ISHIYA私観「平成ハードコア史」〜#17 MAD CONFLUX

 2019年の今年、平成という時代に終止符が打たれる。

 1989年から始まった平成だが、昭和からパンクシーンにどっぷりと浸かった俺は、昭和も終わりを迎える頃にDEATH SIDEというバンドでライブ活動やレコード発売が活発になって行った。

 自身の活動を踏まえた上で考えてみると、平成という時代が人生のメインとなる活動時期だったと感じ、私観ではあるがその歴史を書き留めておこうと思い筆を取った。

 これから連載をしていこうと思っているこのコラムでは、全くと言っていい「極私観」に基づくものであり、俯瞰の要素からはかけ離れているだろう。

 しかし、平成のアンダーグラウンド・ハードコア・パンクシーンを体験し続けてきた俺の記憶に興味のある方であれば、興味深い話があるはずだ。

 今まで世に出ていないこともたくさん出てくるはずだと思うし、こんな世界が世の中にはあるんだと、少しでも興味を持ってもらえれば、俺が人生を賭けてやってきたことも報われる。

 売文を生業としているのでこのコラムに関しては有料とさせてもらうが、興味がある人は是非このコラムを購読してほしい。

 今後このコラムを読んで、様々なバンドに親しみが湧く人間もいるだろう。しかし、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。

 昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。
そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。

「#17  MAD CONFLUX」

 DEATH SIDEでツアーをやり始めたのは1987年であることは以前のコラムで触れたが、その後鉄アレイとBURNINGSPIRITSをやり始める。それからも色々なバンドとツアーを周ったが、昭和の終わり頃にOUTOと一緒に西側を周ったHALF WIT TOURのとき、DEATH SIDEが初めてツアーを周ったときのように「ギャラなんかいらないから連れて行ってくれ」と言って来たバンドがいた。横須賀のMAD CONFLUXである。

 SYSTEMATIC DEATHが活動停止になり、横浜や神奈川のハードコアにはめぼしいバンドがいなかった。RAISE CAINがDEATH SIDEやS.O.B、Nightmare、鉄アレイなどが入ったオムニバスアルバム「EYE OF THE THRASH GUERILLA」に収録されているが、ほかに「これは!」と思うバンドに出会えていなかった。その後MAD CONFULUXと出会い「これは間違いない」と感じたのだが、この出会いは現在のシーンでの繋がりにも発展していく重要な出会いだった。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!