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【拝啓 私】私はこういう人間だと決め付けてしまっていた時の私へ【手紙note】

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拝啓 私へ

お元気ですか?

これを見ている私は、いつの時代の私ですか?

どの私でもいいから、見てくれてる事を願って書きますね。


今日私が伝えたい事、

それは【私はこういう人間だと決め付けてしまっていた】ことについて。


いざという時に思い切った行動ができない。

そんなこと私には出来ないと思ってしまうから。

キャラじゃないし。。。とかいろいろな理由付けをしてしまって。

自分で思う自分像をどうやっても越えられない。


どうですか?

自分の思い込んだ自分像に縛られて生きている感覚はありませんか?

私だってもっといろいろなことできるようになりたいという気持ちが少しでもありませんか?

今、生きてて良かったと思えていますか?

正直言うとね、

今の私はその生き方を辞めました。

もしこれを読んでいるいつの時代かの私が、

私はこういう人間だと決め付けてしまっていたとしたら、

これを見て一つの参考にしてもらえると嬉しいです。



そもそも私はこういう人間だと決めてしまったのは一体誰だっただろう?

あ。。。もうこの手紙何回か読めてる私には流れ的に解っちゃってる感じ?(;´д`)

そうですよね。

私自身ですねはい。

でもね、

必ず私自身がそう決めたきっかけがあるのですよ。

そこまでは読みきれるかな?(ΦωΦ)フフフ…



大体が私の人間性を決める時、

私自身がその発想を自己生成して決定してないんだ。

大概は私以外の人が客観的に見た私への印象を、

そのまま私というキャラだと思い込んで取り入れている場合が多い。

要するに私という人間がこういう性格や特性だという思い込みは、

私以外が決めたものだということ。



( ゚д゚)ポカーン

そんなことあるかぃ!

私は私がこういう性格だと私自身が決めて私やってるさ!!

他人にそれを決められた覚えなんてないね!!!


・・・でしょうね。

覚えてないんだもん。


でもね、

発想って自分から自動生成されるものじゃないのさ。

必ず感覚と記憶が出会わないと発想って生まれないのよ。

お腹空いたって感覚と、

食べるという行為が記憶にあるから、

食事するという発想が生まれて、

そこから何を食べようかって発想から選択肢を選び出す。

暇だなぁという手持ち無沙汰な感覚と、

ゲームや本をという自分の興味のある分野という記憶があるから、

そこから何して遊ぼうかって発想から選択肢を選び出す。

人間の思考って細かく分解して解析すると面白いよ。

行動原理が解るとパターンが解るから、

パーツ分けして組み合わせて使うと面白い。

料理みたいな感覚だね。



話が少し逸れたから元に戻そう。

基本的に生まれたての時の私には私の事は解らない。

何が良い事で何が悪い事なのかは、

判断材料がない子供の頃には人の評価によってそれを学んでいく。

何が褒められる行動で、

どんなことをしたら怒られるのかは、

私の周りに居る人の心の器と表現方法、

そして私自身の受け止め方によって理解していくものだ。


自分の興味のある事には積極的に動いてしまう赤ちゃんの頃には、

自分の体の危険も顧みずに自由に何でもやることだよね。

それを最初の社会環境である家族が、

褒めたり止めたり喜んだり怒られたりすることで、

私は私の生きている世界の標準を知っていく。

これをすることで褒められるからやっていいんだ。

これすると怒られて怖いからやらないようにしよう。

そう、

私は世界を知ることで、

私が私を制限していった。

そして家族以外の社会環境である地域や保育園以降の学習の場で、

今迄以上に世界の標準の幅を知っていくことになる。

更に制限を自らに掛けていく事になる。

成長し、

私の生きていく世界、

私の取り巻く環境の常識・当たり前・風習・習慣・正しさ。。。

多くの「すべき」という方向性に従わなければならないという思い込みを植え付けられ、

その中で生きていくしか選択肢はないのだと、

無意識的に諦めて考えることすらしなっていく。

これが今の人間社会の縮図。



こうやって紐解いていくとどう思う?

みんな同じような生産ラインで製造されてると思わない?

それでも個性が違うのは、

生まれた地域や囲まれている家族の性格や習慣・貧富、

地域性や国の法律などが異なるから。

例え双子であっても人との関わりが瞬間として同じではないから、

感受性も少しずつ異なってくる。



その中で、

私自身が私の人間性を決定付ける瞬間がある。

子供の頃は自分に自信を持つという概念がない。

ましてや私が他者と比べてどう違う人間なのか、

そんなことを判断できるほどの見識は持ち合わせていない。

ではそれを判断するのは誰か。



先に言っておくけど、

これは相手に一切の悪気は無いし、

自分がそれに今迄気付かなかったのは、

そこを考える発想を持てなかった私自身の責任でもある。

私以外の人のせいにするのは簡単なことだが、

そんなことをしても自分の人生の活路は私自身で切り開いていくしかない。

今から話す内容が腑に落ちたら、

人を恨むよりも他者に対して私が同じことをしてしまっていないか、

そこを気にしてあげて欲しい。



それは私の周りに居た大人達である。

これは大人相手に大人自身もすることだが、

子供には人間性を育む成長期という意味で、

今後の人生に多大なる影響を与えてしまう。

しかも大人であれば反発もできるが、

子供は大抵の場合反抗する強さがない。

多様な『力』の影響で受け入れて従うしか選択肢がないのだ。

それは子供が意見できる状況をまず大人が作らないし、

子供の意見だと軽視して聞き入れる度量がない場合が多いから。

自分の意見が絶対的に正しいと思い込んでいる大人が、

力弱き子供にその思想を押し付けるように話してしまう。

そんな子育てをする親やその他の大人が多い現状が、

この状況を作っている。



ある時、

大人はこう言う。

「○○ちゃんは本当に□□だね」

「○○ちゃんはいつも△△ばかりするね」

「○○ちゃんはなんでいつも◇◇なことばかりするの!」

大人は一度思った相手への印象をほぼ変えることはない。

これがどういう結果を招くかというと、

ずっと最初に思った印象のままで私と接してくるということだ。

どんなに改善をして印象を改めようと頑張っても、

少しの失敗や不注意をしただけで、

「ほらやっぱり」と言わんばかりに最初の印象を持ち出してくる。

私と接するというよりは、

相手の先入観の中でブレることのない私という作られた不動の妄想像と接しているのだ。

こうした人間関係を長時間続けられると、

否応なしに受け入れるしかなくなってくるのだ。

「私は□□な人間なんだ。」と。

これはある種の刷り込みであり洗脳と言っていい。

それに屈してしまった時点で、

私は私の人間性を決定付けてしまう。


これが無意識にずっと残り続け、

呪いのように自分の言動を制限し、

自分の規定した私像を超えられないと諦めてしまう元凶である。



私が私をどう思うかは、

本来は私の自由であるはずじゃない?

私が自分をどう思うかで苦しむって、

よくよく考えたらおかしいでしょ・・・?



断ち切って!

私が自分自身で掛かった呪いを。

私が思う私の人間像は、

私が作ったものじゃないものがあるはず!

私の性格をリストアップして一度眺めてみて。

そこに自分の生きる上での不自由さが見えてくるはずだよ。

あとは、

勇気を出してその真逆をしてみたらいい。

人前じゃなくてもいい。

一人カラオケ行ってやってみたり、

基本は一人から初めていって、

もし私のすべて受け入れてくれるような人が周りに居たら、

少しずつ人前でもやれる自分になっていって。



「今迄私だと思っていた私は、

物凄く偏ったものだった。

それは自分で見つけることができなかった、

掛かっていることに気付くことができなかった呪い。

その呪いを祓う為には、

その対極の行動をしていくしかない。

両極を体験して自分の心地良さを探していってね。

最初は出来ない自分ややらない理由を自分で作ってしまいやすい。

けど、

その先には不自由を作り続けてきた無意識の呪縛から抜け出せた、

本当に自由があるよ。」

自分の人生をどう彩りたいか。

それが私の原動力になる。



ひとつだけ付け加えると、

繰り返しになるけど決して人を恨まないで。

最初にも話したけど、

こういうことを教えてくれる人が居なければ、

発想として選ぶ事はできない。

親になるということや、

子供と接するということに教科書やセオリーはない。

みんな手探りで生きている。

でも時間の流れが早すぎて、

考えて動く余裕がないんだ。

だから気分で行動したり、

過去の例を短絡的に採用するなどといった駄策を用いてしまう。

これは現状では仕方ない。

そういうペースで生きるしかないと、

これも植え付けられた発想の中でみんなが生きてしまってるから。

今の日本社会の在り方が人に優しくないところがあるってこと。

言ってみればみんなが気付かなければいけない事があるんだよね。

認めたくはないけど、

ここに書いたことでこれを読んでる私自身にも思い当たる言動ってあるんじゃないかな。

まずは自分から。

この発想を浸透していく為には、

先入観を排除して事実を細かく見ていく必要がある。



いつか私とも出会えたら嬉しいな。

優しい未来を一緒に作る友達になれたら最高だね!



頑張れ私!

自分を超えて今を更に楽しく生き直し始めれることを願ってるよ!!



これを読んだ私の心が、

少しでも自由と自分らしさを大切にして生きられますように。



                         敬具



追伸

そうそう、

これを読んでる私やその知人友人に

「これもっと端的にしたものない」って人居る?

もし居たらこれ読むと参考になると思うから載せておくね。

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