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生きた世界の認識論~『情報なき国家の悲劇』

(副題)大本営参謀の情報戦記

太平洋戦争。第二次大戦中の1942年に開戦し、太平洋の広範な海域を含む戦線で日本とアメリカが真正面からぶつかった激戦である。

結果としてその後1世紀に渡る我が国の歩みを定めることになった一戦の舞台裏では、いったい何が起こっていたのか。

本書は、太平洋戦争において日本軍の大本営で情報参謀を務めた著者による、生々しい敗戦の原因考究の書である。

日本軍は情報戦に破れ、組織の内側から大破した。みずから軍中央で戦略の指揮を取った著者が、忸怩たる思いとともに鋭い分析と内省を重ねがら喝破する言葉は鉛のように重い。

本書を紐解いていくと、当時のアメリカ軍は単に大規模な兵力と現代兵器による力任せな戦闘で大局を押し切ったのでは無いということが分かる。開戦の数年前から始まった緻密な諜報活動と情報への投資、また情報を軸にした戦略/戦術論の洗練。広大で一覧性に欠ける戦地での情報の価値をしっかりと理解し、準備を怠らなかった敵軍に対して、日本軍には情報軽視の文化のみが深く横たわっていた。

降りかかる数々の問題点や内部での抵抗に対して、奮闘を続ける著者ら情報部の"自軍との戦い"の苛烈さが、80年の時を経てなお読者の身に圧巻のリアリティを伴って迫ってくる。


本書が繰り返し説くのは、情報取得における時間の制約である。限られた時間のうちに情報の空白をどう埋めていくかという視点が必須、というのである。これはとても大事な指摘である。

本書が扱う情報は、例えば学問として探求される真理とは決定的に異なる。そしてまた、趣味で野鳥の観察をする人が付けている記録とも性格を異にする。

著者にとっての情報は、まずもって戦いに勝つための情報である。どちらかが勝ち、どちらかが負ける。時々刻々と変化する戦況の中で、逐次的に最善手を打っていかなければならない。相手は待ってくれないゼロサムゲームの一つの大事な変数として、情報は存在する。データが足りなさすぎては不利になり、かといってもっと集めたいとモタモタしていれば先手を打たれる。

それは複雑な制約化での資源配分の最適解を探るゲームであり、情報それ自体にも質-量のトレードオフや投資対効果(その情報をどれだけ効率よく手に入れられるか)の判断が必ず伴ってくる。

基本的なところで、これは現代の企業活動のほぼ全てに通底している原理と一致している。完全なゼロサムゲームとは行かないまでも、ほとんどの企業運営は情報戦であり、それは巡り巡って各現場で働く人びとの日々の仕事にも当てはまる。こと現代のデスクワークにおいては、情報をうまく操れるものがより上質な仕事ができると言っても過言ではなく、活動の大部分において(意識するとしないとに関わらず)制約下での取捨選択を含んでいる。

この点が、幅広い読者ー必ずしも戦争に興味がない大半の読者ーに対して本書が有益なものとなっている大きな理由である。


今はやや下火となってはいるが、経営戦略はすなわち競争戦略と言われて久しい。多くの経営戦略に関する有名な理論は、元を辿れば戦争に勝つために編み出された戦略論を予型とするものである。

企業活動のレベルで話を進めていこう。世間一般にはあまり知られていないが、多くの企業は、市場や競合の情報を押さえるためにじつに様々な手立てを打っている。

市場調査のレポートに数十万をかけたり、ユーザリサーチを頻繁に実施したり、最近だとスポットコンサルへの出費などを惜しまずやったりするのは序の口である。そうしたキレイな情報投資の背後には、もっとよりドロドロとした情報戦が広がっている。

大企業の営業組織(事業開発部と呼ばれたりもする)にはたいてい、諜報部員さながらの情報取得の仕事が存在する。競合企業や関連企業へと足を運び、日常会話を糸口にさりげなく内部情報を探ったり、業界ネットワークを駆使する情報屋のような人にアプローチしたり。毎晩ひたすら会食をこなすのも、そうした情報取得に向かう戦略的で打算的な行動である事が多い。

中小企業のデータの販売で有名な帝国データバンクも、浮気調査さながらに私立探偵や興信所を使ってナマの情報をかき集めていたりする。知り合いの広告マンから聞いた話では、大手キー局の編成室に忍び込んで次のクールの番組表を盗み見るのが会社の伝統になっているらしい。米軍の諜報員は沈みゆく日本の潜水艦に飛び込んで暗号記録を命がけで盗み取っていくという例が本書で言及されているが、企業同士が繰り広げる絶滅戦争の焼け野原のそこらに、あながち遠くもない話はたくさん転がっている。

また、大変な努力の末手に入れた虎の子のデータをうまく活用できるかも大きなポイントであり、企業にとっては根深い悩みでもある。たとえば本書で鮮やかに描かれている執行部と情報部の縦割り化/断絶とそれによる情報不全。経験と現場感で進めたい事業部とデータ先行で進めたい分析部の齟齬や諍いはもはや事業運営のなかでは日常茶飯事であって、「まじでそれな〜〜」と膝を叩きながら読めた。

現代では、技術進歩に伴って定量データにまつわる艱難辛苦が輪をかけて生じている。データ基盤の整備、データサイエンティストの雇用と事業部との融和、データ利用文化の醸成などは、日本を代表する有名企業の多くで問題山積みの感がある。

さらに、自軍についての情報も経営のパフォーマンスを左右する重要なデータである。事業進捗の実体や組織の内実をもっとも精確に映し出してくれるはずの現場のデータは、役職の階層が上に行くほど手に入りにくくなる。仮にレポートラインの整備が行き届いていたとして、上長に言いにくいことはそれとなく避けて報告する人間の本性的な傾向性は避けがたい。ちょっとした実体と認識の乖離が、階層が多ければ多いほど乗数的に積み上がり、トップレベルの経営判断に数限りない誤謬をもたらす原因となる。


このように、情報には計り知れない価値があり、質の高い情報を適切なタイイングで手に入れることは難しい。そして情報戦に負けるとは、これ即ち市場競争に負けることでもある。

2020年代以降は、IT市場に限らず質の高い情報を多く効率的に押さえて価値を生み出せる企業が勝利をおさめる傾向が加速するだろう。あらゆる産業におけるIoTやAIの進展と寡占プラットフォームの台頭のなかで、データの重要性はいや増している。そしてそうした状況下であっても、企業経営にとって重要な情報の一定の部分は、コツコツと足で稼ぐしか無い情報であり続ける。ChatGPTが多くのことを教えてくれるようになっても、全員が一様に得ることができる情報には競争優位性が伴わないからだ。

情報の本質と難しさを、日本の読者の心中に肉薄する事例を通して教えてくれる本書は貴重である。これらの教訓から、読者は明日の仕事のための何かを持ち帰ることができるはずである。

「本質」と言ってしまうと、「そもそも情報とはなんなのか?」という問いを起点に、フロリディに代表される情報哲学の展開や近年の情報倫理学の動向などについて語りたくもなるが、それはまた別の折に。


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