■■への手紙

 前回の手紙から長い時間が経ってしまいました。
 今回またあなたに手紙を書こうと思ったのは、昔書いた手紙のコピーを見つけたからです。
 それは鮮烈な恋文でした。
 あなたのことを愛しているという憧憬と決意の手紙でした。
 頑張ります、と書いたそれを私は今まで実践できたでしょうか。

 普通であれば省み反省などするのかもしれませんが、常々言っているように私はもう疲れてしまいました。
 いくら頑張っても空回りするばかり。
 努力の方向性を間違えた、無駄な努力をしている、そう言われても正しい努力の方向性なんてわからなくて、どうせ永久にわかるはずがないんだから私のする努力なんて全て無駄なのです。それなら努力するだけ無駄、最初からしない方がよいのです。
 努力を信じることなんて辞めた方が良い。わかっているのに心のどこかで「頑張ればできるはず」なんて思っている自分が呪わしい。
 いくら頑張っても駄目だったのに、充分すぎるほど頑張ってきたのに、頑張りすぎたせいでこうなってしまったのに、そんなことを全て忘れて、頑張ればできるはずなんて希望を未だに信じている。
 幻の希望を。

 10年経っても私は愚かしいままでした。
 精神も、心も、何も変わってはいないのでしょう。変わったのは状況だけ。モラトリアムが終わったのにまだモラトリアムの続きをしている。停滞の毎日。終焉に向かって長い下り坂を下るだけの日々。
 何もかもにうんざりしているのに、やめることはできない。やめることは「迷惑」だから。
 それでも時々とてつもない空虚に呑まれてやめてしまいそうになる。流されてしまえばいいのに、よせばいいのに、自分を必死で宥めて空虚をやりすごしてまた生きて、どうしようもない。

 停滞だと、安寧だと信じている日常は、傾斜のゆるい下り坂です。
 減ってゆく預金。
 衰えてゆく身体。
 絶望。絶望。絶望しかない。
「××はそのまま過ごしてると破滅だよね」
 久々に連絡してきた友人に言われた言葉がずっと胸に刺さっています。
 私の行く先には破滅しかないのだろうか。
 私の希望は幻なのだろうか。
 苦しんでいるときに助けてくれなかった、友人とも言えぬ無慈悲な知り合いの言うことなんて無視してしまえばいいのに、空虚の中、追い込まれた中、その言葉は的確に真実を指し示し、呪いのように心を蝕むのです。
 蝕むも何もそれは現実、変わりようもないただ一つの確固たる現実なのかもしれません。
 「かもしれない」、こんなところまで来ても私は希望を捨てられません。捨てたら最後だとわかっているからです。嘘でも信じていないと終わってしまうからです。

 停滞したまま私は終わっていくのでしょうか。
 「家から出て行け、欠陥のある人の集まる施設に入れ」と言われます。
 それがどんなところか私にはわかりません。未来が決まってしまうのが怖くて調べることもできません。
 ひょっとするとその手前に何らかの支援があるのかもしれませんが、そこにアクセスするためにしなければいけない電話もメールも私にとっては恐ろしい化け物で、化け物と戦うよりは停滞を選んでしまいます。
 下り坂の先は破滅だとわかっているはずなのに目を逸らして停滞してしまいます。
 見るのが怖いのです。
 見て、希望がないとわかってしまったら?
 何にもどうにもならない破滅しか残っていないとわかってしまったらどうする?

 現実を見、希望がないのを知って激しい空虚に苛まれるよりは、何も見ずに衰え続けて破滅する方がまだましです。
 いや、本当はましではない。それだって長い地獄です。
 現実を見た方がいい。対処した方がいい。まだ取り返しがつくうちに、動ける環境にあるうちに。
 わかっているのに動けない。
 いわば詰みです。

 このまま、どうにもならないまま、私は破滅するのかもしれません。
 あなたに約束したことは守れません。
 見守ることもできなくなりそうです。
 苦悩し続けた先に正解を見つけたあなた。
 ありのままを認めて満足していなくなったあなた。
 私は死にたくないから、あなたのようにはなれません。
 自分を偽ってでも生きていたい。
 空虚を押し込めてでも死にたくない。
 安寧と日常に拘り続けて破滅するのでしょう。
 でもそのときは今ではない。

 私はまだ生きています。空虚の中にあっても生きています。下り坂を下っていても生きています。現実から目を背けていても生きています。
 それは決意で、それは希望で、どうしようもない呪いなのでしょう。

 私は捨てられないのです。

 きっとまた手紙を書きます。
 私がそちらに行かないように、あなたと会えないように、空虚な日常が続くように、手紙が無事に届くように、祈っていてください。
 それが私の救いです。

 それではまた。

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