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自分の大気圏をふくらまそうよ。

「空気というのは、酸素と窒素と“ことば”でできている。」

これは、主人の持論なんです。

今は、音声より活字の“ことば”のほうが強くなってしまってる。
“ことば”は、音声にだしてしゃべることも“ことば”だけど、活字で読む文字も“ことば”だし、音楽も映像も全て“ことば”なんだと言っていました。

「会いたい人がいたら、どんどん会いにいけばいい。」
「自分の好きな人、尊敬する人の“ことば”に、どんどん会いにいきなさい。もし、その人が死んでたら、その人の本を読めば“ことば”に会えるよ。」

好きな人のコンサートでもいいし、好きな監督の映画でもいい、歌舞伎、落語、講談、浪曲、ジャンルにこだわる必要なんかない、たくさんのいろんな文化の“ことば”に会いにいってほしい。

自分の持つ、“ことば”の大気圏。

空気は、酸素と窒素と“ことば”でできているから、自分が持っている“ことば”の大気圏からは出られない。
だけど、その大気圏をふくらませることはできる。


わたしが想像する「宇宙」と、主人が想像している「宇宙」は、きっと違う。
主人が想像してる「宇宙」と、例えば、谷川俊太郎さんが想像する「宇宙」は、きっと違う。

そんなふうに、いろんな人の“ことば”に出会うことによって、自分が想像している「宇宙」のイメージがどんどん豊かになるんだと。
そしたら、自分が持っている“ことば”の大気圏はふくらむでしょう。

同じ環境や考え方同士の中から出れない人

これは、政治家サンに多いんじゃないでしょうか?
自分の周りに、同じような考え方を持った“ことば”だらけだったら、想像力貧乏になり、他の人のことなんか考えられなくなるんじゃないのかなあ。
同じ空気ばかり吸ってると、酸素不足になるんじゃないかと心配にもなる。

多数派の“ことば”だけじゃなく、少数派の“ことば”にも、もっともっと会いにきて、ふれにきてほしいと思います。
お金持ち同士が話してても、お金に困っている人たちのこと想像できないでしょう?

例えば、読売新聞だけしか読んでなかったら、読売新聞の情報しか入ってこないですよね。
そうなると、自分の大気圏は読売新聞一色になってしまう。
そこで、他の新聞も読んでみる。
朝日新聞を読むと、書かれてる情報が、読売新聞と全く違う。
どっちの情報を信用するかは、それぞれの勝手だけど、読売新聞だけの情報しか頭になかったものの中に、朝日新聞の情報がポーンと入ることで、あれ?って気づき、そこで想像力が働く。

ものごとを、一方から見ないで、いろんな側面から見ていくと、また違う大気圏にふれ、自分の大気圏が大きくなる。
いま起こってるものごとの表面には、必ずもとになる底の部分がある。

右側で起こってることは、左側でも起こっている。

そうやってものごとを見て、お互いの立場になって中立から見てごらん。

“ことば”は場所にも関係する。

空気は、酸素と窒素と“ことば”でできていると書きましたが、場所にも関係があると思います。
その場に行かないと、わからないものがいっぱいある。
新聞やテレビ、ネットだけの“ことば”だと、その情報だけで完結してしまうけれど、現場に行って、この目でその場を見て、そこにいる人の“ことば”にふれると、全く“ことば”の重みと深さは変わってくる。

それは、どの文化でもそうだと思う。遊びも文化だからね。

“ことば”を職業にする人は、特に情報を伝える側は、現場に行かなきゃいけないと思う。

そうじゃないと、ちゃんとした責任のある“ことば”は、言えないと思う。
そう言ってました。

好きな場所に行って、好きな人の“ことば”に会いにいきたいなあ。

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