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世界を捉え、自らを超えるまなざし~ジッド『ソヴィエト旅行記』

1936年6月、フランスのベストセラー作家アンドレ・ジッドはロシアの地を訪れていた。

目的はまず、病床に伏す友人の作家ゴーリキーを見舞うためであったが、同時に、天才革命家レーニンによって華々しく建国された社会主義のソ連を周遊するツアーでもあった。

当時の大半の西洋知識人の例に漏れず、ジッドもまた共産主義に惹かれ、マルクス主義的理想国家として具現化されたソヴィエト連邦という壮大な実験を両手をあげて賛美していた。そんなわけで、嬉々として足を踏み入れたスターリン政権化のソ連で、しかし予想に反して、ジッドはさまざまな綻びの兆候を目にすることになる。

視察のために訪れる外国人に向けてきれいに整えられた外面のとばりを一枚払った先に、永遠に続く店屋の行列があり、今まさに生成しつつある格差の空気があり、無気力な労働者たちの曇った顔がある。無機質で整然とした集合住宅を見て、そこに没個性の”哀しみ”の匂いを嗅ぎ分けるのは、著者一流の感性である。

驚くべき画一性がその服装の隅々にまで表れている。おそらく精神についても同様なのではないだろうか。もしそれが見られさえすれば、の話だが。そしてそのために誰もがみな陽気で楽しそうに見えるのだ(あまりにも長いあいだ、ものがまったくない時代が続いたので、みんなほんのわずかなもので満足するのである。隣人が自分よりもたくさん持っていさえしなければ、人は自分の持っているもので満足するものだ)。違いが見えてくるのは、じっくりと時間をかけて吟味した後に過ぎない。一見しただけだと、ここでは個人は集団の中に溶け込んでいて、ほとんど個別性を持っていないので、人々について話そうと思うと、複数形ではなく、部分冠詞を使わなければならないような気になってしまう。すなわち、 des hommes[人間たち] ではなく、 de l’ homme[人間] と言ってしまいそうになるのである。
― 光文社古典新訳文庫 Kindle版 Location No.462

社会主義と旧ソ連の失敗については今や万人の知るところとなったが、その過程としての19世紀前半のロシアの人々の生の生活を外国人の立場で観察し、渦巻く活気や混乱を克明に記した歴史の証言として、本書はとても貴重なものである。

しかしそれだけではない。
我々が彼の言葉から見て取れるのは、あるがままにそこにあることがらを素朴な眼差しでしかと捉え、現実の像ではなくそれを構成する自身の政治思想という枠組みの方をこそ疑問視し、修正していく精神の構えである。

マルクスに心酔していた一旅行者が、少しの違和感を嗅ぎ取って、予め用意されたツアーから外れて小道を分け入り、そこで発見した事実と意味を信じて明確に批判者へと転向する。これは容易なことではない。知識人である以上に一流の小説家であった著者の眼力と洞察力は、「正しく世界を見るとはどういうことなのか」について少なくない示唆を読者にもたらしてくれる。それこそが、本書の価値を単なるレポートを超えて確固たるものにしている。つまるところこの旅行記は、自らの主義・信条の”乗り越えの物語”なのである。

本書の出版によりヨーロッパで大々的な批判にさらされたジッドは、それら批判に答えることを余儀なくされる。反論の書である『ソヴィエト旅行記修正』の中で、ソ連に顕在化しつつある歪みや格差について、より社会学的で明確なエビデンスに基づいた分析を展開しており、こちらもまた別の角度から面白く読めた(光文社版には一緒に収録されている)。


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