け」の二要素に気を取られがちだが、キサラとの契約が合意ベースで成立していることを看過してはならない。シュウはキサラを帯同してベイロンシティへ戻ったあと、悪魔退治の都度契約を締結する煩を避けるため、キサラに「儀式の簡略化」を持ちかける。「お互いの同意があればすぐに契約が結べる。そのための契約を結ぶんだ」――シュウは基本契約と個別契約を分けるような言い回しで、分厚い契約書をキサラに渡す。シュウは「いままで行っていた儀式の内容を何一つ漏れも間違いもないように細かく書き記しただけさ」と言うが、実際は自分に有利な条項を極小の活字で契約書のなかに忍ばせていた。

補足263:契約破棄の条件、手順
儀式時に、甲〔注:シュウ〕が両手の指を組み神に祈りを捧げた場合、契約破棄の意志とみなし乙〔注:キサラ〕はそれ以降、甲からの記憶提供を受けられないものとする。

 しかし、シュウの詐術は契約書を隅々まで読んだキサラに見抜かれており、シュウはキサラから逆襲を受けることになる。「契約解除はこっちが決めることでしょ、人間さん」――キサラは儀式(個別契約)を唇同士の接触に、補足263を「恋人繋ぎ」に書き換えて、シュウに不意討ちをかける。策士策に溺れるとはこのことで、キサラを名目的な諾成契約の罠にかけようとしたシュウは逆に足をすくわれ、自業自得ながら「両者の合意」により成立した不当な契約に縛られることになった。
 シュウは悪魔退治のためにキサラとキスを重ね、そのたびにキサラに記憶を奪われていく。確かに魂とは異なって、記憶はある程度切り売りの融通がきく。だが、記憶はひとつながりであり、完全に切り分けることはできない。行きずりの女の匂いや感触を忘れれば、それと一緒に睦言の内容も忘れてしまうように、記憶の綻びは徐々に広がっていく。シュウは昔の恋人や家族との思い出も少しずつ忘却し、悪魔と戦う目的さえもおぼろげになっていく。こうした破滅の予感にもかかわらず、本作はアクロバティックな解決策を提示して、シュウの破滅を回避する。最終決戦の直前、自身のすべての記憶を差し出すと言うシュウに対して、キサラは契約破棄の条件たる「恋人繋ぎ」で応じるのだ(第11話)。「恋人繋ぎ」によってキサラとの契約が終了した途端、シュウはこれまでキサラに奪われていた記憶を取り戻す。実は、キサラはシュウと出会う前のキサラ自身の記憶を力に変えており、シュウの記憶には手をつけていなかった。シュウの記憶は消費されずにプールされていたため、そのままシュウに戻されることができた(第12話)。つまり、キサラは自分の不利になるように(有利になるようにではなく!)シュウを騙し討ちにしたのだ。シュウは補足263が書き換えられていることを知らずに契約関係に入ったため、突然契約が解除され、記憶を取り戻した事情をすぐには飲み込めない。キサラに出し抜かれたことに気づいたとき、シュウは「馬鹿だ」、「人間に丸儲けさせてどうすんだよ、悪魔のくせに」と涙を流すことしかできない。その場に残ったのは、何も覚えていない抜け殻の悪魔と名目的な諾成契約に翻弄された人間なのであった。

一途な悪魔と多情な人間:信頼なき諾成契約への意趣返し

 本作は、諾成契約を基礎づける信頼と恋愛における一途さを重ね合わせ、一途さを悪魔に担わせるという巧みな構成を取っている。第7話において、星天教会のエージェント・シャロンは「人を殺さないのは、人間愛に目覚めたから? 違うでしょう? まさか悪魔が人間の男にたらしこまれるなんてね」とキサラを挑発する。これに対して、キサラは「間違いなく私は騙されてる。けれどいい! それでいい! 死ぬまで騙し通してくれるなら、それでいい!」と応じる。キサラのこの一途な言葉は「お前とじゃなけりゃ、悪魔とキスなんて死んでも嫌だね!」というシュウの言葉と呼応しているが、現代社会における信頼の行方を考えるうえで示唆に富んでいる。
 現代社会において、お互いに絶対に裏切らない・出し抜かないという高度な信頼を醸成するのは容易ならざることだ。そもそも信頼が破砕した際の自律的な制裁手続が社会に備わっていないため(債務不履行による損害賠償では信頼したこと自体をアプリオリに尊重できない)、約束を反故にした者勝ちになりがちである。また、当事者側も一回一回の履行に固執する責め心が強いため、相手が履行しないのではないかという猜疑心が無限に膨らみ、人的保証や物的担保をあれこれと要求しては、名目的な諾成契約をさらに奇形化させる。そんな状況下にあって、騙されてでも擬似的な信頼ごっこに身を委ねたいという強烈な欲望があらわれてくるのは不思議ではない。この欲望を末期的な症状だと嗤うのは簡単だ。しかし、我々がどうあっても信頼から逃れられず、何かを信頼せずにはいられない以上、相手を信頼すると馬鹿を見るとか、騙されるほうが悪いといった賢しらな言説は何の処方箋にもならない。詐欺師の跋扈と人間不信は順接の関係にはない。
 相手に全幅の信頼を寄せられない不毛の空間でも、我々は口約束(口頭の合意)をしてしまう。当然ながら、特段記録を残すことなく合意したという記憶に頼りきるのは不安が大きい。かといって、厳粛な形式はもはや自由を羈束するうざったいものにしか思えない。我々は合意と形式のあいだで板挟みになっている。だからこそ、本作は信頼なき袋小路と化した現代社会における苦肉の策として、名目的な諾成契約をキスという形式的な行為によって駆動させる選択肢をとった。シュウとキサラのあいだでは、キスによって個別契約が締結され、「恋人繋ぎ」によって基本契約が解除される取り決めがなされていた。もちろん、これらの契約は表面上「両者の合意」を前提としているから、『フォースタス博士の悲劇』に見られるような要式契約とは言えない。しかし、真の意味で契約の当事者が合意にいたっていようがいまいが、キスや「恋人繋ぎ」という行為が尊重されるとき、ここでは形式が部分的に合意を超えようとしている。形式的な行為にこだわる一途な悪魔の不意討ちに、合意を心の底からは信じきれない多情な人間が泣かされる。この構図は信頼なき諾成契約が蔓延する現代社会への意趣返しと言うべきだろう。
 『Engage Kiss』の最終回(第13話)において、シュウはキサラに「勇気」を与える無償のキスをする。形式の真似事から始まった二人の関係は、契約解除を経て合意の真似事へと変質していく。記憶を失い廃人になってでも悪魔災害の真相に辿り着こうとするシュウと、彼になら騙されても構わないと破滅的に思考するキサラの共依存的な関係が、信頼なき不毛の空間において信頼を再構築するための橋頭堡となるとは、さすがに舌を巻くほかない。とはいえ、本稿の冒頭でも述べたように、本作の基本線は多角関係のラブコメディであって、シュウ一筋の姿勢を示すのがキサラ一人だけではないことはやはり無視できない。悪魔のキサラ、元カノのアヤノ、エクソシストのシャロン――シュウを中心とした一途なヒロインたちの空騒ぎは終わらない。さらに、本作の終盤では四人目のヒロイン候補として、鬼頭明里の声でウーウー唸るシュウの妹・カンナも参戦する。ヒモとして堕落していく兄を見かねて、他のヒロインの排除を試みる「おてんば」な妹が最後に立ちはだかる展開はどうしても半笑いを誘うが、契約にまつわる信頼というテーマを重くなりすぎないように取り扱うためには、これでよかったのかもしれない。
 「未解決で大団円」という最終回のタイトルが示すように、本作は悪魔災害と多角関係の整序をあえて放棄して、盛大な爆発オチに帰結する。視聴者は徒労感と多幸感がないまぜになった奇妙な感覚のなかで、信頼の残り香をかすかに感じることだろう。それこそが本作の味わいであり、ある種の屈託を湛えた「くだらない」美少女アニメの魅力なのである。

おわりに

 本作は現代社会における信頼の行方を描いた文藝面はともかく、舞台の画作りには若干の疑問が残る作品であった。ここでは一例を挙げるにとどめるが、第5話において、シュウがベイロンシティ警察特別犯罪対策局(通称「退魔局」)の三上警部補(CV: 長谷川芳明)と悪魔災害に関する会議を行っている場所が、カツ丼チェーンの「かつ也」なのは違和感を拭えなかった。本作の設定上、悪魔の存在は報道統制と隠蔽工作によってベイロンシティの市民には伏せられているはずなのだが、このシーンでは背景に民間人が描かれた状態で会議が進んでいく。三上は立ち上がって堂々と悪魔の話を公言しているが、食事をしている客たちは誰もそれを気にする様子がない。この画作りでは、悪魔の存在がトップシークレットだという設定に説得力がなくなってしまう。設定と画作りがちぐはぐになってしまうのは、A-1 Picturesという制作会社に起因する問題なのか、巷に言うキャラクター同士の「関係性」にフォーカスした作品にありがちな近視眼(背景のピンボケ)のせいなのかはわからない。アニメ(特に深夜帯の美少女アニメ)において、一枚一枚の画が美麗・精密に描かれていることや滑らかに動いて見えることが標準的になったとしても、伝えたい情報がきちんと「伝わる」画作りは難しいのだなと改めて感じた一幕だった。
 最後に、本作の出演者については、キサラ役を演じた会沢紗弥とアヤノ役を演じたLynnの二人に触れておきたい。会沢紗弥は『大正オトメ御伽話』(2021年10月期)の立花夕月役とあわせて、一途なヒロインの陰陽を図らずも見せることになった。この陰陽は『Engage Kiss』に限っても、契約解除とともに記憶を失う前後の落差(第12話)によってコンパクトに表現されており、その意味で本作は「一粒で二度おいしい」作品でもある。Lynnは他のキャラクターに対して食い気味に入れるツッコミもさることながら(分散収録が常態化している現状、声優同士の阿吽の呼吸とは断言できない)、第5話から第6話にかけて繰り広げられるキサラとの心理戦の演技が冴えていた。アヤノは、嫉妬深いキサラならシュウから他の女との情事の記憶を奪うはずと踏んで、「二度と干渉しない」という守る気のない約束をシュウと交わす。アヤノは目論見どおり、シュウに囁いた睦言の記憶をキサラに奪わせることに成功し、シュウへの干渉を続けられるポジションを保つ。シュウが何も覚えていない以上、キサラもシュウを怒るに怒れない。結局、契約解除によってシュウの記憶は巻き戻り、昔の企みをシュウに知られたアヤノは慌てふためくのだった(第12話)。緻密なシリーズ構成・脚本に翻弄されるように聞かせる声優の作為というのは、実に心地よいものである。

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参考文献

ゲーテ(高橋義孝訳)『ファウスト 第一部』新潮文庫、2010年。

マーロウ(平井正穂訳)「フォースタス博士の悲劇」『筑摩世界文学大系18 古典劇集』筑摩書房、1975年、5-50頁。

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