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#370 【追悼】人の心に寄り添うこととは

 この世には多くの偉大な文学作品が存在します。名作が名作と呼ばれる理由の1つには、著者が紡ぐ文字が人の心に寄り添うことがあるように思う。

 私は昔から、人の心の弱さ、嫉妬、矛盾をテーマにした作品が好きでした。他者には決して言語化できないが、されど心の奥深くに根付く闇にそっと手を差し伸べてくれるような感覚があったから。

 作家・伊集院静氏が先日この世を去りました。

 「仕事の流儀」は、私の心の矛盾に寄り添ってくれたことを覚えています。彼の人生を改めて振り返れば、特に女性関係に関しては決して褒められたものではありません。当時の私がそうだったように、彼もまた自分が思い描く「美しさ」と、そうあれない「醜さ」の中に葛藤があったのかもしれない。人は綺麗事だけでは生きていけないというある種の「言い訳」を携え生きながらも、その言い訳を一番憎んでいるのはその人自身であるような気がするのです。彼の紡ぐ文字には、この世の不条理に対する怒りを当時の私は感じていたことを覚えています。

 俵万智さんの有名な詩に『サラダ記念日』があります。

この味がいいねと君が言ったから七月六日はサラダ記念日

 彼女の紡ぐ文字の中に人間のネガティブな感情は一切見えない。ただ、そこにある幸せを見つめている。その詩が人の心に響くのは、お金や地位や名誉といった記号に支配されず、ただ自分の大切な人と平穏で何気ない時間を過ごすことを、本当は皆が求めているからだと気づいたのは、私自身が記号的支配から距離をおくことが徐々にできるようになってからでした。

 私たちが何かを表現する時、その出発点には自分自身の満たされない感情が存在します。満たされない感情は自分を奮い立たせる大きなエネルギーとなり、自分を前に前に推し進めていく。一方、人はどこかでその負の感情と向かい克服しなければならないとも思う。蓄積された負のエネルギーは「怒り」に転換され、いつの日か暴走を始める。制御できなくなった怒りは自分を含めた多くの人を傷つけてしまうです。結局、本当の意味で誰かに寄り添う言葉や文字は、負を乗り換りこえた先にある正の感情なのではないかと。

 伊集院静さん、「仕事の流儀」を近々読み直そうと思います。

 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


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