障

障害と告げられた日、私は生きる希望を失った。

「あなたはADHDだよ。」
という言葉に絶望した人はどれくらいいるんだろう。

徳井さんの脱税問題のときにはtwitterのトレンドに入り、
最近ではSNSのブランディング的にその言葉を使っている人さえ見かける“ADHD”。

まるで、現代病・流行り病のように取り上げられ
「私もそうかもしれない!」と世間が沸き立つほど親近感のある発達障害。

その存在を知り、自分が当事者だと知ったきっかけは
高校に入って母親に「あなたはADHDだ」と告げられた言葉でした。

生きづらさを感じたまま過ごしてきた学生時代

私は学生時代から、「片付けができない子」というレッテルとともに生きてきました。

小学校では毎年「片付けが出来ない」という一言を通知表に書かれ
中高では、担任の先生に「こんなに教室を自分のものかのように散らかす人は始めてだ」と笑われ
友達が「片付けできない私のために私専用の教材入れBOX」をくれるほど酷い状況。

自分なりに片付けができないことは自覚していたし、”できないことを改善する”ためにスケジュールを立ててみたり友達に声をかけてもらったり対策をしていましたが

いつの間にか都合よく片付け頻度が1週間に1回に変わり、
片付けの仕方も臭いものにふたをする要領で物を棚に詰め込んで終わりにしたり、どうしても続かない。

特に女性は「片付けができる生き物である」と思われがちで、
出来ないことが異質に見られたりするこの日本の中で、
私は「できない自分」が嫌いで仕方ありませんでした。

”当たり前”が”当たり前”にできない

そんな自分自身を自虐的に話していると「私もずぼらだよ~」と共感してくれる女の子も多数います。

ただ、聞いていると

いつ飲んだかわからないコップが積み重なっていることはないし
一度使ったハンカチをそのまま置いていることもないし
ガスや電気が止まったこともなければ書類は期限内に提出してる。

「あれ?私の"できていない"は人の"できていない"の何倍なんだろう」

人が当たり前だと思ってやっていることを当たり前にできてない
という事実と向き合うことはあまりに辛くて悲しいことでした。

本人たちに悪気がないことは百も承知で、実際に誰も悪くないのだけど
いつの間にか「あなたはそんなこともできないの?」と確認されているように感じ、
それに耐えられず周りの目をあざむくような言い訳や行動だけがどんどんうまくなっていくばかり。


そんな自分自身を自覚し始めたころに「ADHDだ」と告げられ、
「障害だったんだ」という少しの安堵感のあとにおそってきた感情は
「あぁ、どうやっても治らないんだな」という絶望でした。

自分自身ができないことばかりに目がいくように

それまでも「人よりできないことが多い」ことには気づいていたけど自分が障害だと自覚した途端に、
”これもできない””こんなこともできない”とちょっとしたことでも目につき自信がどんどんなくなりました。

メモがうまく取れなかったり、物事に順序がつけれなかったり、ミスの連発など、仕事を始めてもどれだけ気を付けても直らない症状もあり
自分自身を責めたり「やっぱりできないんだ…」と思い落ち込む毎日。

ずっと、夢にまで見た”起業”もいざ始めてみると自己表現が大切な世界で「いかに自分のアラを隠すか」に力を入れてきた私にはなかなかうまくいかず結局失敗。

幸い、とても良い会社に就職させていただいていたため社員にすぐ戻していただきましたが、そのときは精神的にも経済的にもかなりしんどい状況に追い込まれていました。

”とりあえずやってみる”が転機に

それでも、承認欲求だけは人一倍強い私は何かをやりたい・認められたいという想いがあきらめきれず
仕事復帰のあと落ち着いたタイミングでブログとtwitterを開始。

文字で気持ちを表現することが好きだったので「とりあえず自分の得意を見つけてみよう」という軽い気持ちで取り組んでいましたが
いざやってみると予想していた以上にそれは楽しく、そして心地の良い空間で
フォロワーさんから「考え方が面白い」「文章がわかりやすい」なんてお言葉もいただけるようになり
やっと、”自分が人に与えれる価値”というものを少しだけ見つけることができました。

そんなtwitterをはじめて、はや5ヶ月。
間違いなく今のアカウントに成長させてもらった私は
twitterで集めた仲間と、ずっとやりたかったwebメディアをつくろうとしています。

できないことも多い中で、自分自身がどうやって成長していけるのか
楽しみでもあり不安でも心配でもあります。

でも、一番は集まってくれた仲間に助けてもらいながら
私はどうやって次のステージに進んでいくんだろうというワクワクしています。



今回、このnoteを読んでいただくにあたり
嫌な想いをする人がいるかもしれないし失望されてしまうかもしれないという不安もないわけではありません。

でももう、自分自身を偽って何かをするのはやめて
ありのままの自分ですべてにおいて勝負していきたいと思っています。

自分が悩んでいること、つらいこと
挑戦する中で困っていること、すべてを等身大にこれからも発信していくつもりですので

生暖かく・・・うそです。
優しい目でできれば見守ってもらえたら嬉しいです。

そして同じような悩みを抱えてる方や自分自身の価値に戸惑いがある方に
少しでも私の言葉が行動が届けば嬉しいなと思います。

生きる、を諦めない選択をまたひとつ。

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