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願うなら。

ビッグイシューを買ったのは、久しぶりだった。
最後に買ったのは、何時だったろうか。確か夏に、新宿駅近くの交差点で、だったような気がする。

ビッグイシューを買おうか買うまいか、見かける度にいつも悩む。それは否定しても心の中に生じてくる恥ずかしさに似た感情があるからなのだ、ということを自分自身が気づいているからであり、また買うという一連の行為の中で発する言葉や行動が売り手にどのような印象を与えるのか自信がもてないからでもあった。

*

僕はこのnoteをとおして、ビッグイシューをそれでもなお購入することがある自分を賛美したい訳では毛頭ない。

むしろ、自分が恥ずかしいと感じる心の奥底にある気持ちと、上手く説明できない葛藤の告白なのだった。

*

なぜ、恥ずかしいと感じるのだろうか。売り手がホームレス状態の方で、自分が購入するという行為によってホームレスの方とやりとりをすることが恥ずかしいのだろうか。それとも、それを街中を行き交う人々に目撃されるからだろうか。

ビッグイシューは、350円のうち180円が売り手の収入として手に入る仕組みになっている。350円はさほど大きな金額ではない。コーヒー1杯くらいのものだ。だからビッグイシューとその売り手に出会う度、「買おうか」という気持ちが過るのだけれど、「また通るから、帰りに」などと心で言い訳をして、買わないままになる自分がいるのだった。

最後に購入した新宿でも、そうだった。一度行き過ぎ、一度戻り。そんなことを繰り返して、3回目にようやく購入することができた。

そのときに抱えていた気持ちは、休日の新宿に行き交う人たちの中でビッグイシューを購入するために立ち止まること、そこで売り手とやりとりをすることへの、恥ずかしさだった。

*

なぜだろう。そんな気持ちをもつことが、僕の中の正義に反することは自分が一番良く分かっている。それでも抱いてしまうその気持ちといつも闘い、時には敗れてしまう僕がいるのだった。

言葉ではどんなに綺麗なことを並べても、世の中が全ての人に優しくなれよと願っても、自分の心の奥底にある感情は裏切ることができない。誤魔化すことができない。どんなにそうはありたくないと願っても、どんなにその存在を憎んでも、自分がその憎むべき存在に荷担してしまう。そんな葛藤が、あるのだった。

*

吉野弘の詩、『雪の日に』は、そんな僕の気持ちを写しているかのようだ。

誠実でありたい。
そんなねがいを
どこから手にいれた。

それは すでに
欺くことでしかないのに。

それが突然わかってしまった雪の
かなしみの上に 新しい雪が ひたひたと
かさなっている。

雪は 一度 世界を包んでしまうと
そのあと 限りなく降りつづけねばならない。
純白をあとからあとからかさねてゆかないと
雪のよごれをかくすことが出来ないのだ。

誠実が 誠実を
どうしたら欺かないでいることが出来るか
それが もはや
誠実の手には負えなくなってしまったかの
ように
雪は今日も降っている。

雪の上に雪が
その上から雪が
たとえようのない重さで
ひたひたと かさねられてゆく。
かさなってゆく。

僕が語る言葉の裏側に潜む本当の僕は、どれだけ誠実なのだろうか。それとも誠実であろうとすることそのものが難しいのだと開き直って、そんな矛盾や葛藤を抱えて生きていくしかないのだろうか。

僕が持ちたくない、持つべきではないと思う恥ずかしさを持ちながら、時にはその感情に負けてビッグイシューを買わないという選択をしてもなお、綺麗な言葉、自分が願う世界のあり方を表現していかなければならないのだろうか

そこに僕の正義は、残っているのだろうか。

*

僕がビッグイシューを買う時に抱くもう一つの感情は、「売り手にどういう言葉をかけたら良いのだろう、どういう行為が良いのだろう」ということだった。

「がんばってください」なんて言いたくはない。その人はきっと頑張っている。毎日見かけるわけでもないその人に、「頑張ってください」なんて言うのはあまりにも無責任ではないか。

350円以上を払うことも気が引ける。まさしくその人が自分よりも貧しい立場であることを理解しての行為のようではないか。そんな権威的な立場からされた行為が、果たして望ましいと言えるだろうか。

だから僕はできるだけ普通に、「最新刊はどんな内容ですか」なんて当たり障りのない会話をして、「ありがとうございます」と言って去っていく。

けれどもその一連の行為が、自分が無理をして作ったようで嫌なのだった。「頑張ってください」などと言おうかと考えて、それでも言わないことにした結果発した言葉だから、嫌なのだった。

ホームレスの方を救うという目的の上に成り立つ雑誌とその販売形態なのだから、もしかしたらそんな葛藤を感じる必要もないのかもしれない。けれども、そんな風に割り切れない自分が、間違いなく、いるのだった。

*

そんな葛藤を抱えて、悩みながら、きっとまた近いうちにビッグイシューと出会うだろう。僕は買うだろうか、買わないだろうか。

買うことが義務になるのも、おかしな気がする。
買わない選択があっても良いだろう。

それでもその選択が、願わくば、自分の並べる言葉たちや、理想とする世界と矛盾しなければ良いなと思う。

そんなことを思いながら、カバンの背中のポケットに、買ったばかりの新しいビッグイシューを抱えている。

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