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美鈴はとまどう 愛国者学園物語 第210話

 美鈴は一連の出来事を、ただ信じられずにいた。

礼儀正しく大人しいはずの日本人が、フランスパンを踏みつけ、ワインをドブに捨てることに熱狂している。しかも、そのような愚行を多くの人が支持しているのだ。

 あのフランス女が日本を侮辱する本を書いたからだ、その報復だ、などと言って。それに、総理大臣の「神国日本」発言も信じられなかった。憲法の政教分離を忘れた総理大臣は、日本を、神道を人に強要し、異議を唱える国民を処罰するような全体主義国家にするのだろうか。

 美鈴の元には、ホライズンだけでなく他のマスコミからも、あらゆるチャンネルから問い合わせが殺到した。あのルイーズ事件の本を、ファニーと共にまとめたからだ。だが、美鈴にとってファニーは親しい友人ではなく、彼女の人柄や内在的論理がどのようなものか知らなかった。


無数の質問に

「私はファニーのことをよく知らないんです」

と答えると、

「そんなはずはないでしょう。貴女は一緒に仕事をしたんでしょ?」

と詰問(きつもん)された。

 それがあまりにも続くので、ついに、美鈴は質疑応答を止めたのだが、すると、今度は、美鈴はファニーがこのような本を書いた真相を知っているというデマがネットにあふれて、美鈴はただ困惑するほかなかった。


 美鈴はホライズン関係者からも、ファニーの言動について質問された。美鈴が嫌だったのは、あのフカヒレデブの言葉だった。思い込みの激しい彼女は、美鈴がファニーについて何か隠していると考え、スタッフを集めた会議でいきなり美鈴を指名して、疑問を突きつけた。

 美鈴はその不意打ちに腹を立て、自分はファニーの人となりについて詳しく知っているわけではない。親日家だった彼女がなぜ今回のように日本を厳しく非難するのか、自分にはわからない、と述べたが、フカヒレはそれで満足しなかった。それを見かねた会議の司会者が助け舟を出してくれたのが、有り難かった。


 では、ファニーと美鈴に関わるホライズンは、ファニーの本をどう受け止めたのか? ホライズンでは、あの本のファクトチェックを行ったが、全て事実を元にしているという結論が出た。ファニーは日本を厳しく批判しているが、批判の材料も論理展開にも問題はなかった。ファニーは日本語が堪能(たんのう)で、日本に関する知識は深い。だから、本に間違いは少ないのではないか、という予想は正しかった。だが、それを記事にして公開したところ、無数の非難が届いた。ホライズンはファニーの味方なのか、という反論が最も多かったという。


果たして、ファニーは率直すぎる外国人なのだろうか?

 その「率直すぎる外国人」という言葉が日本社会に出てきたのは、数年前からである。日本に関わる外国人の中には日本で長く暮らし、日本語を流暢に喋り理解し、配偶者も日本人という人々もいる。そのような日本の諸事情に通じた人々の中から、日本に関して率直な意見が出た。だが、それを聞いた日本人たちは、慇懃無礼(いんぎんぶれい)に無視して、重要な問題として扱わなかった。聞き手たちがそういう意見を好まなかったからだ。

 意見を出す側の外国人たちは、それを日本のマスコミに送っても、ネームバリューがないという理由で取り扱ってもらえないことに苛立ち(いらだち)、自らの意見をネット社会に持ち込んだ。ネットでは、マスコミが扱えない問題を扱えるし、マスコミの自己規制に関係なく自説を主張出来るからだ。そして、それを、たとえ日本に厳しい内容であっても受け入れる度量のある人々に出会うか、あるいは、その逆に、外国人のそのような言動を好まない日本人至上主義者たちからの激しい攻撃を受けたのだった。


 

果たして、彼らの主張は日本社会を壊すものなのだろうか。

そして、そういう外国人は口を閉じて、日本人に都合の良い、良き隣人になるべきなのか。それは、自分の意見を言わず、社会の常識とされる考えに自分を合わせて生きる受動的な人間、悪く言えば、他人にコントロールされる人間ではないのか。そのような議論が繰り返された後で、あのルイーズ事件が起きた。あれも、率直過ぎる外国人であるルイーズが、愛国者学園前で動画の中継を始めたことで、学園の子どもたちとトラブルになったのだ。


 ルイーズ事件は、多くの日本人に激しい怒りを引き起こすことはなかった。怒ったのは、愛国者学園とそれを支持する日本人至上主義者だけだ。だが、今回のファニー事件は違う。ルイーズは日本についてほとんど知識はなかったが、ファニーは親日家で日本語もかなり上手で、日本で数年働いていた。美鈴はあの本を詳しく読んだが、ファニーが題材にした日本社会の諸問題は正確に記述されており、彼女が偽りを元に議論をふっかけたわけではないことを感じた。それに、ルイーズ事件の本をまとめた時、同僚としてのファニーはトラブルメーカーではなく、ごく普通の社会人だと思えた。では、彼女は、自分の前では日本への怒りを隠していたのか。もしそうなら、なぜ隠したのか。それとも、美鈴との仕事が終わった後に、日本への怒りが爆発したのか? 美鈴にはわからなかった。


ファニーへの疑問と同じくらい、

フランスパンを踏みつける子供たち

を見て、美鈴は衝撃を受けた。何が彼らをあんなに怒らせているのだろう? フランス人であるファニーの本が自分の祖国を厳しく批判しているから、あのように暴れているのか。美鈴は、フランスパンやクロワッサンを求めて、パン屋に押しかける愛国者学園の子供たちの話を聞いて、子供への恐怖を感じた。自分が育児をしているにも関わらずであった。


そして、あの

強矢悠里

だ。彼女がマスコミにもてはやされているのを見て、美鈴は驚いた。まるでアイドルではないか。彼女はこの一連の騒動では、マスコミに出ずっぱりで、その顔と声を見ない聞かない日はなかった。ファニーへの怒りを煽る(あおる)強矢は、まだ小学3年生だ。にもかかわらず、彼女は愛国者として称賛されていた。そして、彼女と共に、抗議活動を繰り広げている日本人至上主義者たちは、まるでアイドルに群がるファンだった。

現に、強矢のことを

「愛国アイドルだ。救国の戦士だ」

などと賛美する人々がいた。それも有名人や政治家が声を揃えた(そろえた)かのように言っている。ネット番組「愛国砲弾」は強矢の特集を組むだけでなく、彼女を何度も出演させて有名人と対談させ、多くのアクセスを稼いだ。


(子供って、ああいう感じに育つものなのかしら?)


 美鈴は、自分が産んだ双子の娘たちと強矢を比較したが、それは間違いであると感じた。明らかに、強矢は変だ。子どもが、強矢のように他者に激しい憎しみを抱いて成長したら、どういう大人になるのか? 美鈴はこの問題を桃子とだけ話した。義理の母は、そういう相談に適していないことを前から知っていたからだ。それに彼女は男の子を欲しがっていて、女の子を二人も産んだ自分を好いていない。そういうことを考えるのは辛かった。


美鈴はいくつも疑問を抱えて日々を過ごした。夫はそんな彼女に優しく

「気分を変えようよ」

と言って気分転換になるようなことをしては、美鈴を喜ばせた。

だが、それは夫が自己満足のためにしたことであり、美鈴のためにしたのではなかった。


続く
これは小説です。

次回 第211話は「ホライズンのクレド」。
ファニー事件のせいで、美鈴を取り囲む環境は激しく動きます。でも、彼女には指針となる言葉があったので、自分を見失わずに済んだのでした。その言葉・クレドとは? 次回もお楽しみに!


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