生きづらさを愛と光へ!NO.7 初体験で始まった義母の介護。「義理のお母さんですよね?」の意味が今頃わかった。
私は、自分の生まれ育ってきた環境、生きづらさからの克服、そして娘の吃音症からの学校へ行きたくないという想い、そして義母の介護のことを主にこのnoteで投稿してきた。
どこかの誰かのために、少しでも心のどこかで支えになればと思い、続けている。
私は今年の3月が来ると、丸9年義母の介護に携わった事になる。
途中、2年半介護施設に入所していたが、義母が家に帰ると言って聞かず、それから家で再び看ることになった。
入所している時も、着替えを持って行ったり、毎月数回面会に行き、病院へも数回は連れて行ったと思う。
結局は、私の考えと言うよりも、まだまだ、数年前は義母の考え方や私の考え方も、この田舎の風習みないなものに合わせていたり、囚われていたことになる。
時代って言えばそうだろうけど、時代だけの問題でもないんだろうなと…
もし、今から義母の介護となると、おそらく仕事は辞めていない。
今の自分だから言える事であるが、最近1番言えること、思うことは、介護と、吃音症の娘の子育ては同時には困難ということである。
今どういう状況かと言うと、一年前に笑えていたことではもう笑えないと言うこと。
認知症の始めの頃は、介護も笑いに変えて、と思っていたし、みんなで笑っていた。
しかし、今はもう笑えない。
夫の服までその辺にあると、自分のために出してくれてると思い、夏の暑い日にもTシャツを2枚重ねとか、人のズボンも自分のものかどうかわからないようで、2枚履いたりしていた。
その時はみんなで笑いに変えたけど…
一昨日も、度々知らない人が部屋に入ってきたと言い、施設の介護士の方も来たと義母は言っているが、夜一度寝て、起きて、誰かと話していたり、夜中に、一階から、「〇〇さーん!〇⚪︎〇〇!ちょっと来てみんねー!!」
最近は私の名前と、夫の名前を呼ぶもんだから…
2人して起きて、絶対にあり得ない話に付き合い、夫は1人小芝居…
玄関を開け、見渡し、仏間に行ってみて、窓を開けて見て、「誰もおらんけん、もう寝らんね」
と言ってやっと寝る。
私が義母の介護のために仕事を辞めると決意し、近くの総合支所に行った時のこと、「え?義理のお母さんですよね?仕事辞めるんですか?」と言われた事に、ずっと引っかかっていた。
その時から9年ほど月日が流れ、やっとわかった。
私は軽がるしくも、義母の介護を買って出るという行動をとった事になるのだけれど、始めの頃は只々、介護初体験の私が義母の介護ーーー!と、かなり一生懸命だったのは言うまでもないが、娘が小学生に上がったり、大きくなるにつれ、娘のことにも一生懸命だったことには違いない。
しかし、子育てと介護、両方うまくいくことはあっても、どちらかに必ず傾く、そんな数年間だったと思う。
ましてや、始めの2年間くらいは、入退院を繰り返していた義母だったので、仕事どころではなかったと言うのが本当のところだと思う。
今の私は正直、娘のことでは悩んでいない。
悩んでいないと言うか、悩まないことにしている。
そう決めているからそうなる。
娘以外の誰かのことでも、悩みはあっても悩んではいない。
私は娘が生まれる前もその後も、かなり悩んできた人間だから。
だけれど、その経験があって、今がある。
人も半世紀生きると強くなるのかもしれない。
以前の私は、人に合わせることはむしろ得意であったが、今の私は、人に合わせることはできるが、自分の考え方は大事にし、自分はこう思う、ということを言えるようにもなった。
家族は気づいていないだろうけど、私の心の中は変わったのである。
心の中が見えないのが残念なくらいである。
変わったよ!とはあまり言われていないので、敢えて、itigonohanaさん変わったよ、と思っている方は、ご一報くださいませ。
介護のスタートから、ゴール、そのゴールはいつかわからないけど、そのゴールに近づくと、スタートした時の気持ちや状況、世の中ではなく、変化しているということ。
今の時代に義母の介護のために仕事をスパッと辞める人なんて、良い意味でいないんだろうなと思う。
だけれど、仕事を辞めたくはないが、どうしても辞めざるを得ない人だっているのだとも思う。
何が良くて何が悪いということはない。
ただ言えることは、実の父親、母親であろうが、義理の父親、母親であろうが、所詮、自分以外は他人(ほかの人)なのだ。
子どもであろうが、夫であろうが、結局、ひとりひとり、考えていることや、人間性も違うということ。
私以外のひとりひとりを尊重するということ、このことは本当に今の私には今後の課題なのである。
今朝も、義母のトイレ事件もありましたが、そのことから今日のnoteは書くことになりました。
長くなったのでまた次の機会に書きたいと思います。
私が言いたかったのは、嫁である立場で、義母の介護を数年間続けるということは、義母の体の状態、時代、環境、色々なものが変化し、今日という今、確かに、
「義理のお母さんですよね?」
という言葉がとても重く、感じられ、その言葉を言った方はそこまで深い意味ではなかったとは思うけど、この9年間がその意味を深くしたとも言える。
しかし、介護は本当に、1人抱え込むものではないですよ。
明るい明日。
明日があることを信じて。
今日、今を生きる。
今日も最後までお読みいただき、心よりありがとうございます^ ^
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