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万能な天気なんてない。

雨の日だったことを、よくおぼえている。
九月のあたま。雨のおかげで暑くはなかったけれど蒸していた。

たった一日でいろんなことが積み重なっていた。それを何とかやりすごし、なるべく良いほうに解釈しなければと自分に言い聞かせながら、傘を片手にエレベーターのボタンを押した。

残っている訓練生は私だけだった。
障害者就労移行支援所(以下、支援所)はビルの七階にあった。あいにくエレベーターは一階から上がってくるらしく、しばらく時間がかかりそうだった。

訓練生が帰るとき、たいていはスタッフの誰かが見送ってくれる。
事務室の前を通りしな、お先に失礼いたします、と頭を下げた。支援所は擬似オフィスだ。規則は細かく、挨拶ひとつが今後の審査につながる。うっかり言い忘れましたでは済まされない。
お疲れさまです、とカウンセラーも兼ねている女性スタッフが事務室から出てきて、エレベーターの前で隣に立った。

本音では、私はその日、ほんとうに疲れていたので、ひとりになりたかった。けれども、見送るのもスタッフの役目ならば拒むことはできない。割り切って、スタッフさんが帰ることには雨、やんでるといいですね、そんな無難なセリフで時間をつぶそうとした。
しかし、彼女から帰ってきたことばは、雨とは何の関係もなかった。

「本、読まなくて良いよ」

私はたぶん、取りつくろった笑顔を少しこわばらせてしまったと思う。戸惑いつつも、聞き返した。

「何のことですか?」
「朝活の読書。やらなくていいから」

ああ、とようやく思いあたった。
今年に入ってからぜんぜん読書ができていない。
支援所に通いはじめてから私が立てた目標のひとつに、やるべきこととしたことを両立する、というのがあった。
ここに通っていれば就職ができる可能性はぐんと高まるはずだし、仕事も趣味もそこそこ充実させる方法を今のうちに学んでおきたかった。
生活リズムを整え、体力をつけ、上手に休む術を身につけたかった。

支援所は朝十時から始まるが、隣駅に住んでいることもあり、また、コロナ禍でメイクもほぼしていなかったおかげで、極端な話、九時に起きて朝食をとっても九時半には支援所に到着していた。
つまり、朝は時間には充分な余裕がある。
帰宅後は支援所のレポートなどを書かなければならないし、提出ずみの週間スケジュール通りに過ごしていないと減点になってしまう。

だったら朝、ちょっと早めに支援所のそばまで来て、スタバで読書の時間をとってみてはどうか。

そう助言をくれたのは、他ならぬこの女性スタッフだった。
いわゆる朝活というものは自分にはまるっきり縁のないものだと思いこんでいたが、やってみたら、これがとても楽しかった。
朝の八時半ぐらいにスタバに入って、コーヒーを一杯だけ頼み、のんびりと本を読む。

読書ってこんなに面白かったっけ。

自分でもびっくりした。
今年は仕事とか、職さがしで、本を読む気持ちの余裕がまったくなかった。
それが、朝、こうして一時間ぐらい早起きをするだけで、ずいぶん満たされる。

アドバイスをくれたスタッフさんはさすがだなあ、と感謝していた。
それが、いきなり、やらなくて良いと言う。
私は彼女の顔から目を離せないまま、質問を重ねた。

「えっと、どこからそんな話に?」

内容も不可解だが、タイミングも謎でしかなかった。私の聞き方は、やや慎重さを欠いていたかもしれない。
すると彼女は少しだけ視線を泳がせてから、

「お昼にあなた、言っていたでしょ。コーヒー代が高いって」

ああ、とちょっとだけ合点が行った。確かに、そんなことは言った。軽口のつもりで。

おちおち雑談もできやしない。

その反抗を呑みこみ、私は表情をもとの作り笑いに何とか戻そうとした。

「言い方が悪かったみたいで申し訳ありませんでした。そうですね、今はまだ暑いけど、涼しくなったら公園のベンチに移動しようかなと考えています。現状のコーヒー代は家計を見なおしていますし」
「そんなことやらなくていいと言ってるでしょ。本なら家で読めば?」

何だろう、と思った。
私はここに通うための登録手続きをしている最中で、まだ正式な訓練生ではない。そうでなくても、ここまでプライベートに踏みこまれるものなのだろうか。
はいはい、やめます、と言って引き下がったふりをするのは簡単なことだ。けれども、毎日、一時間単位の行動を記す提出物はどうすれば良いのだろう。そこも嘘を書くのか。起床後わずか三十分で通所していますと虚偽を書いても、それはそれでのちのち響くのではないか。自己管理が甘い、目標設定が低すぎる、などと言われかねない。

一瞬、考えこんでから、言おうとした。
朝の読書、楽しいんです。趣味なんです。できる範囲でやっていたいことなので、続けます。お気遣い、ありがとうございます。

それだけ伝え終えたら、いつの間にかとっくに七階まで上りつめて大きく開いているエレベーターに乗ってしまおうと思っていた。
しかし、彼女の次の一言が、私の口をふさいだ。

「あのこと、Aさんに言っておきましたから」

エレベーターが閉じて、また下へと降りていった。私はそれを気配で感じただけで、視線を彼女からそらさなかった。

「私は仲裁は必要ないと申し上げたはずです」

冷静でいようとしながらも、内心は大いに混乱しかけていた。それでも、私はずいぶん生意気な人間に見えたことだろう。

「スタッフとして責任をもってやらなければならないことです。私たちの仕事ですからね、言っておきました。だからもう心配しなくていのよ」
「すみません。少しお話を聞かせてください」

エレベーターのボタンを押すかわりに、彼女の背を押すようにして、なかば強引に教室へと踵を返した。
訓練生がいて良い時間は、とうに過ぎていた。





Aさんというのは、訓練生のひとり。通所してまだ半年ほどだと言っていた。
私とたいして年は変わらない。その一方、主婦で、もう高校生のお子さんもいるという。
いろいろな事情でずっと働いてきたのに、ここ数年、どこの職場でも長続きしなくなり、それを解決したくてここに通うことにしたと聞いていた。
とても明るい気さくな人柄だったけれども、裏では悪口が絶えず、表でも何かというとすぐに怒ったり機嫌を損ねるので、私はあまり関わらないようにしていた。

そのAさんから直々に「新参者は黙ってなさい」と言われたことがあった。

私はスタッフの許可を得た上で、講義中も質問や発言の機会を逃さず、積極的に参加をしていた。でなければ見学や体験の意味がない。
Aさんも活発なたちだから講義中はどんどん声を上げる人だった。私は他人の質疑も自分にはない視点だからと、そういったことにも集中して耳を傾けていた。
しかし私はAさんのお気に召さなかったらしい。

「あなたの発言は論点がずれているし、そもそも講義内容を理解していないし、間違っているから黙っていて」

そう言われて、ためしに一日、いっさい発言をしなかった。
そうしたらAさんに褒められ、じゃあ次はこれをやめて、あれをやめて、と要求がどんどんエスカレートしそうになったので、翌日からは普段どおりに戻した。

以後、Aさんからは、時に好かれ、時に嫌われ、と良い大人にしては非常に面倒だったが、私の本来の目的は彼女と親しくすることではない。
ここが仮に擬似オフィスでも、私はそういう人間とは距離を置きたい。いちいち関わりあいになってストレスを溜め、退職する羽目になるのは嫌だった。擬似オフィスだからこそ、ここで訓練しておかなければと思っていた。

定期的な面談の際に、あるスタッフから近況を聞かれたので、Aさんのことを一応、報告だけはしておいた。

「こういうことがありましたが私の間違いを指摘するのはスタッフの方々の役割です。理解していない間は質問を禁じるのがここの方針でしたら仰ってください。また、訓練生全員とにこにこ仲よくなるべきであるのなら、私のスタンスとは大きなズレがあります。通所について改めて判断する材料にします」

Aさんの名は出さずとも、すぐに誰のことかはわかったようだった。どうも新しい訓練生が入ってくるたびに、くりかえしているようだった。
そのときのスタッフは、

「もちろん講義内容を理解をしていなくても発言して問題ないし、ここは友人を作る場ではなく通過点だから適度な距離感を模索して大丈夫。何も問題はない」

と、まっとうに答えてくれた。

「ありがとうございます。ではこの問題は解決しました。現時点で仲裁などは必要ありません」
「そうだね。私たちも手出しする範囲ではないから。小学生のホームルームじゃないんだし」

そう、はっきり言ってくれていたのだ。





カウンセラーを兼ねるというその女性スタッフは、なのに、Aさんを呼び出して厳重注意を行った、だからもう心配いらない、などと言っている。
教室の机の椅子に座り、私はさすがにがっくりと来ていた。
もう礼儀なんて守る気にもなれず、机に肘をついてこめかみを揉んだ。

「あなたの名前は出していませんよ」
「タイミング的にバレないはずがありませんよ」

もしかしたら、その女性スタッフも、まずいことを言ってしまった、と思ったのかもしれない。そこからひたすら問いただす速度がはやまっていった。

「あなたはあの人と仲よくしたいわけではないよね?」
「断定はやめてください」
「仲よくしたいの?」
「いいえ。特には」
「だったらどっちでも良いでしょ?」
「でも適度な距離を保つ努力はしていたんです。まったく関わりを持たずに同じところを利用するわけにはいかないんですから。そのための訓練だと思っていましたしね」
「なら明日からもそうれば良いだけでしょ。嫌なら椅子ごと離れれば?」
「何ですか、その子どもみたいな対応。私はそういうおとなげのないことはしませんよ。というか……」

もうあなたがたをどうやって信頼したら良いか、わからない。
その一言を、寸前で押し殺した。

スタッフさんが、ちょっと何か飲んで落ち着きましょう、と残して奥へ向かった。

窓の外はまだ雨が降っていた。さっきよりも強く。ざあざあと。
密になるからと窓を閉められない。
そのぶんだけ、雨音は冷たく、これが現実だと訴えかけてくる。





その日はほんとうにいろいろあった。
まだ登録を終えていない見学者でありながら、訓練生でもあまりやらないような提出物を一日にいくつもこなしていた。

そのすべての書き方が間違っている。
そう告げられたのは、お昼やすみが終わる直前だった。

私はさいしょに書き方を尋ね、提出時にも毎回のように確認をしていた。
それが今になってすべて間違っているなんて、おかしいというよりも、正しい書き方を学ぶチャンスを十日以上ももらえなかった、そのことが残念でならなかった。

ほかにも、来所のたびに検温や体調を記載して提出していた書類が、訓練のない土日も書くものだと言われた。
しかしそれも初日、複数のスタッフに聞いたときは、休日は不要だと言われたものだった。

講義後に訓練生だけでのちょっとしたミーティングの際、発言をしたら、途中で後ろから時間にこまかいスタッフにストップをかけられた。
あなたが「以上です」と言わないから、話が広がってしまって困る。
そう咎められたものの、私は、発言後にその旨を言っている。それを伝えるや否やホワイトボードの前まで連れていかれた。
黒ペンと赤ペンを使ってボードに、
「~なので~以上です、ここの、なので、の前半はいらない。むしろ、なのでもいらない。事実だけ述べて了解にすれば三秒で終わる」
と、なので、を含めた前半部分にびっと赤線をひかれた。執拗に、何本も。
それでは意図が伝わらないのでは、と尋ねたら、そのスタッフは赤ペンで私を指し示し、
「どうせあなたは要点を押さえることもできない人間だから昨日のスピーチでもミスをしたんだろう」
と断じられた。
確かに私は前日、はじめてのスピーチで時間オーバーのミスをしてしまった。
けれど、そのスタッフは私がスピーチをしている間、外まわりに出ていてその場にいなかった。ミスの指摘をありがたいが、見てもいないものを決めつけられるのは心外だった。私は要点よりも時間配分が良くなかったと思い、ほかのスタッフとそうした短所を話しあって、既に翌週のスピーチの準備に取りかかっていた。
いくら短時間でおさまろうとも、前ふりなしの結論だけで終わらせるスピーチなんて、私にはできない。
次は完璧なスピーチをしろ、そう言われたわけではなかったが、そのスタッフの要点をまとめると、そういうことだった。発言も、質問も、雑談も、相談も、すべてにおいて簡潔さを求められ、どうせあなたは文字にしてあげないと要点をおさえた話のできない人だからと、毎回、ホワイトボードを面談用の個室にまで引っ張ってきていた。それが使われることは一度もなく、話す時間よりボードの移動のほうに時間をとられてばかりいた。

加えて、その日はもうすぐ登録が完了しそうだから、と適正検査のようなものを受けた。
すぐに出てきた結果のグラフを見て、スタッフに読み方を聞いたら、勉強してないから自分は何も知らないと言う。スタッフが。勉強をしていないのだから、わかるわけがないのだと。
でもこんなに高い数値はこの支援所でこれまで見たことがない、とても優秀だ、大きな声で、教室内でスタッフに言われて、Aさんににらまれた。
検査結果も個人情報なのではないだろうか。
私はまわりに知られたくなかった。
けれど、だってどうせ私は間違った提出物に気づかず、どうせ要点をおさえられない、どうせ間違った不幸な障害者なのだから、優秀なわけがない。どうせ嘘にきまっている。だってスタッフが読み方を知らないんだし、どうして優秀だなんて言えるのか。
きっと尊重されなくてもしかたがないんだ、だって私は何をやらせてもダメな障害者なんだから、と、あきらめた。

これらがすべて一日で起きた。
まるで示しあわせたかのように。

誰でも人間ならミスは犯すものだ。
けれど、あまりに多すぎる。
スタッフが何人もいるのに、それとも、何人もいるからか、全員、言うことが違う。
同じ人でも、日によって別のことを言う。

それが就職の審査に結びつくなんて、そんな危険なこと、していて良いのだろうか。

通所開始から就職まで平均して一年半かかることを、私は四ヶ月のカリキュラムで終えようと所長と打ち合わせをしていた。
でもそれだと支援所の収入にならないから、わざとミスを起こさせて、長居させるつもりなのでは。
そう邪推してしまうぐらい、結局は私の減点になることがどっさりのしかかっていた。

やったことが無駄になるのが嫌なんじゃない。
やれることの機会を得られないことが腹立たしかった。





しばらくして、カウンセラーを兼ねるスタッフさんが戻ってきた。どうぞ、と差し出されたのは冷たいお茶だった。
とりあえず、ありがとうございます、いただきます、と一口をすすっているうちに、あちらが話しはじめた。

「Aさんのことだけど、介入してほしくなかったら何故、私たちに話したの。だまってれば良かっただけでしょう」

お茶をそのままぶちまけてやりたいのを必死に堪えて、グラスをテーブルに置き、念のため遠くに押しやった。

「それでは今後は何もご相談しません。プライバシーを守って頂けないようですから」
「あのね、Aさんがああいうことをしているなら、私たちは彼女をとめなくては」
「それは理解します」

理解しています。
何故なら、私もかつてそういう立場にあったから。

二十代のころ、不登校や引きこもり支援の仕事をしていた。子どもたちから、誰それとうまくいかない、相性があわない、そんな相談を受けるたびに悩んだ。
間に入ってほしいのか、ただの愚痴なのか。
子どもの間のことだけならまだしも、あのスタッフが嫌い、となると、ほんとうにどうして良いのかわからなくなってしまった。
あのとき、私はどうしていたっけ。

「理解していますけど、何か、違うと思うんです」
「何が違うのよ」

それが言えないならただの感情論でしょう、明日からもいつも通りにAさんと接していれば良いでしょう、それもできないなら嫌われる努力をすれば良いでしょう、今は家に帰って落ち着いてリフレッシュとリラックスすべきよ、読書なんかしないで、お風呂に入るとかね。

私はまだ、自分でもいったい何が納得できずにいるのかを考えていたので、ついぞんざいに応じてしまった。

「うちはお風呂、壊れててシャワーしかないんです。前にもお話した通りです」
「そうだったね。お風呂、最高なのに。いちばん疲れがとれるってみんな言ってるわよね」
「私にとってはそれが朝の読書なんですよ」

何がいちばんかは私が決めるんです。

うっかり言ったことばは、もうなかったことにはできなくて、でも、おかげで、急に目がさめたかのようにして私はどんどんくだらない遠慮を投げ捨てていった。

「私は確かにAさんと仲よくしようとは思っていません。でも何とかうまくやろうとはしていました」
「同じことでしょ」
「ぜんぜん違います。私自身が決めたことで彼女との間にわだかまりができるのと、他人が勝手に割って入って台なしになることで悩むのとでは、ぜんぜんわけが違います」
「だったら自分の意志で仲よくしたら?」
「仲よくしたいわけではないと言っていますよね」
「それ、矛盾じゃない?」

私はなんとなく、目線をグラスに移した。
一口ぶんだけ減っているお茶。淡い緑。
外はまだ雨がやんでいない。どころか、時間を追うごとにひどくなっている。

密とはいえ、窓をもうちょっと閉めたほうが良いかなと思った。

でも、かわりに、私はマスク越しでもはっきり聞こえるように、声を高めた。

「矛盾していません」

気づいたら、目が合っていた。
そのまま、私は続けた。

「この支援所のメソッドだのロジックだのは、じゅうぶん体験させて頂きました。それでうまくまわっているようですが、私は疑問に思います。今日をもって退きます」

彼女の目つきがちょっとだけ変わった気がした。

「辞めるってこと?」

私は椅子に置いていたバッグをたぐりよせながら、うなずいた。

「辞めます。私はここに、はまれません」

そうして立ち上がろうとすると、

「でもね、はじめはあなたみたいに我慢できなくても、今はここが楽しいって言ってる人がたくさんいて」
「良いんじゃないですか。私は我慢してまでやろうと思いません」
「社会に出たら一人じゃないのよ。嫌な人とプロジェクトを組んだりランチを一緒にとったり、社員旅行だってあるし、みんな我慢してるの」
「ランチ以外はその通りですね。でもここは職場じゃないありませんから。もう我慢しません。失礼します」

立ち上がったそのときには、私はもう泣いていた。
でも、だからこそ、もうここにいてはいけないのだと、わかっていた。

ちょうどその日、別の地区の支援所から、訓練生が一人、移動してきたばかりだった。ロッカーの鍵をいつも使っているフックにかけようとしたら、その人の鍵がすでにそこにあって揺れていた。
私は鍵をフックの縁に乗せ、そのまま教室を出ようとした。

ドアと廊下のはざまで、彼女の声が追いかけてきた。

「そうやって逃げてきたんでしょう」

私は思わず笑ってしまった。声には出さず。そうしていたら、もう一撃。

「で、また逃げるのね。一生」

私は振り返った。泣き笑いのままで。いつの間にか、傘をちゃんと左手に持っていた。

「どう思ってくださっても。何を言っても、あなたは自分に都合の良い解釈しかしなさそうですから。話をすりかえて逃げているひとの話は、もう聞きません」

彼女は怯まず、強い口調で放った。

「たったこれだけで辞めるなんて性急すぎます。また時間をとって話をする必要がありそうね」
「必要ありません。それに、性急でもないんです」

見学から一週間でかぎとった違和感。
障害者でごめんなさい、と自分を責め続けた毎日。
急激に押し寄せたミスの指摘。
価値観の否定。断定。押しつけ。
ここにいたらしあわせになれるというわけのわからないおはなし。

その後で、彼女から、辞めるなら自分から所長に言って、納得してもらってください、私はあなたの味方だから、いま言ったことは聞かなかったことにしてあげる。明日もあなたに教えてあげるし、助けてあげる。

そんなようなことをまだ堂々と主張できる彼女が、いっそうらやましかった。
私は言われた通りに、事務室の開いたドアの前に立った。

短い間、大変お世話になりました。もうお伺いしません。本当にありがとうございました。

所長も、明日、話そう、ちゃんと誤解を解こう、と考えかんがえ言っていたけれども、私はそのすべてに首を横に振った。
そうして今度こそエレベーターに乗り、雨の中、傘を開かずにあの場からきちんと逃げていった。





それからどうしたかというと、死のうとした。

仕事をしてもダメ、仕事をしたくてああいうところへ通っても、やっぱりダメ。
つまり、私はダメ。
私が、完全に、ダメ。

ここで死ぬと、あなたの生きる場所は支援所と、支援所が紹介する幸福な職場しかない、というあの話を真実にしてしまうようだったけれども、どうでもよかった。

私は生きることに向いていない。なら死ぬしかない。

それから一週間、何も食べなかった。
毎日のように支援所からは電話がかかってきた。わずらわしかったので、何日目かに電源を切った。
猫にだけごはんをあげて、あとはずっと寝ていた。

一週間後。
どういうわけか立ち直ってしまった。ひょいっと。

スマホを起動してみたら、支援所からの着信履歴で埋まっていた。
ぼうっと見ていたらまた鳴ったけれど、出なかった。切りもしなかった。

そのままほうっておいて、台所に行って、戸棚を開けた。パンがあった。
この古い家は湿度もやたらめったらと高い。
一応、カビがないか、見まわしてから、ひとくち、かじった。

かんで、飲んで、胃がぽっとした瞬間に、決めた。

休もう。
何も考えずに、しっかり、休もう。

スマホが鳴りやんだ。
私はパンを片手にそれを取り上げ、主治医のいるクリニックに電話をして、診察の予約をとった。

電話を終え、パンのさいごのかけらを口に放り、カーテンを開けた。
くもり空。
でも、たとえまだ雨が振っていても、私には関係がなかったと思う。

そういえば私、雨のにおいとか好きだもんなあ。

良い悪いよりも、好きか嫌いか、やりたいかやりたくないか、そっちのほうが大事な気がした。





そんなこんなで就労移行支援所を辞め(そもそも登録が完了していなかったため、辞めた、というのも当てはまらない。手続きの中断は最後の通所の翌日に依頼しておいた。聞いた話では、あと一日で完了するところだったとか)、私は今ものうのうと生きている。

そして、訓練生同士の人間関係についていったいどう納得できなかったかも、あるとき突然、ぱっとわかった。

Aさんに注意を行ったことを、私に言う必要がなかったのだ。

Aさんへの勧告は、私は理解できていた。
だけど、そのことをわざわざ私に伝えなくても良かったのではないか。

もう心配しないでね、と言われたが、逆に私は、ここはプライバシーを尊重してくれない、見守るということをしてくれない場なのだと、信頼できなくなってしまった。

たぶん、スタッフが間に入ってくれることで安心するひともいるのだろう。
でも私は仲裁は不要だと言った。
もしAさんに何かを言うのなら、私の了解を得るか、黙っているか、少なくともどちらかをすべきではなかっただろうか。

私が不登校支援団体に勤務していたころ。
似たような相談を受けて、どうしていたか。

当初は上司に律儀に報告を行っていたけれど、上司が本人のところに直行し、なぜ自分ではなくしたっぱに相談したのか問いつめる最悪の事態になってしまった。
これでは子どもは安心して相談ができない。
それからミーティングを重ね、したっぱにも守秘義務があると合意し、以後は原則として上司への報告は任意となった。

思えばその上司もカウンセラーを兼ねていた。

医療の現場にいるカウンセラーと、兼任のそれとでは違うし、カウンセラーが国家資格となったのはここ数年のことだ。
今ならまだ、名乗ろうと思えば、私ですらカウンセラーを名乗ることはできる。

でもカウンセラーは救世主ではないし、クライアントもカウンセラーが何かを解決してくれると過剰に信じない方が良い。

そのひとがどういう役割かは、その名前よりも、実体でこそわかる。

何百人ものえらい人が「お風呂に入ることがベスト」と言っても、私には読書のほうが有効。
日本でも最大級の大手の支援所ですよと説得されても、私が体験してしっくりこなければ、もう行かない。
死にたいとこころがどんなに思ってもからだのあちこちの部分が生きるように動いているんだったら、どうしようもない。





今でも、まだ、要点を得てないから、失敗したから、障害者だから、そんなことばでついた傷が綺麗さっぱり癒えたわけではない。
こうして書いていて、ああ、長いからいけない、長くなるのは要点がまとまってないから、私はダメなんです、ごめんなさい、ついそんなふうに思ってしまうこともある。

けど、ひといきついて、立て直す。

読書しなくていいよ。
人間関係、解決しておいたからね。

こうすればあなたは良くなる。
ああすればあなたは好かれる。
こちらの言うとおりにしていればあなたは何の心配もしなくてすむ。

私を無視して何かをしてあげた気になっている、そんなまやかしに惑わされてはいけない。

好きなことのはずなのに、何かにひっかかってしまって楽しめないなら、自由にやれないのなら、その何かをけっとばしてしまえ、と思う。
それはきっとものすごく軽くてうすっぺらい。大丈夫。足をいためることはない。

他人がどうこう言っててもその中から自分に得なことだけかすめとって、あとはほうっておけばいい。

そこまでうまくやれるようになるまで、何年かかるかなあ。

そうやって先を描こうとできているだけで、私はじゅうぶん、いろんなものを浴びて、染みこませて、芽吹きつつある。
そう自分に良いようにだけ信じこんで、今日も私は好きほうだいにやっている。







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