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褒めるのも叱るのも人をダメにする。私が「賞罰教育」を嫌うワケ

賞罰教育は令和時代の今でも根強く残っていますが、個人的には賞罰教育は肯定できません。

なぜなら、褒めるのも叱るのも「上下関係」を作ってしまうからです。

私自身はバリバリの賞罰教育で育ちましたが(怒鳴られたり殴られたり)、私自身のポリシーとしては「誰も褒めないし説教しない」です。


え?褒めるのは別にいいんじゃない?
と思うかもしれませんが、人を褒めるという行為も実は非常に良くないんです。

※ルックスや内面はOK
※行動や成果はNG


それがどういうことか、今日はお話していきます。
押し付けるつもりはもちろんありませんので、参考までにどうぞ(^^)





「褒める」という行為

人間誰だって褒められたら嬉しく感じるものです。
子供ならなおさらです。

「静かにお留守番できたんだね、えらいね!」
「90点とれたんだ!すごいね」
「かけっこで一番になるなんて、すごい!」

これらの言葉を投げかける親御さんは多いと思います。
行動や成果をすぐに褒めてしまいます。

しかし、よく考えてみてください。


これらの言葉を裏返すと

「あなたにそれができると思っていなかった」
「あなたは私より下の存在だ」

と伝えているのと同じなんです。


言った本人にそんなつもりがなくても、言葉がそれを証明しています。

なぜなら褒めるという行為は本来、目上の人が下の人にする行為だからです。

子どものことを同等な人間として扱わず「年齢が若い」という理由だけで下に見てしまっているのです。

 

これでは上下関係ができてしまうし、子どもが外発的動機付けで行動するようになってしまいます。

※外発的動機づけ = 報酬を得る、または罰を回避するために行動する

親と子、両方にとってあまりいいことがないですね。


「褒めて伸ばす!」みたいなことをよく聞きますが、それでは自分の意思ではなく「褒められるために頑張る!」子供になってしまいます。


ではどうするべきかというと
「感謝」と「勇気づけ」をすればいいのです。


さっきの言葉たちを言い換えるとすれば、こんな感じです。

「静かに留守番してくれたんだね、嬉しいありがとう」
「勉強がんばっている証拠だね!それとも天才なのかな?90点とるなんてママも嬉しい」
「かけっこで一番か~!○○ならやると思っていたよ!誇らしく思うよ」


 
基本的に

「すごい!」
「さすが!」
「~できるなんてビックリ!」

などのニュアンスはNGです。

相手に期待していなかったという表現になってしまいます。

 

これは社会人同士にもいえますね。
褒められたのに、何かイラッとしてしまった経験ありませんか?笑

「なんでお前に褒められないといけないんだよ、バカにしてんのか」的な気持ちになってしまうのですね・・・。

なので、むやみやたらに人を褒めればいいってもんじゃないです。

「行動と成果」は基本的に褒めない方がいいでしょう。
褒められた方も別に嬉しくありません。(子供は喜びますが)


相手を褒めるなら「ルックスや内面」です。

綺麗な顔立ちしてますね!
素晴らしい考えをお持ちですね!

これらの言葉には裏がありません。(嫉妬している場合は別ですが)
相手も素直に喜んでくれます。




「叱る」という行為

そもそもを言ってしまえば
信頼関係ができている人間同士であれば「叱る」という行為をする必要がありません。

穏やかな口調で話し合うだけで簡単に解決します。


さらに言ってしまえば
悪いことをしたからといって、相手を叱る必要はないのです。

よく「相手のためを思って叱っている」という人がいますが、それは自分を正当化してる物言いです。 

相手をコントロールしようと躍起になっているのが見え見えです。
先生でも親でも同じです。

 

ここで少し、私の中学生時代の話をしましょうか。
賞罰教育がいかに非効率で、子供にとって悪影響であるかの参考になると思います。

私は中学生の頃、スカートの長さや化粧を注意され全体朝礼の時にみんなの前に立たされたことがあります。

そして、先生に思いっきりケツバットをされました。(昭和かよ!!)

そのときの私は、強い怒りと反発心しかなく

「きも、ふざけんなクソじじぃ!」
「死ねよ気持ち悪い!」

と心の中で叫んでいました。

そこに反省もクソもありゃしません笑

大勢の前で恥をかかす先生に信頼を寄せるなんてまず無理な話で、もちろん大嫌いになりますよね。憎しみさえ生まれます。

その憎んでて大嫌いな人からの言葉を、素直にきけると思いますか・・?

普通にムリですよね。

中学生の私は何度注意されても、短いスカートも化粧もやめませんでした。むしろ反発して、わざとやってましたね笑

高校に上がっても同じように規則を守れと、叱られてばかりでした。

大人に対して反抗心むきだしの青春時代でした。
(反抗期とかそういう問題じゃないと思う)

  

規則を守らなかった私も悪いですが
脳も精神も未成熟な子供に対して、ひたすら叱るという教育方法ははたして正解だったのでしょうか・・?

「罰を避けるために、仕方なく言うことを聞くしかない」という考えを植え付けられただけではありませんか?

規則を守ることの大切さなんて教えてもらってません。

これはダメだからやるな。
もしやったら罰を与えるぞ。

ただそれの繰り返しです。


根本的な解決には至っていないことを、教育者たちは理解していません。

 

「子供を教育してやった」

という優越感に浸り、満足感を得ているだけです。 

人は自分が優位になって怒りをぶつけている時、脳では快楽ホルモンが分泌されます。それで説教することがクセになってしまう人もいます。

それすら知らないバカな大人たちは、子供を叱ることで自分がストレス発散させてもらっていることに気が付きません。(言葉悪くて申し訳ない)


この際言ってしまいますが

「賞罰教育=大人が子供を下に見て雑に扱う、敬意を示さない」

だと私は思っています。

私自身がそうやって育てられてきたので、賞罰教育が嫌いなのです。
(褒められたことはないが)

子どもの頃、尊敬していた大人は1人もいません。
同じ目線で物事を考えてくれたり、信頼して話せる大人なんてどこにもいませんでした。

大人はいつも上から目線で物を言ってくる。

偉そうにしやがって、ウザいんだよ。
大人なんて大嫌い。

そのように思っていましたね。

対人関係は鏡です。
大人が子供をナメてかかるから、子供も大人をナメるのです。

そんなの当たり前ですよね。

教育者や親は「子供の心理」をもっと考えてあげるべきだと思います。





外発的動機づけで交通ルールを守る大人たち

ここで、ひとつ面白い話があるのでサラッとお話します。

「赤信号で止まらなければいけないのは、なぜですか?」
という質問をアメリカ人にやったところ、

なんと70%の人が「警察に見つかると捕まるから」と回答したそうです。

そして25%の人が「私が怪我をすると困るから」
5%の人が「自分も他の人も怪我をしたら困るから」

と答えました。


事故を避ける、という目的より先に「罰を避けるために」交通ルールを守っている人が大半だったのです。

国民性もあるとは思いますが、けっこう衝撃ですよね。

これは賞罰教育が招いた悲しい結果と言えるでしょう。

一番大事な「なぜルールを守るべきか」を考えない。
ただただ、罰を避けるために行動する大人になってしまうのです。

そんな大人でいいんでしょうか?

それで大人と呼べるのでしょうか・・・。
首を傾げてしまいますよね。


※すいません3年前くらいに書いたメモ書きの情報で、時期や人数は不明です。たしかメンタリストDAIGOさんの本だったような…




まとめ

今日は賞罰教育のデメリットのついて書いてみました。
時代の流れ的にも、もう賞罰教育は古いと思います。

縦関係ではなく「横関係の社会」を目指していった方がいいでしょう。

なんで同じ人間なのに、年齢とか経歴が違うだけでヘコヘコしないといけないんですか?尊敬している相手ならまだしも。

まぁ価値観や教育方針は人それぞれなので、この考えを押しつけるつもりはありません。

「こういった考えもあるんだな」くらいに思っててください。
不快に思った方がいたらごめんなさい!忘れてください。



今日はそんな感じです(^^)

最後まで読んでくれてありがとうございました。
ではまた明日執筆します、ではでは!

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