ほったらかしてきた根本のこと

後ろめたいようなことではなく、あまりにプライベートなことなので、いろいろなことを考えて詳細は避けるが、8年間ほったらかしてきた、蓋をしてきたことがある。これをもう蓋を開けようと思った。

毎日それが気になるわけではないが、必ずいつもどこかにそれが頭の片隅にちらついていて、それを解決しないで逃げ続けている自分のことを情けないやつだと感じていたこと。それにもう踏ん切りをつけることにした。


8年というのは長い。


ぼくは8年の間に、独立して仕事を始めたし、市議会議員選挙で多くの人から期待をもらって市議会議員にもなった。移住してきてくれる人たちとドラマのような日々があって、シェアハウスがたくさん生まれる時期もあった。

離婚もしたし、でかい古民家も買った。ブータンにもいくことになったし、市議会議員としての仕事を終え、個人に戻ってまた活動を始めることにもなった。小商い塾をゆるやかに始めてもう4年が経ち、100人近い人たちとの深い話を通じて、たくさんの人の生きてきた軌跡を学ばせてももらった。


たくさんの人の話に真剣に耳を傾けてきたなかで、「みんなそれぞれ幸せを願って生きている」ということがわかった。知っていたような気になって、実はわかっていなかったことを、いくらかは前よりも分かるようになった。

話を真剣に聞かせてもらうだけで、多くの人は楽になっていくのだということを感じていった。話すことっていかに大事なことなのかを、深く知った。体験とともに、話を聞く間合いをたくさん失敗させてもらう中で、いくらか相手が気持ちよく話せるような気配りが備わるようになったようにも思う。

貴重な人生の話を聞かせてもらい、人はなぜ素直に言えなくなってしまうのかってことを、またいつか素直になりたいと思いながらどんどん言えなくなってしまっていくのだということを、またどこかで諦めてしまって、そんな自分のことを後ろめたく思ったりすることを、疑似体験させてもらった。


自分の話をするときは遠慮する。思いがありすぎて、話が長くなってしまうから、どこまでいっても尽きないような話に付き合わせてしまいそうで。

それでもクソ真面目に横で話を聞いてくれるような人がいたら、ついつい昔話をしてしまうってことがある。昨日はまさにそんな日だったなぁと思う。


走っていた懐かしい街の風景に、ふと思い出すいろんなことの中で、不用意に思い出さないほうがよかったようなことが勢い余って口に出てしまって。

まあでも別に急いで帰るわけでもないし、運転する間の時間を過ごすためのいい時間になるかもなんて軽い気持ちで話し始めたら、自分の中にあった、思いのほか封印に近いような感情がそこにあることを見つけた。


あ、まずいなあ。これはまずい。


話しながら、まずい、これは息が詰まるやつだとわかる。おちついて呼吸して話していかないと、隣にいる相手を心配させてしまうようなやつだ。

いつからそんなスキルがついたのかは知らないけど、息が詰まって、目に涙が浮かんでも、しばらく言葉を止めて、落ち着いて呼吸をして、飲み込んでから話し始めれば、気持ちも落ち着いて、呼吸も落ち着いて、涙腺の活動も抑えることができるようになっている。


心配させたって別に問題ないのに、ついついまたいつもの癖が出てしまうものだ。心配かけさせまい。動揺を見せまい。ま、すぐバレるんだが。

無駄な抵抗をしながら、ぽろぽろと言葉を吐き出して、自分が思いのほか、過去のことに縛られていたことに気づく。蓋をしていたことに思い至る。

なんだか古民家の掃除から始まった自分の棚卸は、いよいよ自分の中でも大きな問題に踏み入ろうとしていると気づく。避けられなかったことにも。


ただ、聞いてもらえたことと、代りに自分が抑えた分を隣でボロボロ泣いて目がショボショボになってくれていた心から信頼する友人のおかげで、誰に言うこともなく悲しみきれなかったことに対して、それが治癒されていったような感情があって、本当に感謝した。めっちゃありがたいことだなと。


高野山にいったとき、またいつもどおり奥の院の御廟において、今回はなんとなく目を閉じることなく向き合い、瞬きなしに数分向き合いたくなった。

当たり前だがめちゃくちゃ目が痛くて、涙が滲み、最後はぽろっと涙がこぼれて、一息ついて今回の空海センパイとの対話は終わった。痛みを伴う対峙こそが、ここからのポイントであると示されたかのような気持ちだった。


いまほんと、その通りだよ。
いつも不思議だな。


急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。